序章

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    高見に戻ってからの出来事を思い出している間に、バスは今年の目的地『ニセコスキー場』に到着した。  ホテルに入り、各々部屋と荷物を確認したら再び集合して少しだけスキー練習をする。  中級者以上は希望すればその日からナイターの利用も有りということなので、事前に学校で配布された調査用紙にしっかり○を付けておいた。  但し注意書きに『班行動の際は他生徒の補助を優先させる事』と書かれていた。  他校では有り得ない文言を読めば、男子校の頃から変わらない教育方針が伺える。  西城高は太平洋側に位置していて、その上地元の生徒が多いので、冬山でのスポーツは体験する機会が少ない。  毎年八割程の生徒が素人な為、四泊五日の日程になっているそうだ。  ここ―スキー場―に三泊するというスケジュールは何年も変わることなく、元々それが一番の楽しみだった俺も自然と気合が入る。と言っても初日と四日目は移動に半日以上費やすから、実質三日にも満たない。  それでも一高校生がふらっと行ける距離じゃないし、気心の知れた関係だと雰囲気も悪くないどころか盛り上がるわけで。  早速夕食後、ナイター希望の参加者十数人と夜間コースに繰り出した。  六時半から八時半まで、コースの制限はあるものの自由に滑れる♪ 「すっげぇなぁ吉野! ひょっとしてプロでも目指してたか?」  リフト乗り場で横に並んだ山崎に賞賛の眼差しで話しかけられ、乾いた笑いが漏れた。 「こんなんでプロなんてなれないよ。けど滑るのは好きだし楽しい。それより山崎が滑れたことの方が驚きだ」  北斗があれだったんで、ほぼ行動を共にしてきた山崎も初心者だと思い込んでいたんだ。  ストレートに言葉にすると、何故か照れ臭そうな顔を向けられた。 「親父とお袋が知り合ったのが信州のスキー場だったんだ。んで、俺も小さい頃から一緒に連れて行かされてさぁ。野球始めて回数は減ってったけど、身体は覚えてるもんだな」  うんうんと満足げな評価を下す山崎に、ふと訊いてみた。 「もしかして、今年の冬休みも行って来た?」 「お、良い勘してんな。やっぱ年数開いたら怖いしよ」 「わかる。俺も田舎で滑ってきた。ついでに北斗にも基礎だけ教えてやったよ」  俺達の事情を一番よく知っている山崎には、田舎の話も普通に通じる。 「あの寒がりに? すげぇじゃん。俺も何回か誘ったけどОK貰ったの一回もない」  少しだけ悔しそうな山崎は、滑る楽しさを北斗にも教えたかったんだろうけど、その誘いに乗ることはまずなかったと言い切れる。  ウェアで着膨れ、益々厚みの増した背中を軽く叩いた。 「まあまあ。北斗だったら相手が誰でも家族の中には入らないと思うよ」  その辺は山崎も心得てるようで、少しだけ唇を尖らせた。 「かもしんねえけどさぁ、西城から友達だけでスキーって端から無理じゃん」 「確かに」 「お互い親だってよく知ってんだから、ちょっとくらい付き合ってくれたってなぁ」  友達がいのない奴だよ、等々文句を言い始めたら止まらなくなった山崎にリフトの番が来たことを告げて、二人乗りの座席に並んで座った。  北斗の過去の話を聞いて、それまで漠然とイメージしていた性格や思考が、かなりの信憑性でもって肯定され、補足されたように思う。 『捻くれてる』と評した面が、離婚後に受けた周囲からの影響だったり、それでも人に優しくいられるのは、山崎や和美おばさん、仁科さんのような人が傍にいてくれたからだったり。  その一端を俺が担えなかった……それどころか幼かった北斗に『友達との死別』を体験させてしまったことは、今でも本気で悔やまれる。  じいさんがランを迎えに行った時に会えてさえいれば。  それに関しては、じいさんも高見の家で後悔を口にしていた。  あの時、北斗が「あれでよかったんだ」と言わなければ、じいさんだけでなく俺まで一生引きずりそうなくらい、彼の幼少期の記憶は生々しいものだった。  隣に座り屈託なく話し掛ける山崎の存在が、どれほどあいつを救っていたか。  多分、山崎も気付いてない。北斗はそういうことを一切口にしないだろうから。  