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Sとの対決
「よく来たな」
廃工場の中を低い声が木霊する。ドキッとしながら目を凝らすと工場の中心辺りで男性と思われる1人の人物が辛うじて見えた。左手を開いて何も持っていない事をアピールし、右手は軽く手首を回し、グルグルとナイフを見せつけている。顔は、テロリスト等がよく使用する目出し帽を被り隠しているようだ。彼が S という事なのだろう。
「死ぬ覚悟は良いか?」
兄貴は S へ堂々と言い放った。戦闘をしない俺でさえ、かなり緊張しているのに、兄貴の声は全く震えていなかった。
「ああ、殺してみろよ」
作ったかのような低音で S は返した。全く動じていない。さすがは伝説の殺し屋といったところか。その返事を聞くや否や、兄貴はスッと距離を詰める。
張り詰めるような空気の中、2人は細かいフェイントを掛けて揺さぶると、最初に動いたのは兄貴だった。当然、首元を狙うと見せ掛けて太腿にナイフを振った。暗くて当たったのかは分からなかったが、致命傷を与えようという攻撃でない事は理解出来た。その刹那、S はカウンターとばかりに兄貴の攻撃に反応して一気に近付くと、首元を狙ってナイフを振ったのだが、その S の動きを見て俺は我が目を疑った。S は攻撃の前に右肩が開いたのだ。兄貴は当然のように攻撃を避け、S の頸動脈を切り裂……かない! 兄貴の動きが止まった。
訓練された者同士がナイフを持ち、至近距離での戦い……。
躊躇する事は死を意味する……。
S のナイフは兄貴の頸動脈を捉え、暗闇でも分かる程、鮮血が飛び散った。兄貴は崩れるように倒れた後、動かなくなった。
兄貴を目の前で殺されたというのに、不思議と冷静でいられた。何故だろう? やはり、S の正体に気付いてしまったからかも知れない。
俺は、S が太陽さんだと気付いたと同時に、太陽さんが昔言っていた、「実戦では俺が勝つだろう」の意味がようやく分かった。
兄貴は、初の殺人による躊躇なのか、S が太陽さんだと気付いたからか、それとも両方なのかは分からないが、実力的には大差で勝っていたのに、あっけなく殺されてしまった。
俺は太陽さんの思惑を全て理解した。父親が行方不明になったと兄貴から聞いた彼は、今、俺達を殺せば金庫ごと奪うのが可能だと考えたのだろう。
「金次! お前はどうする?! 2人で金を山分けしないか?!」
廃工場の中を太陽さんの無慈悲な発言が木霊する。元々、俺には素性がバレると思っていたのだろう、今までの低い声では無く、堂々と地声で金次と呼んできた。そんなふざけた誘いに乗る程、俺は馬鹿じゃない。仮に、2人で父親の遺産を分け合ったとしても、とどのつまり、自分の金が無くなれば俺の命を狙って来るだろう。
俺は兄貴を殺された憤怒と裏切られた失望で何も返せなかった。ただ、太陽さんを殺さなければ、何れ自分が殺されるという事は理解出来たので、覚悟を決めて無言で距離を詰める。
「拓水のようになりたいのか? 殺しを経験した者との差を見ただろう?」
信頼していた人に裏切られた腹立たしさとは、これ程までかと感じた。よく、不倫をされた奥さんが怒り狂って取り乱すシーンをテレビ等で見る機会があり、共感が出来なかったが、少しだけ分かったような気がする……。
俺は腸が煮えくり返りそうな感情を圧し殺し、無視して無言でナイフを構えて近付く。
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