花の下

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「おばあちゃん、店番代わるわ」  慎一は、店と居間を仕切るガラス戸を開けて、ショーケースを磨いている祖母に声を掛ける。 「なんえ? 珍し。別にかまへん。奥でゆっくりしときよし。おまん欲しかったら、もっていきや」  祖母が怪訝な顔をする。 家の手伝いは進んでする慎一だったが、常連さんの多いこの店の店番をするのは苦手で、祖母がお使いに行っている間くらいしか店には立たない。慎一が店にいると、近所のおばちゃん達にあれやこれやと話しかけられるから。  でも、今日は――。 「こんにちは」 「へぇ、いらっしゃいませ」  声を掛けられて、慎一の方を見ていた祖母が振り返った。 「あ、慎一くん!」  慎一を見つけ、にこにこと手を振る高嶋。 「慎一、知り合いか?」  祖母の目は高嶋へ向けられたまま。 「あ、うん。なんかさっき、こっちに来てるからって、急にラインが入って」  歯切れの悪い慎一の言葉に続けて、 「初めまして、佳乃(よしの)さん。高嶋と申します。慎一くんからお噂はかねがねお伺いしています。本物にお会い出来て光栄です。――本当に綺麗な人だね」  高嶋は祖母に挨拶をしてから、部屋から土間に降りてこちらに出てきた慎一に視線を向けた。佳乃は祖母の芸妓時代の名だ。イントネーションは「よ」じゃなくて最後の「の」にアクセントをつける。高嶋の発音は、あっていたけど。 「あんたに、こないな色男の知り合いがいてはるなんてなぁ。ふうん」  にこにこしてるんだけど、なんとなく恐い。見透かされてる気がするのは気のせいかな……。慎一は居心地が悪くなってきた。  今日は四月二日。 慎一は、学院を卒業し、進学予定の聖ステファノ大学の近くにワンルームマンションも借りた。引っ越すのは来週で、入学式の前々日。それまでは実家でのんびり。のはずだったんだけど。 「年度初めで、仕事忙しいんじゃなかったっけ? 何しにきたの?」  思わずつっけんどんな言い方になった慎一に、 「そりゃ、この時期の京都に何しにって、花見でしょ? 一日だけだけど、今日は休みだし」 「は? 日帰りするの?」 「大丈夫、最終ののぞみは九時台だから」 「桜なら、東京にもあるだろ? 上野公園とか、千鳥ヶ淵?とか。それでなくても観光客でごった返してるこの時期に、わざわざ京都まで花見に来る?」  慎一は、高嶋が自分に会いに来てくれたんだって、わかっていた。けど、なんだか照れくさかったのだ。 「えー、でも京都のベストシーズンはいつ頃? って訊いたら、桜の咲く頃って言ったの慎一くんだろ?」  ぐ、確かに言ったけど。 「慎一、せっかく来てくれはったんやさかい、案内したげ。花見だんごでも、桜餅でも、好きなん持っていきよし」 「うわぁ、ありがとうございます。どれも美味しそうですね」  祖母の言葉に、高嶋は嬉しそうに破顔する。 「あ、草餅もある。これ好きなんだよね? 慎一くん」 「おじいちゃんのお菓子は全部美味しいから」  祖母は適当にお菓子をパックに入れながら、高嶋に聞く。 「一人で来なはったんですか?」 「ええ、急に思いついて来たので。こっちまで来たら慎一くんと会えるかなと思って」  高嶋の言葉に慎一は内心ハラハラしていた。 「そうですか。――時間あるんどしたら、晩御飯家で食べてかはりますか?」 「それは是非!…って、頷いていいのかな? えーと何回か辞退した方がいいとか? それとも実はそれって社交辞令だから断るのが常識。とか?」  嬉しそうに返事をしたものの、不安になったのか、高嶋は慎一の方を見て、確認してきた。 「どんだけ京都人はイケズやと思われてんだか……。こっちから誘ってんだから素直に頷いといたら?」  溜息混じりに慎一が答えると、祖母はくすくすと笑いだす。 「面白いお人やなぁ、どういうお知り合いかはまぁ、そのときに聞きましょか」  慎一は上着を羽織り、スマホと財布だけを持って部屋から土間に降りる。高嶋は祖母が包んだお菓子を受け取って、礼を言っていた。 「――半木(なからぎ)の道はまだ早いかもしれへんけど、上賀茂さんからの河原沿いは今綺麗やって、崎田のおばちゃんが言うてたえ」 「せやな。比較的空いてるんはその辺か。わかった。おおきに、おばあちゃん。