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「もうすぐ、小さな星が降ってくる時期です」
と、隣に座る少女―――アルナルナは言った。
小鳥が鳴くような声だった。俯かせた顔を落ち着きなくこまめに動かしている。
二人で野に腰を下ろしているが、一向に彼女の顔を拝むことができなかった。人見知りだと、出会った日―――三日前だ―――に言っていたことを思い出す。
まだ、慣れてもらえていないらしい。
「小さな、砂みたいな星が降ってくるんです。流星の欠片だって、村では教わってました」
アルナルナはそう言って、狐のような耳の裏を掻いた。
彼女は獣族で、生まれてからずっと辺鄙な村で育ったと口にしていた。人間のラッカには想像も付かないような生活をしていたのだと思う。詳しくは聞いていないけれど。
「見たことないなぁ。星の砂なんて」
「村の、大樹の前にしか落ちてきませんから」
「ルナは見たことあるの? その砂」
ラッカが問う。
アルナルナのことをルナと呼んでいる。呼びやすいからだ。
「ありません。大樹の前には行っちゃダメだって、言われてました」
「じゃあ、行ってみよっか。そこ」
「だ、だめですよ」
ようやく彼女が顔を上げた。
少し驚いているような、困っているような―――そんな表情に見えたけれど、瞳は爛々と輝いているような気がした。まるでお宝を見付けた子供のようだった。
ラッカはずっと彼女を見下ろしていたので、多分、夕食後に初めて目が合った。夕食中にも、一回だけ視線を交わしたような気がする。日に日に増えている気がするけれど、やっぱり数えられる程度なのだ。
懐かれていないのか、照れ隠しなのか、ラッカにはわからなかった。
そんなことを考えていると、アルナルナは両手で目を覆うようにして顔を隠し再び俯いた。
「そもそも村にニンゲンを入れてはいけないんです。大樹前も立入禁止です」
「平気だよ。それに、星の砂、見れるかもよ」
「決まりは決まりですから」
「でもさ―――」
ラッカはそこで言葉を止めて顔を上げる。
明るい街に住んでいた頃は気付かなかったけれど、夜空にはいつも流れ星が流れている。目の前のことに一喜一憂していた頃は気付かなかったけれど、地平線は緩やかにカーブしている。
「―――隕石、降って来ちゃったから、今は決まりを謳うヒトも居ないよ」
高台の野から、ラッカは自分が住んでいた街を見下ろす。
建物は全て倒壊し、人の住んでいた痕跡すら消滅した。ボロ板だけがクレーターを避けるように散らかっている。そしてどのクレーターの中心にも、小さな岩があった。この高台からではほとんど見えないけれど、小さな隕石たちだ。
こんな状況なのだから、決まりを謳う人どころか、もう自分たち以外生きている者は居ないと思う。
横を一瞥すると、アルナルナも街があった場所へ視線を向けていた。
「ラッカさんの、故郷だったんですよね」
そう呟く獣族の少女の瞳は、少しだけ悲しんでいるように見えた。
優しい子なのだと思った。
そんなアルナルナの村も、ラッカの街と似たような状況だったと彼女の口から聞いた。
『泣き切ったので、もう泣きません』
自分の村の状況を語った彼女は、貼り付けた笑みを浮かべてそう言い括った。
一目で強がりだとわかったけれど、それを指摘するようなことはしなかった。泣かないのではなく、泣かないと決めたのだと思ったけれど―――それも、言葉にすることはしなかった。
そんな彼女が、今はラッカの村を見て悲しんでくれている。
なぜだか胸が温かかく、また少しだけ痛かった。
路上で生活していたラッカには彼女の悲しみも思いやりも、きっと共感できないのだ。胸が痛い理由はそれが原因だと思った。
いくつもの隕石が降ってきたのは早朝のことだった。
ラッカは街で一人、その時間にも起きていた。霜が出る寒い朝に、路上で売るための山菜を採るために山へ登っていた。その時に隕石が落ちた。大きな隕石が落ちた衝撃で街が全て崩れ、その後に小さな隕石が街に降り注いだ。
その様子を、ここより少し登ったところにある高台で見ていた。
喜んでしまった。
しまったのだと、アルナルナに出会ってからは思うようになった。
見下されて悔しかった気持ちも、理不尽に耐えなければいけなかった屈辱も―――全て解き放たれた気がした。