叶うなら俺が居たかった。  けど、山崎がいてくれてよかった。  嫉妬半分、感謝半分で、これまで思いもしなかった抱き付きたくなるような感情と、抓ってやりたくなる衝動がせめぎ合い、結局何もせず大人しく話に付き合う俺は、やっぱりこいつの事をすごく信用しているんだ。 「にしても、ナイターって昼間より興奮すんなぁ」  滑走するスキーヤーを目で追って、山崎が楽しそうに言う。  さすが体育会系、暑さだけでなく寒さにも強そうだ。こいつに付き合う彼女は大変かも。  そう思ってはっとした。自分の体力に合わせたハードなデートを敢行していたとか。  もしかしてそれが別れた原因? 「山崎さぁ、新しい彼女作んないのか?」  閃いたところで直接問えるわけもなく、遠回しに彼女について触れてみた。  去年の一学期までは「彼女が欲しい~」ってしょっちゅう口にしてたのに、西城祭の後にできた彼女と年越しを待たず別れて以来、まったく言わなくなったのが気になっていた。  ちらりと横顔を盗み見たら、そんなことを話題にされると思いもしてなかったのか、明らかに動揺を見せている。 「な…何だよ、いきなり」  上擦る声が怪しすぎる。 「や、別にどうでもいいんだけど、あんなに『彼女彼女』って連呼してたのに、別れてから一度も彼女欲しいって言わないし、何かあったのかと思って」  ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。 「――『何か』って?」  逆に訊かれ、「う~ん」と経験値皆無の頭で考えてみた。 「隠された女の本性を知ってしまった! とか?」 「………」  ふざけて言った俺の言葉が、無言で返された。 「まさか、そうなのか?」  一体何を見たんだ?  そんな興味がぶわっと膨らむ。  それに気付いたらしい山崎が、憮然と答えた。 「何もねぇよ。ってか他の奴らは俺が振られた前提で慰めてたけど、吉野はそう思わねぇの?」 「あれ? 言われてみればそう取れるのか?」  指摘されて初めて気付いた。 「あのなぁ」  物言いたげにジト目を向けられたけど、元々深く読んだ末の結論じゃないから、そこを突かれてもなんとも答えようがない。  ただ事実だけは告げておいた。 「理由なんか当事者にしかわからないだろ? 可能性は五分五分だし、それに俺、相手の名前も知らないよ」  自慢じゃないよな、と思う。  同級生だとは聞いたんだけど、それ以上の事は詳しく知る前に別れてしまったから紹介もされてないし、もちろん一緒にいる所を見かけたこともなかった。 「そか。なら彼女の名誉の為に言っとくけど、いい子だったぜ」 「ふーん、それなのに別れたんだ。しかも結構早かっただろ?」  確か二ヶ月にも満たなかった。性格とか、そんな短期間で見極められるものなのか?   今まで一度も付き合ったことがない俺には、よくわからない。 「まあな。けど今回はマジいい子だったんだ」  しみじみと呟く山崎に目を遣った。  それなら何故? という想いが一層強くなる。  山崎にもその気持ちが伝わったんだろう、フッと息を吐いてポツリポツリと語り出した。  相当の情報量を持つ山崎も、自身については滅多に漏らさない。  それなのに俺には結構打ち明けてくれる。  それは、ほぼ初対面の状況で北斗―成瀬の情報を与えてくれた時からずっと変わりなかった。 「実は俺…だけじゃねぇけど、野球部のメンバー甲子園からこっち、すっげぇモテてたんだぜ?」  はにかんで言われると何だか可愛い。しかも全然自慢に聞こえないのが不思議だ。 「あー、知ってる。小野寺会長の歯止めもあんまり意味なさそうだったよな」  あれだけ特別扱いしないよう念押しした結果があれか。  そう思いつい溜息を零すと、すかさず隣から声が上がった。 「いやいや、効果はあったぜ。北斗や裕也はあんま変わらなかったかんな」 「そうか?」  疑心に満ちた口調にも、横に座る男は動じなかった。 「ああ。その代わり、それ以外の奴らが日の目を見た! って感じだ」  嫉妬するでもなく明かす。  他の部員にとってあの二人はすでに論外なんだろう。  松谷に至っては本命―らしき彼女もできたし。  同じところに思い至ったらしく、山崎の表情が僅かに緩んだ。 