第2話 講義

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第2話 講義

 スピーカーから覇気のない教授の声が聞こえてくる。どんなに興味深いことでも聞く気をなくさせるような、でも日だまりみたいに心地が良くて眠気を誘うような、教科書を朗読するだけの講義。ただでさえそのせいで聞こうと思えないのに、今、いずみの目の前には彩葉(いろは)がいる。大きなリボンと一緒に、頭も揺らしている。こっちは久しぶりに君に会ったせいで思考が停止しているっていうのに、のんきなものだよ。いずみはため息を吐きながら軽く睨んだ。  ――ちょっと遊ばない?  なんて誘われたはいいが、その言葉のすぐ後に教授の雑談が始まってしまったから、いずみは答えを返すことができずにいた。とは言え、その誘いを断る理由など何ひとつないのだ。バイトなどしていないし、サークルには入ってもいなければ、入るつもりだって微塵(みじん)もなかった。今日も、この後はゆっくり約一時間電車に揺られながら自宅へ帰るのみだったのだ。家で家族とつまらないテレビ鑑賞会をするより、彩葉といる方が断然良かった。選択肢はふたつにひとつだった、という訳だ。  バタバタと強かったはずの雨音が少しずつ引いていく。これから起きることに思いを馳せてばかりで、講義の内容はほとんどいずみの頭には入って来ていない。どうせ彩葉の頭の中には何の考えもなく、ただ久しぶりに会ったのだから、とそれだけの理由で誘ったのだろう、いずみはそう感じていた。このあとの予定を決めるのはきっと自分だとわかっていた。いつだってそうだったから。だから講義はそっちのけで、この後は彩葉とふたり何をしようか、そればかり考えていたのだった。頬杖をついて視線をスクリーンに向けるも、映し出されたそれを理解するために脳の一部だって割いていなかった。  講義が終わるのは五時半頃。夕食をとるにしたら少し早いだろうか。大学近くに何かめぼしいレストランなんかあっただろうか。まあ、少しくらい離れていても彩葉ならついてきてくれるだろう。思いついた案を適当にノートに書き殴る。どうでもいいことまで書いては、彼女のリボンを見つめ、それからその文字を消す。  ため息を吐いて、いずみは腕時計を確認する。どうしたって楽しいことに続くつまらない時間は、一秒一秒が長く感じられる。まだ講義が終わるまで三十分もある。彩葉が起きていたら少しくらい、変わっただろうか。いずみは愛用している鉛筆を握り直し、その後ろ姿を描いていく。さらさらと炭素を配置して、それを彩葉の形に整えていく。  高校一年のときは隣のクラス、二年では全く接点がなくて、三年で同じクラスになった。初めての会話は一年の頃だったはずだ。あんな些細(ささい)なこと、彩葉が覚えているとは思えないけど。何とも言えない記憶を掘り起こしては、ため息で自分の中からそれらを追い出す。  描き上がった彩葉の隣に、自分を描いた。荒く全身の構図を決めたところで、くしゃっと全てを消した。あってはならない、認めてはいけない感情を描き出してしまったから。  いずみは鼓動が早くなっているのを感じた。それが、抱くべきでない感情だと知っている。どうしたって叶うことのない願いだと理解している。だからこそ隠すと決めたのに、こんなところではみ出してしまうわけにはいかないのに。 「はい、じゃあ――」  教授の声が今までより大きく響く。いずみの内臓を震わせる。心臓の動きを正常に戻そうと衝撃を与えられた気分だった。 「ちょっと早いけど、今日はここまででいいかな」  今までパワーポイントが映し出されていたスクリーンが唐突に暗くなる。映像がなくなって、変な音を立てながら直上の機械に巻かれて白いスクリーンが消えていく。同時にいずみの元に心が帰って来る。  ゆらりと上がった彩葉の頭を見て、いずみは素早くノートを片付けた。全て消したが、それでも跡だけは残ってしまっているから。 「ふわあぁ、ねむ……」 「ずっと寝てたね、彩葉」 「いずみちゃんは? 起きてた?」 「当たり前。何のために講義受けてるのって話」  冷静であることを自分に言い聞かせるために、いつもより彩葉に冷たい声をかけてしまった。しかい彩葉にはこういった微少な変化に気付くようなアンテナはない。いずみは高校で過ごした期間でそれを知っていた。 「いずみちゃん、つめたぁい」  やっぱり。彩葉は気にしていないようで何より。いずみはさっさと帰る準備を整えて、リュックを背負う。 「え、ちょっと? 待ってよ、いずみちゃん早すぎ!」 「ほら行くよ、この後遊ぶんでしょ」  彩葉のリュックを持ち上げて、まだまだ暑いのに上着を着ようとしている彼女を置いて先に講義室から出て行く。本当はスキップだってしたい気分だが、それを押し殺して。
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