その時の気持ちも、ラッカがどんな生活をしていたかも―――アルナルナには話していない。話せない。
そのせいかはわからないけれど、彼女と視線を交える度に罪悪感が胸を巣食った。自分みたいな人間が彼女に関わっていること自体に、後ろめたさを感じるように。
「明日、ルナの村へ行こう。星の砂を見に」
「でも、決まりが………」
「何か、村のヒトが残したものがあるかもしれないよ」
そう言うと、アルナルナは勢い良く顔をこちらに向けて何かを訴えるような表情をした。
叶わぬ希望を持たせてしまっただろうか。
しかし、アルナルナはすぐに真面目な顔になって目を伏せた。
「実は、星の砂には言い伝えがあるんです」
「言い伝え? どんな?」
「大樹の前に星の砂が溢れたら、一つだけ願いが叶うという言い伝えです」
「じゃあ、なおさら行った方がいいんじゃない?」
「でも、でも砂が溢れないかもしれないし、溢れていても、叶わないかもしれないし。もし叶わなかったら―――」
―――本当に希望が無くなってしまう。
アルナルナは言葉を続けなかったけれど、ラッカは彼女がそう言いたかったのだと思った。
「でも、ルナ。もしその言い伝えが本当なら、一刻も早く実行した方がいいと思うな。もし何でも願いが叶うならさ、きっと家族にだって会えるよ。掟に縛られてたら、本当に大切なもの、なくしちゃうよ」
心にもないことを言った。
ラッカは生まれてから家族というものに触れたことがない。それでも言葉はアルナルナに届いたのか、彼女は「そうですよね」とやはり真面目な顔で頷いた。
「一緒に行ってくれますか? ラッカさん」
「もちろんだよ」
ラッカはそう言って大きく頷いて見せた。
アルナルナのためだと思っているときだけは、そしてそれを実行しているときだけは、自分を好きになれた。
「そう言えばさ―――」
三日の時を経て、アルナルナの村に到着した。
霧の深い、大木の聳える森にある村のようだったが、不思議なことに森の中心部へ向かうにつれて霧は晴れていき、ヒトが住んでいた痕跡も散見できるようになった。木を組み合わせただけの家、石弓などの武具、切り揃えられた丸太、何に使うかわからない木彫りの人形などだ。
ヒトの姿は、亡骸も含めて見ていない。
全て、アルナルナが独りで埋めて墓にしたらしい。
ここまで、誰も居ない剥がれた大地を、全てが倒壊した街を、耳鳴りがするほど静かな夜道を通ってきた。
「―――ルナは、家族に会いたいってお願いするの?」
ラッカは足早に進むアルナルナの背中を見つめながら質問する。
大樹があるのは、村から少し外れた場所だと説明された。
「いえ。時間を戻してもらって、隕石を全部降ってこないようにしてもらおうと思ってます」
「それ、願い二個じゃん」
「二個、ですかね?」
アルナルナはそう言って立ち止まり、踵を返して首を傾げた。
夕飯後、初めて視線が交わった。
「二個だよ。皆を生き返らせる、とかなら一個じゃん」
「それは、『みんな』の人数分だけ願いがあることになりませんか?」
「えぇ? そう―――言われるとそんな気もしてくる」
ラッカはアルナルナの言葉を否定しようと思ったが、言葉を発している間に彼女の方が正しいような気が起こった。
目の前の獣族の少女のように、ラッカも首を傾げる。
「それで時間を戻すって選択肢になったんだね」
「はい。でも、時間を戻すだけではまた隕石で………」
「それで、隕石も防いでもらおうと」
「はい。やっぱりこれは二個ですかね?」
「二個、じゃないかなぁ」
「どうしましょう」
「あ。じゃあ私が片方お願いするよ。ルナが時間を戻す方で、私が隕石防ぐ方をお願いするの」
ラッカがそう提案すると、アルナルナはたちまち笑顔になった。
果たしてこれが正解の選択肢なのかはわからないけれど、もう彼女が喜んでくれたならそれで良いような気がした。
「解決ですね。行きましょう」
アルナルナが歩き出す。
ラッカも小走りに彼女に追い付いて横に付けた。
「もう一個、聞いてもいい?」
「はい。どうぞ」
「どうして、ルナだけ生き残ったの? しかも無傷で」
彼女はすぐには答えなかった。
ラッカが見るに、この森の木々が非常に頑丈で、折れたり倒れたりしているものは少なかった。それでももちろん傾いているものがいくつもあるし、村の建物が全て壊れていたので、ヒトが耐え切れないほどの衝撃はここにも届いていたことは推測できる。
