第1話 闇に蠢くモノ達

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第1話 闇に蠢くモノ達

「ちくしょう!」 男は悪態をつきながら闇の中を走っていた。 もう、自分が街のどの辺りを走っているのかもわからない。そんなことを考えることもなく、ひたすら”奴”から逃げているのだから…。 そいつは少女だった。 確かに少女に見えた。 普通の少女であったなら、彼も逃げるようなことはしなかった。もともと腕力が有るほうだったし、 喧嘩慣れもしていた。そして、なにより彼には特別な”力”があった。 その”力”の名は”呪術”といった 。 力ある呪物を用い、それを定型に組み合わせることによって天地万物に宿る”気”を制御し、超自然的な事象を引き起こす。それが、彼の扱うことのできる呪術だった。腕力では勝てぬ相手すら跪かせる力だ、恐れることは何もなかったはずだった。 だが、すべては無駄だったのだ…。 「なんで、こんなことに!」 男はそう言いながらふりむく。そこに、自分を追ってくる得体の知れない少女の影があるはずだった。 「いい加減、追いかけっこはここまでにしようか」 その少女の声は、男が逃げようとしていた進行方向から聞こえた。 自分を追いかけていたハズの少女がすでにそこに立っていたのだ。闇夜の中から、その瞳だけが男を見つめる。少女は言葉を放った。 「例の呪物をどこの誰からもらった?」 それは、少女に何度も問われた質問だ。男は悲鳴にも似た声で返す。 「知らない男だ! 名前も教えてくれなかった…本当だ信じてくれ!」 「…ならば、それを誰に売った?」 「隣の…! 森部町の高校生だ! 名前は……だ!」 「本当だな? 嘘をついても無駄だというのは、もうわかると思うが?」 そんなこと、男はとうの昔にわかっている。今はただ、この得体の知れない少女から逃れたかった。 「俺の知ってることはみんな話した! もう許してくれ!!」 男はとうとうその場に土下座して少女に許しをこいはじめた。 少女はその姿を感情のない瞳でしばらく見つめると、胸の前に剣印を結び「急々如律令…」とつぶやく。次の瞬間、男は小さくうめいてその場に崩れ落ち意識を失った。 「ひめさま…」 少女の肩を這っていた大きな蜘蛛が語りかけてきた。 「どうやらこいつの知っていることはここまでらしい。静葉、後始末を頼む…」 「りょうかい…ひめさま」 静葉(しずは)と呼ばれた大きな蜘蛛は男のそばまで這っていくと、その尻から大量の糸を放出し瞬く間に男を繭にしてしまった。それをしばらく眺めていた少女は、月の昇っている空を仰ぎ 「間に合えばよいのだが…」 そう、つぶやいた。 ----------------------------- 男が得体の知れない少女に遭遇し繭にされた時から一週間ほどさかのぼる。 岐阜県森部市森部町 その片隅にある、月明かりに照らされた廃ビルの玄関口に二人と一匹の影があった。 二人の影は若い男女のものであり、両方とも森部市立森部高校の制服を身に着け、一匹のほうは赤い首輪を付けた真っ白な柴犬であった。女は『結城操(ゆうきみさお)』 男は『矢凪潤(やなぎじゅん)』 と書かれた名札を身に付け、柴犬の首輪には『シロウ』と書かれている。 「ねえねえ潤くん? 感じる?」 若い女は男に呼びかけた。男は眉にしわをつくって応える。 「すでに感じてるよ。ここは確かに”アタリ”だ…」 「…!」 操はそれを聞くと心の中でガッツポーズをした。 潤が言うならソレは確かだ。彼には”普通目には見えないモノが見える能力”俗に言う霊能力がある。自分にはそれを証明する手段は一切ないが …まあ昔からのことだ、気にもしない。 潤はいい加減疲れた表情で操に言う。 「で? ほんとに撮影しにいくの? ここは”アタリ”なんだよ?」 「やらいでか! それこそ望むところよ!! 私の怪奇ジャーナリスト人生にまた一ページ!!」 目を輝かせて言う操に、心底疲れた潤は 「呪われでもしたらどうするの? 危ないよ…」 無駄だとわかっていてもそう忠告する。操の”病気”はいつもの事なのだ。 「ふふふ…。大丈夫よ、今回は。いつも大丈夫だけど…今回はね…」 そう怪しい目をしながら、操は懐から何かを取り出す。それは、小さなペンダントだった。 「じゃーん! この前の日曜日に、ある人から買ったパワーストーン!!」 そういって、操は潤の目の前でペンダントをひらひらさせた。 