「裕也は大々的に公表したし、北斗は前から全然なびかない。教室で呼び出されてもその場で即断ってるし、場所を指定されたりしたら絶対そいつには近付かない。あの徹底ぶりはいっそ清々しいぜ」  幾度となくそういうシーンを見てきたんだろう。何かを思い出し一人頷く山崎は、幼馴染のそんな冷ややかな一面を厭うより羨望に近い心情で、それでもその頑なさを心配して見守っていたような気がする。 「そこで男のジェラシーを買わないのはなんでかな?」  ちょっと気になって訊いてみたら即行で返された。 「そりゃ、外面がイイだけの軟派な人間じゃねえからな」 「え、言い切るんだ」  北斗が女子以上に男連中に人気があるのは知ってたけど、この幼馴染をしてここまで言わすか、と驚き半分隣を伺うと。 「一度でも一緒のクラスになった奴やチームメートは、あいつがどんだけ苦労してきたか知ってるからな。むしろ特別な子を作らない方が謎だったんだよ」  誰か傍にいれば気持ち的に癒されるだろ、と経験したような事を瞳が語っている。 「確かに」  素直に頷くと、俺の方をちらっと見た山崎はどことなく複雑な表情をしていた。 「そんな奴をだ、勝手に場所指定で呼び出すとか、自分を何様だと思ってるんだって話」  あー、その感覚はわかる。わかるけどそれはもう身内の感情だろ? とも思う。  ただ山崎の表情を見ていれば、甲子園出場後の出来事ではないと察しがつく。 「それってもしかして、けっこう頻繁にあった?」  訊いた途端、いつも陽気な印象を与える瞳が盛大に曇った。 「まあな。中一の頃は上級生からの呼び出しがほとんどだったんで無視もできなくてさぁ。学校での北斗の自由時間は他の奴の半分以下だったな」 「それは……うん、羨ましいより同情しそうだ」 「だろぉ? 帰ってきたらすっげぇ機嫌悪い時あるし、気になって内緒でこっそり後つけたりしてさぁ」 「山崎も?!」 「『も』?」 「あ、いや、何でもない」  あの西沢が北斗の後を追った事を思い出し、つい声を上げてしまった。「それで? 気付かれなかったのか?」  気になって聞けば、「俺がそんなヘマするかよ」と平然と答える。  こいつは……将来不動産業を継がなくても、探偵でもやっていけそうだ。  そんな事が頭を過ぎった俺とは対照的に、当時を思い出したらしい山崎が、やたら重苦しい溜息を吐いた。 「ぶっちゃけ、あんまいい気分じゃなかったけどな」 「当然だろ」   尾行は駄目だ、との意思表示でもって見返したら、首を横に振られた。 「後をつけたことじゃなくてさ、相手の一方的な好意を押し付けられても、どうにか穏便に断ろうとしてるのを見ちまったんだよ」  俺だったら喜んでお付き合いさせてもらっちゃうんだけどなぁ、なんて最後はふざけた山崎だけど、きっとそんなの序の口だったんじゃないだろうか。  なびかない北斗に暴言を吐いて立ち去る女の子や、泣き落としにかかる姿が容易く想像できてしまう。  だってあの北斗を呼び出すなんて、相当自分に自信があるか気の強い子の選びそうな手段に思えるから。  簡単には諦めてくれなさそう。 「とことん苦労人体質だよな」 「だな…って、ありゃ? もう着いた! 何だよ~、北斗の話で終わっちまったじゃん」  頂上を目前に声を上げた山崎だけど、この機会を逃すつもりはない。 「一緒に滑るんだからまた下で会えるだろ。俺、こぶのコース行くから下で待ってるよ」 「マジか?! オリンピックも狙うつもりか?」  ものすごくびっくりされたけど、うん、こっちの表情の方が断然こいつらしい。 「こんな環境、田舎のスキー場じゃ有り得ないから堪能したいだけだよ。じゃ下でな」  ストックを持つ手を軽く上げて、上級者コースに向かう。  夜間だから距離は短いけど、それでも十分楽しめる。  さっきはたまたま山崎と前後して急勾配の斜面を滑走してきた。  まだ初日、リフトも含め同じコースに一時間ほど費やして、準備運動に丁度いい感触を得た。  残り四十分、リフトでの暇潰しも思いがけず見つかった俺は、意気揚々と人工的に作られた数々のこぶを制覇していった。
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