でも、だとすれば小さき少女であるアルナルナだけ生き残ったのは不自然なのだ。
「家出、してたんです。森の外まで。本当は、祭典の日以外森から出ちゃいけない決まりもあるんですけど、破っちゃいました」
えへへ、とアルナルナは照れたように笑った。
「でも、その後すぐに隕石が降ってきて、私は山奥で籠ってたので運良く平気でしたが、翌日村に戻るとみんな死んじゃってました。それでお墓を作って、そこから、生き残ってる人を探そうと森を出ようと思ったんですが、一回出たくせに、村に戻ったらなんか、出ちゃいけない決まりもあるし、出ていいのか悩んじゃって」
結局出たんですけど、とアルナルナは付言した。
決まりを破るか否かを悩む彼女の姿は、ありありと想像できた。
「みんな居なくなっちゃったと思っていたので、ラッカさんと会えたときは本当に嬉しかったんですよ」
アルナルナはこちらを覗き込むように顔を上げて笑顔を作った。
―――多少は懐かれただろうか。
今だけじゃなくて、この三日間、そんな風に思う場面が多々あった。そんな場面に遭遇するたびに、別れが惜しくなっていった。だから毎晩、アルナルナのために別れるのだと自分に言い聞かせた。そう思い込めば、別れもいくらかマシなものに感じられた。
一つ危惧していることはあるけれど、それはルナの幸せには干渉しないことだ。
ここから先が立入禁止の場所です―――という小鳥が鳴くような声で、ラッカは我に帰った。
顔を上げると、そこにはただ木々が立ち並んでいた。これまでの風景と何も変わらなかった。
「―――本当は木の塀とかあったんですけど、今は何もありません」
この先に、願いを叶える砂があるらしい。
星の砂、だったか。
「ラッカさん、あの、先に入ってもらえませんか」
「お、怖がってんのかい? お嬢さん」
おどけて問うてみるが、アルナルナからの反応は薄かった。
よほど緊張しているのか、そもそも冗談が嫌いなのか―――多分、前者である。
「ルナ―――」
ラッカは、名を呼びながら彼女の手を取る。
獣族の手は想像以上に温かかった。
「―――一緒に行こう」
はい、とアルナルナは俯くように頷いた。
照れているのだろうと根拠もなくそう思い、勝手に嬉しくなった。
二人で境界があるわけでもない立入禁止区域に足を踏み入れる。一歩だけ進み、そこで止まってお互いに顔を合わせた。
誰かに咎められることもなく、森がひっくり返るようなことも起きず、二人で小さく笑った。
「行こう」
「はい」
木々の隙間を縫うように進むと、すぐに拓けた場所に出た。
円形の何もない広場で、その先に両腕を使っても抱え込めないような大樹が聳えていた。
けれどもそんな大樹よりも、溢れんばかりに降りつもっている輝く砂に目を奪われた。広場一面が、黄色く輝いていた。
星の砂だ。
「………きれい」
アルナルナが呟く。
自然と手が離れて、彼女は飛び込むように広場に入ってしゃがみ込んだ。
両手いっぱいに星の砂を抱えて、目を真ん丸に開けて見つめていた。
ラッカも広場に踏み入って、指先で摘まむように星の砂を取って手のひらに乗せる。本当に、砂は星の形をしていた。一粒一粒だと輝いているようには見えないが、それでも広場は陽が照っているように明るかった。
「言い伝えは本当だったんだ」
ラッカがそう呟いた。
それがアルナルナの耳にも届いたのか、彼女は我に帰ったように立ち上がって大樹の前まで足を運んだ。目を瞑り、祈るように胸の前で両手を重ねて、何やらわからぬ言葉を唱え始める。
ラッカは音を立てぬように彼女の横に付けて、その様子をジッと見つめていた。
自分にとって彼女は特別だったけれど、彼女にとってはどうだったのだろうか―――そんなことを考えていると、不意に浮遊感に襲われた。
「わっ」
アルナルナが声を上げる。
それから彼女が浮いた。
ラッカの足も地面から離れる。
まるで水中に居るような感覚だったが、抵抗感が少なく、息苦しさも一切なかった。よくわからないけれど、あぁ浮いているんだと―――空を飛ぶ夢を見ている時のように受け入れることができた。
泳ぐようにしてバランスを取って、ラッカもアルナルナも立つように浮かんだ。
「守り樹様、私めの願いをお聞きください―――」
アルナルナが祈る体勢を作り、言葉を紡ぐ。
