死数

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死数

 敵に致命傷を与えると、返り血を浴びることがある。  つーんとして嫌な臭いだ。  拭っても拭っても取れやしない。  ジャングルの中、敵に迷うことなく引き金を引いていく。  腕がちぎれ、首が飛び、叫び声が渦を巻く。  敵の銃弾が一発でも当たれば、俺は死ぬんだ。  汗と血の臭いが、いっそう吐き気を催させた。  真夜中。  銃を抱きかかえながら、名前もわからない植物の葉の裏に隠れていた。虫なのか動物なのかよくわからない鳴き声は、夜の闇をいっそう際立たせる。 「なぁ、お前の臭い。俺とそっくりだな」 「えっ……?」  突然、隊長が小声で俺の隣に寄ってきた。胸ポケットから煙草を取り出して火をつける。「お前も吸うか?」と、俺に一本くれた。 「星がきれいだな」 「そうですね」  張り詰めた気持ちが少し緩んだ。 「お前、何人殺した?」  隊長の口から白い煙がふーっと出ていった。 「……わかりません」 「そうとう殺してきただろ?」 「数えたことがないので、わかりません」 「俺は臭いでわかるんだ。別に恥じることはない。それだけお前は敵を殺し優秀なのだ」  短くなった煙草を、ピッと人差し指で突き飛ばすと、さらに一本を口にくわえた。 「お前に、一つ問題だ」 「はい?」 「一人殺せば、そいつの怨念が殺した奴に降ってくる。殺せば殺すほど、その分の怨念が降ってくるんだ。では、その殺した奴を俺が殺したら、どうなると思う?」 「……えっ……わかりません」 「殺した奴の怨念と共に、その奴に殺されてきた怨念も、俺に降りかかってくるんだよ」    すると、煙草を挟んだ隊長の手が、急に小刻みに震え出した。 「き、聞こえるんだ。そいつらの声が……」 「えっ?」 「ぶつぶつ。ぶつぶつ。頭の中をぐるぐる……。何を言ってるのかわからないッ!!!!」 「隊長?」 「お、俺は頭なんかおかしくないぞ。おかしくなってなんかない。おかしくなんかない! おかしくなってないんだァッ!!」 「隊長ッ! しっかりしてください!」 「す、すまん……」  隊長の肩を揺すると、正気に戻ったのか、俺に向かってニヤリと笑った。    翌日、隊長が敵にやられて死んだ。  近くにいた仲間が言うには、隊長は叫びながら敵の銃撃に突っ込んでいったらしい。  隊長のいないこの隊は、もう終わりだ。  次々と仲間が死んでいく。  俺は生き残るために、必死で戦い続けた。  どのくらい日数が経ったのか。ジャングルの夜空を見飽きるほど見てきた。  俺の仲間は生きているのだろうか。  ガサリ……  遠くから音がした。  息を殺して銃を構える。  だが、それからいくら待っても、敵は現れなかった。  ほっとすると、耳元から声がした。 「I wanna go home――」 「You are die!――」  なんだ、これ……。 「I love my family――」 「Never forgive you――」 「大好きだった彼女に、もう一度会いたかった――」 「先生ッ! 先にあの世でお待ちしておりますッ!――」  ぶつぶつと、異様な声が駆け巡ってくる。  その得体の知れない「声」はなんなんだ!  耳を爪でひっかき、何度も何度もほじくった。    「Go to hell! Go to hell! Go to hell! ――」    やめてくれぇ――ッ!  俺は、声のする四方八方に銃を撃ち続けた。  撃っても撃っても声が鳴りやまず、頭がおかしくなりそうだ。  カチッ、カチッ  玉切れ?  うわぁ――――――ッ  ジャングルの奥へ奥へと走った。    そのとき、隊長の言葉を思い出した。  殺した人間、殺した人間に殺された人間、その殺された人間に殺された人間、その殺された人間に殺された殺された人間、その殺された殺された殺された人間に殺された殺された殺された殺された殺された殺された……。   お、おれには、ど、どのくらいの悲しみや憎しみの怨念がつもって、い、いるんだ?  上着を脱ぎ、顔から耳、頭、首筋、そして露出した腕を、怨念を落としたい一心で力強く何度もこすった。  許してくれ、許してくれ。  首筋がヒリヒリしてきて、腕も真っ赤になった。    だが、俺の祈りは届かず、声は止まなかった。  うるせーよ……。うるせぇんだよ……。  ふらふらする。    拭いても拭いても落ちない、この累積した怨念は、俺の体の穴という全ての箇所に入り込み、血液から、巡り巡って血となり肉となった。  だから、俺は何をやっても、この不純物を取り除くことはできないのだ。  敵の基地に辿り着いた。  あと数歩進めば、見つかって銃弾を受けることになる。  やるなら一撃でやってくれ。  バンッ――。  鋭い銃声と同時に、俺の体から力が抜けていった。  ぼやける視界の中に、覗き込む若い兵士の顔が映った。  多分、こいつが俺をやったのだろう。  生きて祖国に帰りたかった思いもあったが、うごめく怨念から解放された嬉しさの方が、今は増している。  さて、俺を含んだ数えきれない怨念が、指数のように、これからこの兵士に降りかかってくることを想像すると、非常に気の毒でならない。  俺はニヤリと笑い、静かに目をつぶった。
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