ほな、行ってきます」 「はい、おはようおかえり。気いつけてな」 「うん」 「じゃあ、お預かりします」 「へぇ、よろしゅう」  頭を下げて歩きだした高嶋に、祖母は丁寧にお辞儀を返した。    タクシーを拾おうと大通りに出たけれど、 「今の時期って流しのタクシーなかなか拾えないんだよね。――先に御所の桜から見に行く?」  走っているのは賃走ばかりだったので、慎一がそう提案する。ここからなら御所までは歩いていける。あそこはだだっ広いから混まないだろうし。 「ふふ、任せるよ。今日は慎一の考えたコースでデートしよ」  楽しそうな高嶋。デート、だよね。嬉しいけど、 「いきなりだもん。びっくりした」  歩きながら、少し拗ねたように、慎一が言う。 「んー。急に思い立ってね。慎一に会いたかったし」 「僕がどっか出かけてたらどうする気だったの?」 「そんときは、おじいちゃんおばあちゃんのお店だけでも覗いて帰ろうかなーって思って。ほんと別嬪さんのおばあちゃんだね。びっくりした。慎一に似てる」  九条の祖父は、慎一は母似だというし、父母しか知らない人はそう言うけれど、祖母の若い頃を知っている人は、口を揃えて若い頃の佳乃さんそっくりやな。と言う。顔もだけど、雰囲気が似ているらしい。  喜んでいいのかどうかは微妙だけど、祖母ははんなりしたタイプじゃなくてきりっとしたタイプの芸妓さんだったらしいから、それならいいか。と慎一は思う。 「はぁ、でもおばあちゃんとしゃべる慎一くん見れただけで、京都まできて良かったよ。可愛すぎる…。ほな、とか何? ほなって、くー!」  高嶋が萌えてる。  彼の前で京都弁をしゃべるのは恥ずかしい。だが家族の前で標準語をしゃべるのは、かなり、いやめちゃくちゃ恥ずかしいということにも慎一は気が付いてしまった。 (ご飯のとき、どっちに合わせるんが正解なん? 使い分けるの無理……) それに――。 「幸成さん、まさか、本当に、その、――挨拶しに来たんじゃないよね?」  高嶋の顏を見ずに、慎一は下を向いたまま訊いた。 「んー、ご両親にお会いするのはまだ早いかもだけど、慎一おばあちゃん子だろ? だから、おじいちゃんおばあちゃんに会ってみたかったんだよね。余計なことは言わないから。大丈夫」  そう笑って、慎一の頭をくしゃくしゃと撫でる。  慎一は、ほっとしたような、がっかりしたような、自分でもよく解らない気持ちになる。でも――。 「来てくれて、嬉しい。……会いたかったし」  下を向いたまま、ぼそりとそう言った。 「ヤバいな、抱きしめたい。やっぱ日帰りつらいな」 「ばか」  赤い顏で高嶋を睨んだ慎一に、彼は嬉しそうに笑った。    広い御所を散策してから、二人は大通りに出た。 「京都初めてじゃないよね? 幸成さん」 「うん。何回か来たことあるよー。いかにもな観光名所しか行ったことないけどね」 「んじゃ、お昼ご飯は地元民っぽいとこでいい?」 「お、そっちの方が断然いいかも」  それじゃあと、慎一はタイミングよく来たタクシーを拾う。  降りたのは商店街のど真ん中。いかにも大衆中華という感じのお店。 「へえ、面白いなー、うんうん、地元っぽい」  店に入ってからも、きょろきょろと高嶋は楽しそうだ。 「ここ、冷麺が人気で、一年中食べられるんだ。ときどき無性に食べたくなるんだよね」  慎一がそういうと、高嶋は迷わず冷麺にした。ハムと焼き豚の二種類があるのだが、慎一のおすすめは焼き豚だったので、二人ともそれにした。シェアするつもりで天津飯と春巻きも頼んだ。 「なんか俺の知ってる冷やし中華と全然違うな」  運ばれてきた冷麺を見て、高嶋が言う。  具はキュウリの千切りと焼き豚のみ。あと上にざるそばのように海苔が振られている。 「美味い。ハマるな、これ。タレにはマヨネーズとカラシ入ってるね。あとは分かんないけど」 「ふふ。でしょ?」  気に入ったらしい高嶋に、慎一の頬が緩む。自分の美味しいと思うものを、好きな相手が美味しいって同じように思ってくれるのって、単純に嬉しいと思う。 「マヨラーの慎一が好きそうな味だな。俺も好きだよ」  そういう風に相手のこと分かってる感出されるのも、嬉しいと思う。  あとから来た天津飯を食べて、甘くないって高嶋が驚いていた。関東では甘酢餡が一般的らしい。 「こっちでは、甘くないのが当たり前なんだけど」  関西では醤油ベースが一般的だ。