故人の想い

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故人の想い

 俺は今、ものすごーく退屈している。  田舎行きの列車に一人乗ってるからだ。  一月後半に組まれた修学旅行を終え、二学年としての大きな行事も卒業式を残すのみとなった二月。  三年に向けての本格的な進路決定を前に保護者の同意書と印鑑を必要とする書類があって、それを丸山先生が配布し忘れるという藤木も真っ青な事態に陥ってしまった。  一年の時も担任だった生徒は、 「あ~あ、新年早々やっちまったなぁ丸ちゃん」  等々囃し立てる程度で治まっていたが、近場の生徒はともかく超遠距離の俺はどうしたらいいんだ!   って先生に詰め寄ったら、いい機会だから家族とじっくり話して来いって。  特に俺の両親がいないから、一度その話はしっかりしといた方が後々の憂いがなくていいとの事。  俺ではなく祖父母の。 「………」  それはそうかもしれないけど、そんなホイホイ行ける距離じゃないんだ。  まぁこの冬は北斗の事があったんで、自分の進路なんか頭から抜け落ちてしまってたけど。 「そんな吉野に朗報だ」  声高に宣言されて虚ろになりかけた眼を向けたら、先生がイイ笑顔をくれた。 「明後日の推薦入試の日はどの部も休みだ。その日を含めて二日間で帰ってこ れるだろ? 向こうで泊まってくれば時間的には十分足りるし、いい孝行にな るじゃないか」  ガハハと盛大に笑う先生は、自分のミスを完全に棚上げしている。  電車代も往復万単位で飛んで行くんだよ?!  ジトッと恨みがましい視線を向けて……今回は仕方ないかと溜息を吐いた。  いくら北斗の落ち込みが酷かったにせよ、自分のこれからの選択について相 談なり意思表示なりする機会はあったのに、全然持ち出しもしなかったのは俺だし。 「わかりました。じゃあ提出は休み明けってことでいいんですね?」 「もちろん。他の生徒も出来れば今週中に出して欲しいが、もう一度考え直したかったり、きちんと親に伝えてない奴は月曜日まで待つから、あとで学校に苦情が来ないようにしてくれよ」 「そう思うなら配布すんの忘れなんなよぉ~」  教師の本音に苦笑いで返す同級生は、案外大人だった。  そんなこんなで一人旅だ。  今回北斗は同行していない。  自分もその話を親とした事がなかったから、俺に倣って義父さんに進路を伝えてくるそうだ。  相談じゃなく『伝える』ってところがあいつらしい。  そういえば北斗のなりたい職業って何だ?  プロ野球選手っていう選択肢もありそうだけど、こっちから振っていい話題じゃない気がしてこれまでちゃんと訊いたことがなかった。    うん、あいつの選択肢も広そうだよな。  今だったらなりたいと思う者になれるんじゃなかろうか?  あー、けど海外留学とか大リーグとかには行かないで欲しい。  まだたった二年しか経ってないんだ。できることなら卒業してからもここを住処にして欲しい。  って思うのは自由だよな。  俺が北斗の可能性を狭めるのだけは駄目だから。  あいつはどんな形にせよ世界に羽ばたいて行ける翼を持っている奴だから。 「俺、小児科医になりたいんだ」  伯父さんも交え、四人で夕食後の一時を使い、今回の帰省の目的を果たす。  断言した俺に、じいさんとばあちゃんが揃って顔を上げた。 「医者だと?」 「本気なのかい? 瑞希」 「うん。もうずっと前から決めてる」 「だってお前……そんな事、一言も言ってなかっただろう?」  困惑を隠せないばあちゃんに、どうにか自分の気持ちを伝える。 「えっと、お金が掛かるのと、言ったら反対されそうだったから、話す決心がつかなかったんだ」  けど藤木に出会って、彼が喘息を患いながらも子供の時に感じた発作の恐怖を、良薬の開発じゃなく医療の現場で少しでも和らげてやりたい、という志に触れ、自分自身揺らいでいたおぼろげな目標が明確なモノになった。  そんな俺の決意をおじいさんは黙って聞いていた。 「じゃあ東京の方に行くつもりなの?」 「いや、高見から通うつもり」 「……金の事はいい。お前の両親の保険で釣りがくるくらいの貯えはある、と思う」  最後は自信なさ気にばあちゃんを見る、今一決めきれないじいさんに、少なからず緊張していた気持ちが緩んだ。 「そうねぇ、学校の支援制度があったから予定していたよりは掛からなかったよ」 「どういうこと?」 