「三ヶ月分のお小遣いがふっとんじゃったけど…まあよし!!」 (またそんなもの買っちゃったのか…) ペンダントを振り回して喜ぶ操を、潤は顔に縦線を浮かべながら見つめた。これもまたいつもの事だ。 「所有者をあらゆる災いから守ってくれるパワーストーン! これがあれば私は無敵よ!」 そう言うペンダントには確かに力がわずかながら宿っているのが潤には理解できた。こういった類の品を購入する時の操の目利きにはいつも驚かされる。まったく霊能力を持っていないというのに…。 操はペンダントを首にかけると、話を切り上げて廃ビルの奥へと一人で歩いていく。 「ちょっとまって! 僕もいくよ!」 潤はそんな操の後をついていく、いつものように…。 とりあえず霊を写真に収めなければ家に帰らないだろうことは、幼馴染である彼女との長い付き合いのなかで良く理解できていた。 その場に”お座り”して待っていたシロウも主人である潤のあとに続く。 潤は、今夜は少し長くなりそうだとため息をついた。 ----------------------------- 潤はたしかに『ここはアタリだ』と言った。将来、一流の怪奇ジャーナリスト(それがどういったものなのかは横において)になる事を夢見ていた操にとって、それほど嬉しい事はない。 勿論、得体の知れないものに対する恐怖がない訳ではない。事実、過去に”チビリ”そうになった事は何度もある。でも、そんなものより、常に好奇心が勝っていた。隣に、こういった方面に強い幼馴染がいる事も、彼女の好奇心を後押ししていた。なにより操はオカルトの類が大好きだった。 それこそ鼻歌を歌うかという気持ちで、廃ビルの廊下を奥に進んでいった。 今現在いるのは『森部東病院』という名の三階建ての小さなビルだ。 かつて、この病院で医療事故が起こり、マスコミにも取り上げられて大問題になった。操たちがまだ生れて間もない頃だ。 それが原因で急速に客足が遠のいた病院は経営不振に陥り、あげく院長が首吊り自殺した事が止めとなって廃院に追い込まれ、現在では誰も近寄らない幽霊ビルとなっていた。 ビルを取り壊すという話が無かったわけではない。当然、取り壊そうとした。だが、その工事の最中に事故が相次ぎ、工事会社が手を引くにいたりそのまま放置される事となった。 いつしか、この病院は『幽霊の出る呪われた病院』としてそこそこ有名になっていた。 オカルトが大好きで、ここ以外にも幾つもの心霊スポットの調査を繰返していた操は、この廃ビルを調査する事が一つの目標でもあった。 「む?」 操が玄関カウンターの横を通り、診察室の横を通り過ぎた時、 半開きになった診察室の扉の向こうで何かが動いた気配がした。操は慣れた手つきで古いフィルムカメラを構えて即座にシャッターをきる。 「何かあったの?」 心配そうに自分に話しかけてくる潤をほおって置いて操は診察室の扉を開ける。 …そこに、一匹のネズミがいた。 「……」 まあ、こんなもんだ。そもそも、霊感のある潤が反応していないのだ。当然だ。 霊感もなく今まで霊そのものを見た事のない操は素早く気分を切り替えた。 「操?」 潤がいぶかしげな顔で自分を見つめる。操はそれをポーカーフェイスでかわして、ビルの二階へ続く階段へと足をすすめる。その先に、院長が首を吊ったとされる院長室があるはずだ。 そこで、何枚か写真を撮影するのが”今日の”とりあえずの目標だ。 夜も遅いし急がねば親に怒られてしまう。 操、潤、シロウの順で階段を昇っていく。しばらく誰も通らなかった 階段の床の埃に足跡がついていく。 その時、すでにネズミが去った診察室の窓が、風もないのにカタカタと音を立てた。 ----------------------------- 操たちはビルの二階にやってきた。ここには、患者六人程が入れる大きな病室がある。 ただし、ここには今日は用はない。操たちはすぐに三階への階段を昇っていく。 「もうそろそろ、やばそうだよ…」 潤が不意にそうつぶやいた。霊感で何かを感じ取っているのか? あいにく操には何も感じられなかったが、カメラを持つ手に汗が滲んできた。 そして、操たちは三階へとやってきた。この階に今日の目的の場所である院長室があるはずだ。 操たちは、埃の積もった廊下をソロソロと歩くと、院長室と札のある部屋の扉の前に立った。 操はドアのノブに手をかける…。 その時、不意に操の肩に手が置かれた。 