あぁお別れの時間だと、ラッカはそう思った。
「―――どうか、隕石が降ってくる前まで時を戻してください」
アルナルナは言い終えると、こちらに視線を向けてきた。
いつになく真剣な彼女の眼差しは、ラッカの心をわずかに傷つけた。
「守り樹様、私からもお願いがあります。降ってくるであろう隕石から、世界を守ってください。誰も、死なせないでください」
ラッカがそう言った直後、地面に敷かれていた星の砂が一粒ずつ浮上していき、呼応するように輝きが増していった。
降り積もった星の砂が空へ帰っていく。
吸い込まれてるみたい―――と、ラッカは思った。真っ暗な夜空に、輝く星の砂が溶け込んでいく。
「ねぇ、ルナ―――」
ラッカは夜空を見上げながら、いくつもの小さな思い出を共有した、出会って間もない少女の名を呼んだ。
「―――時間が戻ったらさ、私たち、お互いのこと忘れちゃうのかな」
ゆっくりと顔を下ろすと、彼女は口を半開きにして固まっていた。
多分、お互いのことを忘れてしまう可能性を考えていなかったのだろう。ラッカは危惧していたけれど、その可能性を彼女に伝えることはしていなかった。
輝きが増していく。
不思議と眩しくはなかった。ただ、視界が真っ白になっていく。
「まぁ、どうなるかはわからないけど―――私は、ルナのこと忘れたくないよ」
慣れていない笑顔を作る。
泣きそうな顔のアルナルナが目の前でもがいていた。浮いているせいで、うまく動けないのだろう。
「私だって、ラッカさんのこと―――」
ルナが手を伸ばしてくる。
反射的に彼女の手を取りそうになった。自分の腕を抱き締めるようにしてそうしたい感情を抑えて、また笑顔を作ってみせた。くしゃくしゃの笑顔だと思う。
さらに輝きが増して、星の砂が全身を包んでいく。
「さよなら」
今日も朝から寒かった。
もっとたくさんの山菜を採りたかったけど、指先が取れてしまいそうなほど凍えたので諦めた。
「………はぁ」
そんな思いまでして採ってきた山菜たちも、今日もほとんど売れなかった。太陽が天辺に差し掛かっている。また痛んだ小さい山菜が昼食である。
道の隅に広げていた山菜と布を、自分で編んだカゴにしまって背負った。
―――あっちで獣族見かけたぜ。
―――え? 祭典の時期でもないのに来てるのか?
道行く人々の中から、そんな会話を聞き取った。
後ろから背中を叩かれたように心臓が跳ねる。
ざわざわと大通りが騒がしくなり、人々の視線が一点に収束してく。その視線の先を、ラッカはゆっくりと追う。
見たことのある獣族の少女が、こっちに向かって来ていた。
「ルナ………?」
自分でも発したのか疑うほどか弱い声だった。
獣族の少女―――アルナルナと目が合った。ラッカは反射的に俯いた。できれば、気付いてほしくなかった。今の、みすぼらしい惨めな自分を見られたくなかった。
それに、彼女は記憶が残っていないかもしれない。ラッカが偶然残っていただけで、彼女は忘れているかもしれない。でも、もしそうなら、なんで彼女がここに―――。
「ラッカさん」
ラッカの思考を遮るように、アルナルナの声が目の前から聞こえた。
まるでこちらの懐に入るように、彼女の顔が俯くラッカの視界に現れた。
「ルナ、覚えてたんだ」
ラッカはそう答えながら一歩引く。
とにかく、見られたくなかった。
「ラッカさん」
小鳥が鳴くような声だったけれど、どこか芯が通っているように思えた。
アルナルナの温かい手が、ラッカの手を取る。
「会いに来ました」
「祭典の日じゃ、ないよ」
「知ってます」
「じゃあ―――」
「掟に縛られてたら、大切なものをなくしてしまうかもしれない。そう教えてくれたのはラッカさんじゃないですか」
「大切な、もの………」
大切なもの―――と、ラッカは心の中で繰り返した。
顔を上げると、アルナルナは笑顔で頷いた。
視線が交わる。
「ラッカさんは私の大切な人です」
「私も、私だって―――」
緊張しているわけでもないのに、口がうまく回らなかった。
嬉しくて、その感情を制御できなくて、その感情を表現できる言葉が見付からなくて――――でも、伝えたくて。
「―――ルナは、私の」
多分、今度こそ、ちゃんと笑えた気がした。
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