「交通遺児育英会だろ」  首を捻る俺に伯父さんが補足してくれる。「まぁ利用しない手はないよな、瑞希の成績なら」 「!! 忘れてたッ! 俺の成績表」 「ああ?」  いきなりの大声にじいさんとばあちゃんが同時に目を向ける。  それを無視して、向かいに座る伯父さんに焦って尋ねた。 「伯父さん、俺の成績表、見たの!?」 「成績表? 通信簿の事か?」  こくこくと頷いたら「いいや」と首を振られた。  それを見てホッと息を吐いたところで、お袋に聞いたと教えられた。 「おばあちゃん?」 「ああ。四年生になってから里香の成績がいきなり落ちたって可奈子が気にしてさ。因みに瑞希はどんな感じだったのか、お袋に聞いてたんだよ」  ウインク付きで話してくれる。 「十年近くも前の事なんて参考にならないでしょ? 授業の仕方も随分変わったみたいだし」 「そうなんだけどな。家系的な事も気になるみたいでさ。可奈子が算数苦手だったんだと。で、「自分の血のせいかも」なんて下らない事で悩んでるから、お前を引き合いに出したんだ」 「なんで俺なの? そこは父親でいいよね?」 「年代を考えろよ、それこそなんの参考にもならないさ」 「いやいや、大事な娘だよ? 伯母さんだって自分のせいかもって気にしてるのに」 「あ~……と、そこはほら、お前らだって一応従兄弟だし、習ってる内容もまだ数年しか空いてないから違和感は少ないだろ? それにお袋が『瑞希も算数はよく間違ってたよ』って言ってくれたんで、可奈子もちょっと安心してやっと落ち付いたんだから、よかったんだよ」 「お前はそそっかしいところがあったからねぇ。わかってるのに計算ミスが多くて、『もったいない』って口癖のように言ってたのを思い出したよ」  懐かしそうに話すばあちゃんだけど、思い出して欲しくなかった。  それに乗じて伯父さんまでが胡散臭い笑顔をくれた。 「ありがとな、瑞希」 「ちょっとおばあちゃん、孫を庇う気持ちはないの?」 「あるに決まってるだろう? だから可奈子さんに心配いらないよって教えたんじゃない」 「そっち?! 俺も孫なんだけど!」 「瑞希が向こうで頑張ってるのは知ってますよ。ですけど、もうおばあちゃんが口を挟む歳でもないでしょう。これからは本当に見守るだけになりそうだし」  言いながらテーブルの上に置いた進路用紙に目を落とす。  そこには第一志望から第三志望まで、自分で調べた大学の名前が俺の字で書かれていた。  後は保護者のサインと印鑑を押してもらえばいいだけだ。 「こんなにしっかりと自分の行く先を考える事ができるようになるなんて、二年前は思いもしなかったよ」 「そうだなぁ。わしも本音では不安しかなかった」  苦笑いを浮かべてじいさんが相槌を打つ。 「ええ。だって瑞希ったらおじいさん以上に不器用なんですもの。食事の事とか考えたら心配で心配で」 「悪かったね。けどおばあちゃんが台所に立たせてくれなかったのも、何もできなくなった一因だからね」 「キッチンはお袋の砦だったからな」 「あら、今は可奈子さんが仕切ってるでしょ」 「まあそうだけど」  むくれる俺に伯父さんが援護射撃をしてくれたけど、すぐに迎撃された。 「そうだ! その成績表だけど、どこに仕舞ってあるんだっけ?」 「蔵の衣装箪笥の引き出しだよ」 「蔵? なんでまたそんな大層な所に……」 「元は奥の間に置いてたんだよ。お前も覚えてるだろ?」  伯父さんに振られて思い出す。  飴色で、年季の入った重厚感ありありの古い箪笥。  何かの時にばあちゃんが開けてたのを覘いたら着物が大量に入ってたっけ。 「そういえば、なくなってたな」  思い出して呟いたら伯父さんが答えた。 「俺達がこっちに戻ることになって移動させたんだ。中身もまず使わないし。けど、お袋が生きてる内は処分しないでくれって」 「だって、婿入りしたおじいさんが私にくれた箪笥だよ。手放せないだろ」 「はいはい。ご馳走様」  ふざけて返す伯父さんだけど、あの箪笥にそんな歴史があったなんて全然知らなかった。 「あれって、引き出し引いたら音が出てたやつだよね?」 「あら、よく覚えてるねえ。『オルガンタンス』って言って、今では貴重なものなんだって?」 「そうだな、作れる職人も木材も手に入り辛くなってきてるからな」 「そうなんだ。なら明日、久し振りに音を聴いてみようかな」  成績表の事は伏せて蔵に行くよ~とだけ匂わせておく。  