「ひっ!」 操は引きつって声の出ない悲鳴を上げる。そっと振り返ると、その手は後ろを歩く潤のものだった。 「脅かさないでよ…潤くん…」 「ごめん操…でも…」 そうつぶやいた潤は顔に強い疲労を張り付かせている。 「やっぱり帰ろう…」 …と、それだけを口に出した。 「なに言ってるの!? ここまできて…」 「聞こえたんだ…」 操は『なにを?』とは聞かない。潤がこういう言い方をするなら、多分霊感に響く音なのだろう。 潤の次の言葉を待つ。 「何かがきしむ音…。おそらく縄で間違いないだろう…。そして、頭を強く引っ張られ、かつ闇の底に落ちていく感じ…。おそらく、この扉の向こうでは、まだ自殺当時の事象が再現されてると思う…」 こういった自殺現場では、死の前後の事象が土地の記憶として残滓していることがよくある。操はオカルト知識として、そのことは知っていた。 「……」 操はしばらく考え込むと結論を出した。 ならば…、なればこそ扉の向こうに進まねばなるまい。もともと、それを撮影に来たのだ。 潤は操の表情の変化を見てあきらめたようにため息をついた。 操は「ゴクリ」とつばを飲み込むと、扉のノブをひねった。そして、意を決して院長室の扉を開く。 何年もの間開くことのなかった扉が「ギギギ…」という不気味な音を立てて開いた。 ----------------------------- 操が院長室の扉を開けると。そこには何もなかった。 誰が片付けたのかテーブル、椅子、絨毯の類はなく、コンクリートの床がそのまま晒されている。 むろん、霊的なモノも何もない。そもそも霊感のない自分には、何かあっても見えやしないのだが。 「ふう…」 とりあえず心が落ち着いた操は、院長室に足を踏み入れた。とりあえず、十枚ほど写真を撮ってさっさとお暇しようと思った。 部屋の中央まで歩いていった操は、とりあえず部屋を見回した。ほんとに何もない殺風景な部屋だ、ほんとにここで自殺があったのだろうか? 「まあいいや…。とりあえず一枚」 カメラを構えて窓のある東の壁を撮影し、続けて北の壁も撮影する。 さらに、南の壁を撮影しようとしたとき、不意に潤の飼い犬の『シロウ』が低く唸りはじめた。 「ちょっと、シロウ…なに唸ってn」 操が潤とシロウがいるであろう院長室の扉のほうを見たとき、目の前に潤の顔が迫っていた。 「え?」 それは考えもしていないことだった。潤が自分を無理やり押し倒してきているのだ。 そんなことをされるほど悪いことを、自分は潤にしてきたのだろうか? いや、そもそも潤は男…。興奮して自分を襲おうなんて…。 幼馴染だと思ってたのに…。 そんな、場違いなことを思っていた操はしばらくしてやっと、潤の視線が自分に向いていないのに気づいた。 操は潤の視線の先を見る。そこは操の立っていた場所、そこにそれまでなかったはずの手術メスがあった。床のコンクリートに深々と突き刺さっている。操には何が起こったのかわからなかった。 「なにこれ…」 操がそれだけつぶやいたとき、潤が自分の手を引いて立ち上がった。そのまま、操の手をつかんだまま、院長室の扉へと駆ける。 「やっぱり…帰ろう…。シロウも来い!」 潤の顔は青ざめていた。操は潤がそんな顔をするところを数回しか見たことがない。 自分には何も見えない、何が起こっているかもわからない。しかし…。 どうやら、ここは本当にヤバイところらしいことに操はいまさら気づいた。 潤と操、そしてシロウは、院長室の扉をそのままに、二階へ続く階段に向かった。 急いで階段を下りていく。そして、三階と二階の中間にある踊り場を駆け抜けたとき”ソレ”は起こった。 「やめろ!」 潤が突然大きな声を上げる。その時、操は誰かに背中を強く押されたことを確かに感じた。 階段にかけようとした足が自身の体とともに宙を舞う。次の瞬間、二段下の階段の床が目の前にあった。 「…!」 声にならない声を上げて操は階段を転げ落ちた。 体勢を立て直そうとしても無理だった。意識はハッキリしているのに、自分の体が自分のものでないようだった。 二階の床に体がついたとき、操の意識は不意に途切れた。 潤の自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。 ----------------------------- 操が階段を転げ落ちるのを見たとき潤は彼女の名を叫んでいた。 