甘酢餡の天津飯が納得出来ない慎一に、高嶋はにこにこ楽しそうに言った。 「ふふ、面白いね。所変われば常識も違って。慎一の『当たり前』をもっといっぱい知りたいなぁ」  高嶋は、その天津飯を美味しそうに食べている。春巻きも、皮も中身も全然違う。別もんだなー、美味い。って、嬉しそうに頬張って。 東京に戻ったら、関東風の天津飯を食べてみようかな。と慎一は思った。  そのあと、商店街を歩いてそのまま今宮神社に向かった。神社にも桜はあるけど、お目当ては桜じゃなくて、あぶり餅。  きな粉を塗したひと口大の小さなお餅を、炭火で炙って味噌餡をかけたものだ。  歩いて行ける距離だし、行く道の桜も綺麗だし。古い茶店の雰囲気も京都らしい風情がある。出がけに和菓子持たされたけど、それはそれ、これはこれだ。 「そんな有名な観光名所を歩いてるわけじゃないのに、すごいな、京都って」 「何が?」 「桜多くない?」 「そう?」  慎一は、あぶり餅を食べながら首を傾ける。  確かにこの時期は至るところで桜が咲いている。中華屋からここまでの道沿いには、神社も学校もあって、その両方に大抵桜はある。慎一にとっては見慣れた光景。  でも日本中そんな感じだよね。と慎一は思う。 「京都は、小さい範囲に学校とか神社仏閣が多いからかな? あと、今から行くけど、賀茂川とかの川沿いもずーっと桜だし」 「うーん。俺も全国の桜見て歩いた訳じゃないし、東京も有名どころしか花見に行ったことないからエラそうなこと言えないけど。なんか分かった気がする。なんでみんなわざわざ京都まで花見に来るのか」  高嶋が感心したように言う。自分もそうやん? と突っ込みそうになった。 「逆に僕は不思議だけどね。桜なんてどこでも一緒だと思うよ? なんでわざわざ京都まで来るん?って」 「慣れちゃってるんだよ。贅沢だなー」 「ふぅん? じゃあ、今からとっておきのとこに連れてってあげる」  慎一はそう微笑んだ。    次はタクシーで上賀茂神社へと向かう。頑張れば歩ける距離だけど、歩いてばっかりになるからやめた。  下鴨神社の方がメジャーなので、こっちは比較的人が少ない。場所も西北の外れだし。  慎一が、祖父母も両親もここで結婚式を挙げたのだと言うと、高嶋は、じゃあ、俺たちも、と予想通りの事を言ったので、思わず冷たい目で見てしまった。――嬉しかったけど。  ここも敷地が広くて、小川も流れてて、後ろが山だから、市内とは思えないくらい緑が溢れている。  さっき行った御所は広大な敷地内に森がある感じだし、他にも船岡山とか、糺(ただす)の森とか、鴨川河畔とか、京都市内はわりと緑が多い。大きな神社仏閣の敷地には広い庭園があって、山や森が隣接していたりもするし。  高嶋と並んで苑内を散策していると、ひらけたところでシートを引いてお弁当食べている親子連れや老夫婦、カップルの姿がちらほら見受けられる。神社の敷地だし、大勢で昼間から酒を飲んでいるような輩はいない。  枝垂れ桜が有名な円山公園なんかは、祇園界隈にあるから人が多すぎて、慎一はほとんど行ったことがない。夜は酔っ払いが多いみたいだし、特にこの季節は近寄りたくない。いくら花が綺麗でも、周りがゴミゴミしてたら情緒も何もあったものじゃない。と慎一は思う。  枝垂れ桜なら、ここにもあるし。  目の前に垂れ下がる、ソメイヨシノより少し小振りで濃いピンクの花に、慎一は一瞬だけそっと触れる。 「綺麗だね」 「ふふ、でしょ? 円山公園より、僕はこっちの枝垂れの方が好きかな。向こうの方が大きいから迫力があるけど、こっちの方が、色が綺麗だし」  微笑んだ慎一を、高嶋が後ろからハグしてくる。慎一は、慌てて高嶋の腕をすり抜けた。  人目! 気にして! と、上気した頬で睨む慎一に、高嶋は笑って肩を竦めた。 (――だから、そういう仕草がカッコいいって、なんなの?!)  そのままずんずん歩く慎一に、たいして慌てるそぶりもなく高嶋は追いついて並ぶ。コンパスの差が、ちょっと悔しい。  そうして歩いているうちに、賀茂川の河畔に出る。この辺りはかなり上流だ。もう少し下がると高野川と合流して鴨川になる。 「うわ、……凄いな」  思わず高嶋が声を漏らす。橋の袂から見る景色は、圧巻だった。  もともと賀茂川の河川敷はきれいに整備され、木々も多くて景色が良い。