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1-4:警戒心無さ過ぎ
千尋はソファにゆっくりと座り、身を寄せ合い、寝ている二匹の姿を見て、微笑んだ。そして、部屋を見渡していると、後ろから翔真がマグカップを差し出してきた。
「はい、砂糖とミルク多めです」
「あ、ありがと……」
千尋は翔真からマグカップを受け取ると、少し照れながら、砂糖とミルク多めのコーヒーを口にした。翔真は壁にもたれ掛かり、千尋の微笑む姿を眺め、コーヒーを飲んだ。
「怒んなきゃ、可愛いのに……」
「ん? なんか言った?」
「いや、何でもないです。千尋さん、俺は洗濯を回してくるんで、ゆっくりしていて下さい」
翔真はそう言うと、バスルームへ行き、洗濯と浴槽の掃除を始めた。
「それにしても、このソファ気持ち良いな。ふぁー、なんだか今日は疲れちゃったなぁ」
千尋はあくびをしながら、ソファに横たわった。そして、ウトウトし始め、そのまま眠りについた。千尋が寝たのも知らず、翔真がリビングへ戻ってくる。
「千尋さん、服どうしますか? って、あれ……寝てる?」
ソファに横たわり、スヤスヤと眠っている千尋の姿があった。翔真はベッドルームから大きめのブランケットを持って来て、千尋にそっと掛けてあげた。
「寝顔も可愛いな。キスしたいな……」
翔真は寝ている千尋の髪を優しく撫で、指で頬を軽く突いた。突いても起きない千尋の可愛らしい唇を見つめ、翔真は吸い込まれるように唇を近付けたが、途中で自制心が働いたのか止めた。
「いやいや、何やってんだよ、俺。ここでキスしたら……折角、ずっと好きだった人と近付けたのに、嫌われちまう」
そして、翔真は首を横に振り、静かに後片付けに取り掛かった。
◇◆◇◆◇◆
日がだいぶ傾き、時計を見ると、午後五時になろうとしていた。翔真はなかなか起きてこない千尋を起こす事にした。
「千尋さん、起きて下さい」
声を掛けても、千尋は気持ち良さそうに寝ていた。翔真は仕方なく、千尋の体を揺さぶった。
「千尋さん、起きないと……キスしますよ」
「うんん…………あ、あれ? いつの間にか寝ちゃってた。ごめん」
千尋は目を擦りながら、起き上がる。そして、掛けてあったブランケットを簡単に畳んだ。
「なんか初対面なのに、他人の家で普通に寝ちゃうのは流石に警戒心無さ過ぎだよね……」
――そうですね、警戒心無さ過ぎです。
「あぁ、気にしないで下さい。レオンもお友達が出来て嬉しそうだし。なぁ?」
『ワゥンッ!』
レオンは尻尾を振り、寝ているみるくの顔を鼻で突いた。
「みるくも喜んでると思う。でも、爆睡してるけど」
「あはは、飼い主に似るのかな?」
「からかわないでよ」
「悪い悪い。あ、千尋さん、ズボンはこれ穿いて下さい」
「ありがとう」
翔真から半ズボンを受け取ると、千尋は穿いた。そして、リュックを背負い、みるくを抱っこした。
翔真とレオンは玄関まで千尋とみるくを見送る。
「もう遅いし、車で送りますよ」
「いやいや、流石にそこまでしてもらわなくても大丈夫だよ。今日も自転車でここまで来たから」
「そうですか……」
「今日は色々とありがとうございました」
「あぁ……」
少し寂しげに玄関を出ようとした千尋をレオンが道を塞ぎ、千尋を見つめた。
「ん? レオン、どうしたの?」
千尋はしゃがみ、レオンの頭を優しく撫でる。そして、翔真が緊張した様子で声をかけてきた。
「あ、あのさ……連絡先聞いてもいいですか?」
「え……?」
見上げると、頬を赤くして、腕で顔を覆う翔真の姿があった。千尋は少しドキッとした。
「ほら、なんだ。汚れた服は乾燥中だし、犬友達とか……俺だって欲しい訳だし。ま、あれだ。またレオンと遊んで欲しい」
「う、うん! そうだよね。この服も返さないといけないし、みるくもレオン君の事、気に入ったみたいだし。そっ、そう! 犬友! うん、うん……」
お互いに照れながら、連絡先を交換した。それを見たレオンは手で顔を覆った。
