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カランコローン
カウベルの音色がセピア色の店内に響く。
「いらっしゃーい。今日はお休みですよー」
幼い少女の声がし、架暁はクスリと小さく笑った。
「桜子さん、あいにく今日はお休みにするつもりはありませんよ。もうすぐお客様もいらっしゃる予定ですしね」
サーっと店のカーテンを開けながら、架暁は和箪笥の上にちょこんと腰かけている京人形に話しかけた。
「帰りに大黒屋さんの前を通ったんで、きんつばを買ってきたんですがいかがですか?お客様を驚かさずにいてくれるなら、私のお気に入りの菊花茶と一緒にご馳走しますよ」
「ひっどーい。いつあたしがお客さん驚かしたことがあるのよ。ここは元々あたしのおうちなのよー」
ぴょんっと和箪笥の上から飛び降りた京人形は、トコトコと架暁の後ろをついて行く。
店の奥にある厚みのある螺鈿細工の丸テーブルに猫足の椅子が並ぶ大正時代の家具セットの前までくると、架暁は京人形をテーブルの上に座らせた。
「お茶の用意をしてきますから、桜子さんはここで待っててください」
「ねーえ、架暁。きんつばだけー?いちご大福はー?」
足をパタパタさせる桜子に、架暁はごめんなさいというように人差し指を唇に当てた。
「いちご大福は大黒屋さんよりうずら屋さんの方がおいしいでしょう?今日は大黒屋さんの前しか通らなかったので、また今度」
「えー、やだー。きんつばも好きだけど、あたしいちご大福の方が好きー」
ぷりぷりと怒る桜子に、架暁はきんつばを乗せた白うさぎの形をした有田焼の皿を置く。桜子のお気に入りの皿だ。
「そんなに甘いものばかり欲しがって、太っても知りませんよ」
「女の子に向かって、なんてこと言うのよ、架暁のバカっ!あたしはこの200年、一寸だってサイズ変わってないのよ!座敷老人にになったって知らないんだから!」
桜子の着物は薄紅のちりめん生地に桜の花弁が散りばめられていて、とても200年前のものとは思えない秀逸なものだ。
「座敷老人ですか。私としてもこれ以上年齢が進むのは勘弁してほしいものですねえ」
架暁は苦笑いを浮かべて、花が開くのが見えるように硝子カップで菊花茶を淹れた。
「そんな年寄り臭いしゃべり方してるから、座敷童のくせに年をとるのよ。あたしみたにいつまでも若くいなきゃ」
「いえいえ。桜子さんには負けますよ。いつも綺麗でうらやましい限りです」
ふんわりと、カップの中で菊の花が開いていく。架暁の気に入っているハーブティーのひとつだ。
「いいわね。このお茶、あたし好きよ」
「桜子さんと同じお花の仲間ですね」
桜子がきんつばを頬張るのと同時に、カウベルが鳴った。
「おーい、古道具屋ー!トラック回してもらったぞー!どこに置くんだー?まさかこの店の中とかじゃないよな?」
ドアを開けて顔をのぞかせたのは、つい先刻約束を交わした酒屋の息子雅哉だった。
一見して、すでにぎっしり物が詰まっているように見える店内に、疑問形の声が上がる。
「いらっしゃませ。大丈夫ですよ。入るようになっていますから。どんどん中へ入れてください」
「…そうか?」
店の前で運送屋と話をして、雅哉が中に入ってきた。
「よろしければ、お茶をご一緒にどうですか?ちょうど菊花茶が入ったところなんですが…」
ちらりと桜子を見ると、すっかり人形らしくすました顔になっているものの、口元にはきんつばをかじった跡が残っていた。
「なんだ、古道具屋なのに喫茶店もしているのか?」
珍しそうに中を見ながら進んできた雅哉が、お茶の用意をしていた架暁に問いかける。
「いえ、お茶を出すのは趣味ですよ。大黒屋さんのきんつば、いかがですか?」
「お、いいねえ。大黒屋の茶菓子は好きなんだ」
桜子を抱き上げて促すと、雅哉がぷっと吹き出した。
「変わった人形だな。ふくれっ面してる」
あーたーしーのーきーんーつーばー…。
恨めしい桜子の声が聞こえそうな気がして、架暁は雅哉に気づかれないように桜子の口元のきんつばを指で拭った。
「あとでうずら屋さんのいちご大福買ってきますから…」
小声でそう言って、桜子を近くの階段箪笥の上に乗せて頭を撫ぜた。
「ごしゅじーん、本当にお店の中に入るんですかー?」
運送屋が家具を運びながら信じられないというように、何度も尋ねてきた。
「大丈夫ですよ。入るようになっていますから」
伸縮自在な店だと言えば怖がらせてしまうのでそれ以上は言わず、架暁は自分に淹れていた分のカップを雅哉に渡す。
「菊花茶です。ハーブティーの一種です。お湯を注ぐと、菊の花が咲くんですよ」
カップを持ち上げて下から覗き込むようにして、雅哉がおもしろそうに眺めながら呟いた。
「へぇ…綺麗だな」
雅哉は菊花茶の香りを楽しんで、今までにない穏やかな顔で架暁に頭を下げた。
「あんたがきっかけを作ってくれたおかげで、親父とうまくやりなおせそうだよ。水屋と階段箪笥と…もしよかったら、あんたが拾ってくれた柱時計、店のシンボルとして置いておきたいって、親父が。いいかな?」
雅哉の言葉に、架暁は自分自身も救われたような気がした。
「そうですか…それはよかったです」
架暁は掌にカップを包み込み、涙があふれそうになるのをこらえてほほ笑んだ。
「もちろん結構ですよ。家ができるまで、大事にお預かりしておきますから」
ボーンボーンと、壊れていたはずの柱時計が、鐘を鳴らして泣いた。
扉を開ければ懐かしい香り
うすく陽のさすセピア色の空間
刻の狭間の忘れ物を探して
いらっしゃいませ
ようこそ、せぴあ館 桜小町へ―――
了
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