時を超えて

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「な、なんだあんたは」  彼は言った。 「一体どこから入ってきた!? 何の用だ! まさか強盗……」 「私のような老人に何ができるというんだ」  すかさず答えた私に、彼は目を細める。私は嗤ってみせた。 「『それもそうだ』そう思っただろう」 「何が言いたい?」 「いや別に。ただ、私が君のことなら何でも知っていると分かって欲しいだけさ」 「はあ? それくらい、表情を見れば」 「それだけじゃない。例えば君は今日日本史の教科書を忘れていっただろう。体育の時間にはサッカーでシュートを決め損ねた。あとになって、それを窓から見ていた四組の小池優奈にからかわれて、内心ちょっと落ち込んでいる。君が弁明する前に、彼女が佐伯俊彦に呼ばれてどこかにいってしまったのも気に入らない。だが安心しろ、彼は学園祭の会計の件で用があっただけだ。午後の英語の小テストは山が当たって満点だと思っているだろうが、残念なことに一つ単純なスペルミスをしている。明日になればわかる」 「じいさん、まさかストーカー……じゃねえよな」  彼が言う。私はここぞとばかりに畳み掛ける。 「そうとも、君の考えている通りだ。ただのストーカー如きに君の内心や、まだ気が付いていなかったミスまで正確に言い当てられるものか。わかるとすればそれは」 「じゃあ……俺はやったのか!」  彼の顔が歓喜に輝いた。 「爺さんは……未来の俺なのか!」 「ああ」  私は苦いものを噛み締めながら答える。 「私は、六十年後の君だ」 「じゃあ、やっぱりできるんだな!」  興奮気味に叫ぶ彼が眩しい。 「俺は、タイムマシーンを、作るんだな!?」  つかみかからんばかりの彼に、冷ややかな視線をむけ、私は答える。 「残念ながら、違う」  歓声をあげようとする彼に、私は非情に告げる。 「私は確かに、もう少しでタイムマシーンを作れるところまではきた。だが、後もう少しというところで、外国の別の学者が、タイムマシーンを完成させてしまったのだ」  沈黙は、永劫のようでもあり、一瞬のようでもあった。  私は続けた。 「この六十年、タイムマシーンを作り上げることだけに全てを捧げてきた。だがそれも、一瞬にして、全てが無駄になってしまった」 「そんな……」 「タイムマシーンを作れなかったことはいい。そのニュース自体は、自分でも驚くほど冷静に受け止めることができた。だが、そのために失ったものの大きさに気づいた時、私は愕然とせずにはいられなかった。家庭も、友情も、趣味や娯楽も……全てを投げうって、この目的のためだけに邁進してきた。そして気がつけば、私の手には、何も残されてはいなかった」 「そんなわけないだろう。そこまで情熱を傾けた結果がゼロだったなんてことは」 「違うな。ゼロ以下だよ」  彼は絶句する。私は続けた。 「ああ、そうさ。確かに長年の研究は、多くの知識や地位や名声を、私にもたらした。だがね、老い先短いこの身に、そんなもの、何の価値があると言うんだ? 私が謳歌すべき喜びは、意外性に満ちた時間は、どこにある? もう失われてしまったんだよ。私は一つの夢を追うために、他の全てを、捨て去ってしまったんだ。それでもいい、そう思っていたさ。だが私は知らなかったんだ。何も決まらない、可能性の価値を。一瞬一瞬が、驚きであり、選択の機会であり、未知への期待に溢れている、そんな時間の素晴らしさを。私は、自らの視野の狭さ故に、それらを全て無駄に捨て去ってしまった。だから、君にやめさせにきたんだ。今日、君は一つのことに気がついただろう。それは漠然とした夢を確かな決意に変えたはずだ。今の君には、それが素晴らしいヒントに思えているだろう。確かにその発想は、タイムマシーンを完成させるには不可欠なものだ。だが、そこから始まるのは茨の道だぞ。しかもどこにも辿り着かぬまま途切れてしまう。タイムマシーンは魔物だ。こんな老いさらばえた姿になるまで、君の全てを奪っていくのだ」  言いながら、私は懐を探った。私とて、そう簡単に過去が変えられるとは思っていない。だが、一つでも、私が体験したことのない要素があれば、未来を……私にとっての現在を、変えるきっかけが、作れるかもしれない。  とりだした一枚の紙を彼に突きつける。若い頃の私は見ることがなかった、一枚の紙。  怪訝そうに眉を顰める彼に、私は告げる。 「診断書だ。タイムマシーン完成の知らせが届いた、その一週間後に出たものだ。私の命は、あと数ヶ月しか持たない。残念ながらタイムマシーンでは確定した未来を観測することはできないが、そんなものなくても、こうしてわかってしまう未来もあるのだよ」  彼が息を呑む音を確かめ、私は続ける。 「わかっただろう。私がタイムパラドックスの危険をおかしてまでここまでする理由が。私には、もう、失った時を埋め合わせる術がないのだ。そしてこれは、君の運命でもあるんだ」  長い沈黙が流れた。彼が言葉を失っているのがわかる。それはそうだろう。彼はたった今、遥かな未来のこととはいえ、突然の余命宣告を受けたのだ。残酷にすぎただろうか。いや、しかし、何も知らぬまま、全てを失ってから気づくよりも、ずっといいはずだ。  だが、再び口を開いたとき、彼は言った。 「それでも……それでも俺は、この夢を、捨てたくない」  失望が私を襲った。 「なぜだ? 続ける限り悲劇が待っていると知って、なお君にそう言わせるのはなんだ?」 「わからないよ。だけど……できるわけがないじゃないか。やってみもしないで諦めるなんて」  私はハッとした。そうか。そうだった。  可能性を信じる心。ただ夢に向かって邁進する想い。未来へ向かう意思。  それこそが、私が取り返したかったものだった。  ならば……その、今の私が切望してやまないものの故に、彼は、それらを無駄に費やしてしまうというのか。  彼は続けた。 「爺さんの言うこと、信じるよ。不思議だけど、わかるんだ。同じ俺だからかな。確かに、あんたは俺なんだ、そう素直に信じられる。だけど……いや、だからこそ、俺には納得できないんだ。俺の成れの果てのあんたが、敗れるからと言って、夢を捨ててしまえばいいと考えることが。だってそうだろう?俺は、確実にたどり着けるゴールのために夢を描いたわけじゃない。むしろ、全てを失うかもしれないという覚悟があるからこそ、未来に向かおうと思えてるんだ。何も手に残らない? 未来が閉ざされている? なあ、俺はそもそも、安楽な生活を続けるために夢を抱いたのか? ちがう。そうじゃない。俺がそれを望んだのは、それが俺の望みだからだ。辿り着くためじゃない、追い求めるための夢だ。だから」  大きく息を吸い、彼は力強く言った。 「何を言われても、変わらない。俺はタイムマシーンを作るために、努力を続ける」  六十年後、自分の世界に帰った私は、「時間酔い」を振り払いながら立ち上がった。  脳裏に、彼の……若き自分の姿が蘇る。  キラキラした目、しやがって。  あいつならやるかもしれないな。  そんな、ありえないことを考えてしまう。そして。 「あの治療法、成功率30%だったかな」  確認するように、ひとりつぶやく。  どうせもう老い先長くはないのだ、無駄な賭けはするまいと、そう決め込んでいたのだが。  可能性を信じる心。未来へ向かう意思。  私は病院へと、通信を繋いだ。
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