「またね」
「……あぁ、また。気を付けて」
そして、千尋とみるくは帰っていった。玄関のドアがバタンと閉まった後、翔真は力が抜けたように、床へ座り込んだ。
「……やっと好きな子に連絡先聞けたぁ!」
翔真は大喜びでレオンに抱きついた。レオンは翔真の腕の中でジタバタとしていた。
『ワゥワンッ!』
◇◆◇◆◇◆
数日後、翔真から千尋のスマホにメッセージが届いた。
『今度の土曜日、撮影があるんですけど、ペットホテルがどこも満室で……もし良かったら、千尋さんの家でレオンを預かってもらえますか?』
「え? 何の撮影だろ……とりあえず、この前のお礼もしなきゃいけないし。……いいですよっと、送信」
千尋は翔真にメッセージを返信した。その後すぐに、翔真から返事が来た。
「返事早いな……まぁ、あれから僕も締め切りで忙しかったし。みるくも僕と遊ぶの飽きてるみたいだし……」
千尋はリビングへ行き、みるくを抱き上げた。
「みるくぅ、今度の土曜日はレオン君が遊びに来るぞ! 良かったなぁ!」
『……! キャンキャンッ!』
みるくはレオンの名を聞くと、大きく尻尾を振り、喜んでいた。
一方、翔真はと言うと、スマホを握り締め、ガッツポーズをしていた。
「おっしゃ! また千尋さんに会える! やった!」
洗濯した千尋の服一式を取り出し、忘れないように紙袋へ入れて、テーブルに置いた。翔真はそのまま立ち去ろうとしたが、もう一度、紙袋の前にやってきた。そして、紙袋の中から千尋の下着を取り出した。
「……千尋さんの下着。返さなくてもバレないよね? あーっ、千尋さんが穿いてた下着」
翔馬が千尋の下着を広げ、鼻の下を伸ばしていると、レオンが邪魔するように近付いてきた。
『ヴワンッ!』
「ビックリした。なんだよ、お前」
『ワンワンッ!』
「返せって? 嫌って言ったら?」
『ウゥゥゥッ』
「分かったよ、そんな怒るなって」
翔馬は残念そうな顔をして、千尋の下着を仕方なく紙袋にしまった。レオンはそれを見て、翔馬の足を踏みながら、自分のお気に入りの場所へ戻った。
◇◆◇◆◇◆
土曜日の朝を迎えた。千尋は珍しく早く起き、準備を済ませると、店の手伝いをしていた。
約束の時間よりも早く家の前に車がやって来た。車からは翔真とレオン、あとはスーツを着た男性が降りてきた。
「千尋さん、おまたせしました。早く着いてしまったんですけど、大丈夫でしたか?」
「あっ、大丈夫だよ! えっと、その方は……」
男性は千尋の前に来て、ポケットから名刺を取り出し、千尋に名刺を渡した。
「初めまして。翔真のマネージャーをしております加賀見と申します。本日は翔真の自分勝手で我儘で大変失礼なお願いを引き受けて頂き、ありがとうございます」
「加賀見さん、相変わらず俺に対して、厳しいな」
加賀見は千尋に深々とお辞儀をした。千尋は名刺をまじまじと見ながらも、加賀見へ頭を上げるように伝えた。
「あれ、ここって雑誌にも載る有名洋菓子店じゃん。差し入れでも買おうかな……」
「あー、ここはね、僕の……」
千尋が説明しようとした時、店の奥から血相を変えた女性が飛び出してきた。
「千尋! なんで翔真君が来る事を言わないの! あ、私は千尋の母ですぅ。あの、写真とサインいいですか? あ、それよりうちの店に上がってぇ」
千尋の母は翔真に熱い視線を送り、手を引っ張り、店内へ案内した。
「千尋、なんでお母さんに黙って、翔真君とお近づきになったの!」
「お近づきって……そもそも翔真君って何者なの?」
「今、人気急上昇中のアイドルよ! テレビや雑誌に引っ張りだこよ。千尋がずっと部屋に引き籠ってるから、そういうの知らないだけよ」
母は千尋の背中を数回叩き、口を手で覆い、上品に笑った。
「母さん、痛いって。この前、言ったでしょ? 今日は翔真君のレオンを預かるの」
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