潤は階段を急いで駆け下りると、二階の床に突っ伏していた操を抱き起こす。すると、操が胸にかけていたパワーストーンのペンダントにひびが入っていた。その代わりなのか、操はかすり傷しか付いていないようだった。 どうやらこのペンダントは、この考えの足りない主人の災いを身を挺して払ったようだ。潤は安堵のため息をつく。 だが、いつまでも安心してはいられない。潤は階段の踊り場のほうを”霊視()”た。 そこにさっきの奴がいた。 それは、おそらく40代半ばと思われる男だった。 生気のない目をしており、口からは涎も混じった汚物を垂らしている。首には荒縄が巻かれておりその先は重力に逆らって天井の方に向かって伸びている。なにより、男は空中に浮かび上がり足を地面につけていなかった。あきらかにこの世ならざるものだった。 実のところ、潤には院長室に入った瞬間からこの男が見えていた。それを操に言わなかったのは、それが死の現場に残った死者の残滓だと思ったからだ。潤はそういった類のものを星の数ほど見てきたし。そのほぼすべてが死の映像が見えるだけの比較的無害なものだった。 これも、そうだと思ったが違ったようだ。操が三枚目の写真を撮ろうとしたとき、突如としてその腕が動いたのだ。 男を注意して霊視ていなかったら気づかなかった。ふいに男の傍らに手術メスが現れ、操にめがけて飛翔したのだ。それを、操を押し倒して守った潤だったが、まだ男は何かをしそうなそぶりだった。そのとおり、潤とともに逃げる操の背を踊り場で押して下階に転落させている。 潤は男に強い口調で語りかけた。 「あなたの眠りを覚ましてしまって申し訳ありません! 僕たちはもうこれで帰って二度ときません! どうか許してもらえないでしょうか!?」 その言葉が通じたのかどうかわからないが、男はうつろな目でなにやら小さくぶつぶつとしゃべりだした。 潤はさらに続ける。 「もし許してもらえるのなら、関係者に話して供養してもらえるように言います!」 その言葉を聴くと、男はゆっくりと空中を潤たちのほうに漂ってきた。潤は操を肩に抱くとなんとか立ち上がり、男を警戒しながらあとずさる。男と自分たちの距離が近くなり、シロウの唸り声がいっそう強くなる。 …と、その時、やっと男が何をつぶやいているのか聞き取れた。だがそれは、自分たちにとってよい事ではなかった。 【コロス…コロス…。ミンナシネ…。オレノビョウイン…コワスナ…。オレノビョウイン…】 そこには人間的な思考など欠片も残ってはいなかった。 潤はとっさに判断した。これは『怨霊』の類だと。 相手が『怨霊』では話しかけても何の効果もない。 そういったモノに許しをこうても、同情しても、気を持つだけで祟られるだけなのだ。 潤はすばやく足元のシロウに命令した。 「シロウ! 吼えろ!!」 潤に忠実な白柴・シロウはその命令をすばやく的確に実行に移した。 「ワン!! ワン!! ワン!! …」 誰もいない廃ビル全体にシロウの吼え声が満たされていく。男はその吼え声を聞くと、恐怖に引きつった顔であとずさった。 (今だ…!) 潤は操を肩に担いだまま急いで一階への階段に急いだ。シロウは主人を守るように、男と潤との間に陣取ってけたたましく吼え続けている。男は恨めしそうにシロウと潤たちとを、睨みつけているが、それ以上迫ってくる気配はない。 潤たちは急いで一階への階段を駆け下りる。そうして、一階にたどり着いた潤たちは、ただ何も考えず受付カウンターの横を通り過ぎ、玄関の扉をあけて廃ビルの外に躍り出た。どうやら、男はこのビルに自縛しているらしく、玄関の外までは追っては来なかった。 月明かりが潤たちを照らし出す…。シロウも吼えるのをやめ、周りに静寂が訪れた。 あれが、多分、かつてのビル解体工事を中止に追いやった原因なのだろう。あの男、おそらく『森部東病院・院長』は、廃院になった自分の病院を思うあまり、自縛霊となってこの病院にとどまっているのだ。 もはや、自分たちには何もできることはなかった。ただ、このことを一刻も早く忘れることが一番だった。 「……」 潤は黙って、気絶している操を見つめた。 明日になったら、念のため神社にでもお払いに行かなければならないだろう。 そして、操にここの調査はもうやめるよう言わなければならない。 なによりそれが一番の難問だと潤には思えた。
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