積もる話を溶かして

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 雪が降っていた。  私の街で雪とはけっこう物珍しいもので年に一度降るかどうかの見せ物だ。それも積もっているというなら尚更。  現在時刻は午前七時。約束の時間まで時間がある。  もう少し布団でぬくんでいても平気そうだ。  ぐぅ。 「姉ちゃん、雪!」 「ぐぇ」 「みてみて!雪だるま!」 「おぉ」  子どもとは凄まじい。物珍しさだけであれだけはしゃぎ回れるのだから。出不精の私から言えば雪が降れば学校に行くことは疎か、布団から出ることさえ億劫になるのに。  自分にもあれだけ元気だった時期があると母に言われたときは本当かどうか疑った。  雪に触れるなんて今の私にはとてもとても。  朝食として置いてあった目玉焼きを口に入れ、窓から外を眺める。  どうやらまだ雪は降っているらしく、庭ではしゃぎ回る妹はかまくらを作ろうと張り切っている。さすがに作れるほど積もっていないが、わざわざ伝えることでもないだろう。  そのほうがきっと楽しい。 「こっちのはもっとでかいぞ!」  例外というのはどこにもあるもので、張り合うようにして子犬ほどの雪だるまを作る母も元気だ。  私もあれくらい歳をとれば一周回って元気になるのだろうか。 「おーい、きんちゃんも出てきな」 「いや」  きんちゃんとは私のあだ名。小さい頃にテレビで見た独特な走りをいたく気に入っていたらしく、加えて琴音という私の名前から来ているらしい。  そう名づけた千雪が楽しそうに頭をなでながら話していたのを覚えている。 「……………」 「なにぼーっとしてんの」  窓際に立ったままの私は母に促され朝食の席まで行くことにした。ここからでも外は見えるので妹が雪玉を作っているところが見える。庭の雪を全部使うつもりなのかと思える量の雪玉はどうするのだろう。  雪。千雪。  今日は良くない日になる気がした。    中学一年の頃だ。千雪が就職してからは顔を会わせることも少なくなったが、それでも私は彼女の家によく通っていた。  その日も私は千雪の家にいた。  話を振ったのは千雪の方だった。 「私ね、引っ越すことにしたの」  世間話のように千雪は。 「ここからすこし離れるけど、良さそうな部屋があってね、」  聞いてもいないのに千雪は饒舌に話し出した。  もちろん聞いていなかった。ここを離れる。そのことで頭はいっぱいいっぱいだった。 「きんちゃんはさ、高校はどこに行くかもう決まってるの?」  千雪の話は途端に私に向けられた。 「特に決めてないけど…まあ通学が楽なところだといいな」  当たり障りのない返事をした。  千雪に動揺を悟られるのは恥ずかしかったから。 「まだ決めてないならさ、一緒に暮らさない?」 「…えっと、何?」 「聞こえなかった?一緒に暮らしたいなって」  驚いた。冗談を言うような人じゃなかったから。意味がわからなかったから。  要するに千雪は家族と離れて暮らすことを提案したのだ。  中学生になったばかりの子どもには荷が重い。  この年には妹が生まれたばかりで姉であることに誇りを感じていた。  どうすればいいのか。そんな決定権はないのに当時の私は本気で悩んでいた。本気で千雪と暮らしたいと思った。  どれくらいの沈黙があったのかわからないが千雪は冗談だといってその場を濁した。  それ以降引っ越しの日まで会うことはなかった。避けていたともいえる。 「んぁっ」  どうやらリビングで寝ていたらしく時計を見たところ午前十時を指していた。 「やばっ」  約束の時間まであまりない。連絡が入ってないかと確認したが昨夜のやり取りで止まったままだった。 「出かけるの?」  リビングでくつろいでいた母が顔だけを向けて聞いてきた。 「うん」 「へぇ、珍し」  と言っただけでテレビに向き直った。  確かに、天気が荒れている日に外にでることは稀だ。なんなら今も乗り気ではない。  それでもこの約束ははずせない。  あれこれと準備していると携帯が震えた。 ”起きてる?” ”だいじょぶ” ”待ってるから”  簡素なメッセージだがそれだけで身体の芯の部分から熱くなっていく。これなら雪にも負けないと思えるのはさすがに単純すぎるだろうか。  千雪と連絡が取れるようになったのはつい最近のことだ。  数日前に携帯が鳴ったときは今まで携帯を大事に使ってきた自分を褒めてやりたいと心から思った。  彼女には伝えたいことが山のように積もっている。まずは何から伝えようか。
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