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架暁と桜子(かきょう)と(さくらこ)
水野酒魚。様に描いていただきました。ありがとうございます♡
せぴあ館 桜小町へようこそ。
西の茶店
せぴあ館 桜小町。
なだらかな坂の上に建つ、和洋折衷の不思議な館。
色褪せた記憶のような、セピア色の風景。
差しこむ光に白くけぶる、少し埃っぽい店内。
古臭い香りの中に懐かしさが垣間見える、使い込まれた古道具。
店主の好みのクラシックレコードが静かに流れる以外、時を知る術はない。
時折気に入った客には、趣味で淹れた茶を勧める。
着流しの大島紬に、いなせなゆかた。
長身の映える滑らかなシルクシャツ。
その日の気分で和装も洋装もさらりと着こなす細い四肢。
赤みがかった長い髪を絹のリボンでゆるく結い、丸眼鏡の奥で静かに微笑む。
店主の名は架暁。(かきょう)
性別、年令は、本人も知らない…。
*
『もし…もうし…』
ざざ、ざざざ。
雑音の中に混じる呼び声に、架暁はふと目を開けた。
ふかふかのベッドに埋もれるようにして眠りに落ちていた架暁は、解けた髪をかきあげながらスタンドライトに手を伸ばした。
『もし…どなたか…』
かちりとついたオレンジ色の光の下で、つやつやとあめ色に輝く一抱えはありそうな大きなラヂオ。
その壊れて動かないラヂオのボタンが、ちかちかと点滅していた。
「はい、なんでしょう」
『ああ、本当に、声がこうして届くなんて…どうか、私たちを助けてくださいまし…』
か細い声は、女性のようだ。
架暁は体を起こすと、ベッドの淵に腰をかけた。
「どうされましたか」
『私は百年以上前に立てられた酒屋の母屋におります、茶箪笥でございます。
先代も先先代も大層私をかわいがって下さっておりましたが、当代の御子息は家業を継ぐなら店も母屋も建て替えると当代様と言い争っておりまして、ついに当代様が言い負かされてしまったのが、先日でございます。
すぐに翌日には大工の方々がおみえになり、リフォオムと言う話をはじめてしまいました。
当代様と御子息の話し合いの結果、母屋と店舗を取り壊し、鉄筋製のお家ができることになりました。 明後日には一時移り住むために荷を運び出すと言うお話でございます…』
ざざ、ざざざ…。
声は哀しげに、一呼吸置いた。
『母屋にあった家具などは、もう古いから捨てる、と…』
「すべて、ということですか?」
『はい。私もちゃぶ台さんも和箪笥さんも、水屋さんも、すべて…。今の時代では、ゴミだと言うのですよ。
今の今まで一緒に暮らしてきたと言うのに、あんまりではないですか。
柱時計さんはショックのあまりに音が鳴らなくなってしまい、明後日を待たずに昨日の大型ゴミに出されてしまいました』
「昨日ですか。それならまだ間に合うかもしれません。明日、そちらの方にも私が伺いましょう」
『ああ、ありがとうございます…。私たちのような物どもでも、長い時を過ごせば魂が宿ります。 この悲しさをどうしたらよいかと嘆いておりました所、人伝に渡ってきた伊万里焼の壺さんが、私達の声を聞いてくれる方がいるというので、皆の力を合わせてこうして声を届けることが出来たのです』
「場所はどこでしょうか」
『はい、桜坂町、白蝶酒屋店でございます。明後日の午前中には人が大勢参ります。どうぞ、どうぞよろしく…』
ざざざ…。
雑音に掻き消された声が聞こえなくなると、ラヂオはぷつりと電源を切ったかのように雑音も止まった。
「二つ隣の町ですね。明日は朝からクリーンセンターへ向かいますから、7時に起こしてくださいね」
ラヂオの隣の針のない目覚し時計のベルが、チン、と鳴った。
「それでは、私はもう一眠りさせていただきましょう」
かちりと光を落としたサイドテーブルでは、針のない壊れた目覚し時計が架暁のためにかっちかっちと動き始めていた。
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