何も言わず蔵に入って見つかったら、あれこれ詮索されかねない。 「お前も物好きだね、それにしてもちゃんと音が出るかねえ」 「片づけてた時は鳴ってたけどな」 「そうなの? じゃあ大丈夫だね」  家族のやり取りを聞きながら、密かに明日の予定を立てる俺だった。    少しカビ臭い空気を気にしつつ、滅多に来ない蔵の重い扉を開けて電気を点ける。  途端、タイムスリップしたような不思議な感覚に囚われた。  見ただけで歴史を感じる古めかしい品々が壁一面に並び、大正、昭和、もしかしたらそれ以前の趣を漂わせている。  重ねてきた年月の重みと雰囲気に飲まれそうになりながら、目当てのタンスに対面した。 「あれ、こんなに低かったっけ?」  子供の頃の記憶ではものすごく高い印象だったのに、今では目当ての引き出しは目の前だ。  鈍色の小さな取っ手を引っ張れば、ファーともプァーとも聴き取れる音が今も鮮明に奏でられる。 『音』というものは本当に不思議だ、あの頃の記憶が鮮明に思い出される。  懐かしさに目元を緩めつつ、引き出して成績表に指を掛けるけど、幅が! 上下左右ギチギチに入ってて、爪を引っ掛ける隙間もない。 「ばあちゃん、力業で押し込んだな」  ブツブツ言いながら格闘すること数十秒。 「ウガ~ッ 取れない!」  空振りを繰り返す指先に苛ついて、ばあちゃんに負けじと荒業に出ることにした。  すなわち、引き出しを引き抜いて引っくり返して叩く! これしかない。  小ぶりな引き出しは簡単に取り外せた。  抱えるように手に持って何回か底を叩くと、ほんの少し紙が浮いてきた。 「もうちょっと……」   下を向けたままカリカリ端を引っかくと、溜めてあった十数年分の成績表が纏めてドサッと散らばった。 「わっ! 何だよ、下の方はスカスカだったのかぁ、だからばあちゃん無理したんだな」  当時の様子を思いながら、ばら撒いてしまった紙を拾い仕舞おうとして、空になったはずの箱の底に穴が開いているのを見つけた。 「え…何、この穴」  ちょうど大人の親指の付け根くらいの丸い穴は、底を叩いた時にはなかった。  ということはあれだ。底が二重になってる仕掛けが施されている!?  秘密の宝箱を見つけたような気分でテンションが上がる。 「こんな穴が空いてたら、隠してることにならない気もするけど」  なんて言いながら、ひょいと人差し指を突っ込んでみるのは、見つけたら誰でも取る行動だと思う。  前後に動かしてみただけでカタンと端の溝が外れ、カパッと簡単に持ち上がった。 「あれ、もう開いた。こんな簡単な仕掛けで意味あるのか?」  益々この隠し蓋の意味に首を捻る。  ただしこれほど簡単な仕掛けなら、そこまで大切なものをしまっておく場所でないことは察せられる。  空っぽだろうと予想したところには、一通の手紙が収まっていた。  その書かれた文字に、文字通り目が釘付けになった。 「うわ~達筆~!」 『吉野 榮(さかえ) 様』 というばあちゃんの父親に宛てた文字を見ただけで、その人の生き様…というか精神面に触れた気になる。  紙の色褪せ具合と、そこまで崩されていない文字から、明治、大正ほどは古くないのは読み取れる。 「こんな字が書けるって、昭和初期の人だよな。戦時中とか」    呟いてはっとした。  吉野の家でその時代を生きた人と言えば一人しかいない。  奥の間に掲げられた遺影の人物。  幼い頃に一度だけ訊いた、戦死したというばあちゃんの歳の離れたお兄さんだ。  好奇心から色褪せた手紙を手に取り差出人を見ると、『吉野桂吾』と書かれている。 「けいごさん、って言うのか」  言いながら、中身に俄然興味が湧いてくる。  あの時代を生きた人が親に宛てた手紙には、一体どんな事が書かれているんだろう。  細心の注意で封筒から中身をそっと取り出す。 『拝啓、父上様』 「おぉ、拝啓とか実際に使ってる手紙、初めて見た」      俺は、戦争を知らない子供だった。  本来ならその手紙は、死地に赴く人間が最期を覚悟した『遺書』に等しい神聖なもののはずだったのに、深く考えず、ただの好奇心から書かれた文字に惹かれ、中を覗いてしまった。    そこには、俺が一番知りたくて一番知りたくなかった事が、故人の『告白』として綴られていた。
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