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第5話 約束
真っ黒なティーシャツに、ワンサイズ大きい上着と、それから白いハイウェストパンツ。キャップとバッグ、スニーカーはスポーティーに、カジュアルに。いずみはオシャレな服を前日からネットで調べ上げ、自分に合いそうなコーディネートを超特急で取りそろえた。その中でも一番似合っているであろうものを身にまとい、約束の駅前に来ていたのだった。普段は着たこともないような服装だからか、落ち着かない。そわそわしながらスマホの画面を何度も確認する。
『土曜日のお昼一時すぎに、駅前集合でいいかな』
吹き出しの先には、彩葉のお気に入りの植物らしい写真のアイコン。その下にはいずみのそっけない返信『わかった』が、鎮座している。既読も付いているし、その後には嬉しそうなサボテンのスタンプが踊っている。電源ボタンを二度素早く押して、今日がその当日であることをもう一度見る。やっぱり、合ってる。いずみはふっと顔を上げて辺りを見回す。もうそろそろ彩葉が来るかもしれない。まだ少しあるけれど、早く、来ないだろうか。
ばちり、と目が合う。彩葉だ。彩葉が大きく手を振りながら、いずみのいる元へと走ってくる。その透明度の高いかわいらしいワンピース姿は、女子大生の代表とでも言い表したくなる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「まだ約束の十分前だし、大丈夫」
「でもそれ、待たせた? に対する返事じゃないね」
「待ってないよ、全然」
「ふふ、それでよし」
満足そうに頷く彩葉は、ハッと何かに気付いたかのように笑みを引かせていずみをじっくりと見た。まるで高価な品を査定するかのようなその視線は、いずみに痛いくらい刺さった。もしかして自分に似合いそうな服装のリサーチは間違っていたのだろうか。自分のセンスなんて信じないで、誰かに聞いてみる方が良かったのかもしれない。などといずみから後悔の色が滲み始めたとき、彩葉はにっこりと笑った。
「いずみちゃん、めっちゃくちゃ似合ってる!」
人を褒めているというのに、褒められているいずみよりも嬉しそうなのは彩葉だった。
「そう、良かった。彩葉もワンピース似合ってる。かわいいね」
何も考えず彩葉のことを褒めるのは、もはやいずみの癖のようなものだった。高校生のときから、それは変わらないらしい。
「え、えへへ。ありがと……」
彩葉は頭をかきながら目を逸らす。褒められ慣れていないのも高校時代から変わらない。
「じゃ、行こ」
いずみはさりげなく指を絡ませる。先を歩いて、彩葉を導く。その顔が少しの恥じらいで赤くなっていることなど、彩葉には伝わらない。ただ、その手が温かいことしか。後ろで嬉しそうに笑う彩葉は、その手を強く握り返した。いつまでも離すものかという意思を感じさせるような、そんな優しさを持っていた。
何を思ったのか不意に彩葉は、いずみの手をぐいと引っ張った。道のど真ん中で向き合うように止まったふたり。信号は赤だった。
「あ、あぁ……ごめん」
「ううん、大丈夫」
週末の昼だというのに、周りには驚くほど人がいなかった。太陽は多少顔を見せているし、暑すぎず涼しすぎもしない、ちょうど良い日と呼ぶに相応しい。時間が止まってしまったようだった。その場だけ、世界にはふたりしかいないと思わせるような要素が揃っていた。
「いろ――」
「いずみちゃん」
いずみがアスファルトばかり見ていた顔を上げて言葉をもらしたまさにその瞬間、彩葉も同時に口を開いていた。しかし小さかったいずみの声は聞こえていなかったのか、彩葉はそのまま続ける。
「いずみちゃんはさ、スカートとか履かないの」
それはなんでもない、いつも通りの声で、不思議な言葉でも何でもなかった。それなのに、いずみの動きは急に止まった。一度目を見開いたかと思えば、口を開けたまま黙ってしまった。彩葉は悪いことでもしたかのようなばつの悪い表情を浮かべて、けれどその質問を撤回しようとはしなかった。
「な、何で、そんなこと……?」
「だって、絶対かわいいよ。絶対」
いずみの両手を握って力強く主張する彩葉の顔には、先程までのいたずらに失敗した子どものようなそれはなくなっていた。ただ真剣にいずみの瞳を見つめていた。
「いや、そんなの……たぶん、似合わないよ」
彩葉に絡め取られていた視線を逸らして、道路の方へ向ける。そこに小さく浮かべられた笑みは、心なしか、悲しげだった。彩葉の手から、いずみの両手が逃げる。一歩だけ下がって、それからいずみは口を開く。いつかは言わないといけないって思ってたけど、なんて呟くように声を絞り出す。
――と、小さな子どもが彩葉にぶつかった。
まだ小学生くらいだろうか、その少年は、落としたサッカーボールを脇に抱え直しながら、こちらを向いて叫ぶように謝罪を述べた。ぶつかった衝撃でいずみにもたれかかるようになっていた彩葉は、その格好のままで、少年に楽しそうに手を振る。大丈夫だよ、こちらこそごめんね、なんて言いながら。その様子が何だかおかしくて、ふたりは顔を見合わせて笑った。
まだ、言わなくたっていい。このままで大丈夫。そのうち、また言うべき日だと感じるときが来るはずだ、そのときに打ち明ければ良いんだ。ふたりでいれば何もが楽しいのに、幸せなはずなのに、いずみはこのとき、心の奥深くに、柔らかい棘が刺さってしまったような気がしていた。
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