虹翼戦記【外伝】白い華降るころ

1/7
前へ
/7ページ
次へ
 寒い。  きょうは風がひときわ身に()みる。もう冬だ、初雪が降るかもしれない。  ——だというのに、 「クラウス! こっちだよ、ここまでおーいで!」  この底なしの活力はなんとかならぬものだろうか。  小高い丘の中ほどで、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら()かしてくる幼児(こども)を半ば(うつ)ろな眼で見つつ、男は自棄(やけ)ぎみに足を振りだした。  再び自分のほうへと駆けてくる男に、齢は五、六歳ほどに見えるその幼児(こども)が、きゃあー、と歓声をあげてまた走りだす。  フローレス王国の南の国境、シェーンヴェルド山脈近くに位置する、街が壁に囲まれた城塞都市ローデリンク。  男と幼児(こども)が追いかけっこをしているのは、その街壁の外にひらけた緑地である。  クラウスと呼ばれたその男は、街を治める将軍ウルグ直属の「護衛隊」——実は、この街には尊き王族のかたがたが長期にわたり滞在中なのだが、その貴人を護るための部隊が存在し、彼はその(れっき)とした一員であった。  そう。剣で王のご家族をお護りするのが自分の役目。  幼児(こども)のお()りでは断じてない。 「あはは! クラウス、おそーい!」  ……ないはず、なのだが。  クラウスは汗を(ぬぐ)う。  吐く息が白い。  短く切られた彼のその髪も真っ白だが、顔だちは意外に若く、あわせて見るとせいぜい四十歳前後といったところだろうか。  しかし今、彼のその()()には、疲労の影が色濃く(にじ)んでいる。  空は薄曇り、しかも雪が降るやもしれぬほどの厳寒のなか、かれこれ一ターム(二時間)ばかりこの幼児(こども)に付きあわされ、クラウスはもう街に帰りたくてたまらなくなっていた。  鬼ごっこ、かくれんぼ、駆けっこ。はじめこそ童心に帰って多少は心が弾んだものの、こんなに長い時間ずっと走ってばかりでは(しかも幼児(ほんにん)は飽きる様子がない)、楽しさも愉快さもシェーンヴェルド山脈の彼方まで吹っ飛ぶというものである。  おまけに、この悪童はこの寒さだというのに、暑くなったなどと(うそぶ)いては着ている服をぽいぽい脱いでいってしまうのだ。  風邪をひくから()めてくださいと無理やり着せても、「だって暑い」の一言のもとに無情にもまた脱ぎ散らかされていく。  仕方がないので、(おち)()拾いの如く脱いだ服を拾い集めつつ、世の親たちに魂の底から尊敬の念を(いだ)いたところで「クラウスー!」とお呼びがかかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加