今は両岸の桜並木が満開で、ずっと先まで薄ピンクの霞の帯のように続いている。  堤防の道端に植えられた桜は、河川敷に向かって枝を下ろしていた。  二人は下流に向かって、車がギリギリ行き違いできるかどうか、という道幅の堤防を歩く。  この辺りは堤防を挟んですぐに古い住宅が立ち並んでいる、普通の住宅街だった。 「この辺の家の人、羨ましいなぁ」  高嶋は上を見ながら歩いてる。 「だね、窓から花見。玄関出たら桜の壁だ。花が終わったら掃除が大変だろうけど」  しばらく歩くと、家側にも桜が植わっているところがあって、桜のトンネルになっている箇所がある。伸びて重なった枝の先まで見えないくらいびっしり花がついていて、薄ピンク色の花のトンネルが出来ている。ここまで至近距離で密集した桜が見られるのはここだけで、一年の内でほんの一週間もない。  今が満開で、風が吹くとちらちらと花びらが舞っている。あと二、三日で散り始めるだろう。 「このへんが、僕のとっておきかな」  トンネルの途中で立ちどまった慎一は、自分のものでもないのについ自慢げに言った。 「すっげ、最高。――ありがとう、慎一」  桜の下で、高嶋が微笑む。慎一は、桜よりそっちに見惚れてしまった。 「…あ、」  車が来たので、高嶋の手を引いて端に寄った。――顏が近付いてきて、慌ててて身をかわす。だから! 人目! 慎一はこんなに周りに人がいるのに、隙あらばくっつこうとする高嶋にドキドキする。  川沿いはずーっと何キロも桜並木が続いているので、花見客も分散する。人はいるけど混雑することはない。河川敷にはベンチもあるし、土手に座ってゆっくり桜を見る人、そぞろ歩きの人。このくらいの人出なら良いなと思う。みんなにこにこしてるし、和む。 「降りようか」  慎一は、草で覆われた土手を降りようと、掴んだままだった高嶋の袖を引いた。桜の枝は、土手に降りたらすぐ触れるところまで伸びている。土手の下から見上げる桜もすごく綺麗だから。  ところどころに石段はあるけど、そんなに急な土手じゃないからどこからでも降りられる。 「うん。――て、わっ!」  足を滑らせた高嶋が、尻もちをつく。というより寝そべってしまった。 「ごめん! 大丈夫?」  きれいに滑り落ちたし、下草は柔らかいけど。  スニーカーの慎一と違って、高嶋は革靴だった。段ボールで滑って遊んでいる子どももいるくらいなのに。 横着せずに石段から降りればよかったと、倒れた高嶋の顏を覗き込んで、慎一が謝る。 「へー。絶景だ」 「え?」  高嶋の言葉に、慎一が首を傾ける。 「上見て」  高嶋の脇に膝を着いたまま、慎一が上を見上げる。空と桜の花しか見えない。ピンクと水色の世界。 「ほんとだ。綺麗」  振り向いた慎一に、高嶋がスマホを向けていた。シャッター音で、写真を撮られたと気付く。 「ちょっと、幸成さん!」  近過ぎるし! 慎一がスマホに手を伸ばすのを躱して、画面を確認する。 「うわー、俺才能あるかも。下川に自慢しよ」  下川さんは高嶋の会社のカメラマンだ。 「やめてよ、恥ずかしい!」  手を伸ばす慎一に、高嶋が画面を見せる。 「ほら、すごく綺麗だよ。いい笑顔」  高嶋はにこにこしてる。撮られると思ってなかったし、油断してた。と後悔しながら画面を見ると、桜をバックにした自分の笑顔。思ったほどアップじゃなくて、逆光だからそんなに顏が目立たななくて後ろの桜に目がいく。  しょうがないな、もう。と諦めて、慎一は高嶋の横に寝転んで花を見上げる。周りを見れば。同じように土手に寝転んで上を見上げる人も、結構いた。  ――うん。この構図は確かにいいけど。 「僕の顏無しで撮ればいいのに」 「慎一の顏があるからいいんだよ」 「見せないでよ? 人に」 「了解」  上を向いて寝転んでいたはずなのに、高嶋はいつのまにか、肘枕をして慎一を見ている。 「それじゃ、桜見えないよ」 「見えるよ。慎一とその向こうにずーと続く桜並木」  言われて横を見ると、確かに、遮るものが何もないから寝転んでいてもずっと向こうまで続く川沿いの桜が見える。 「ほんとだ」  また、シャッター音が響く。 「おぉ、可愛いなぁ、慎一の後頭部」  嬉しそうに見せてくるけど、後頭部の何が可愛いんだ。普通に桜の写真撮ればいいのに。と思う。 「気持ちいいな」  写真はもういいのか、高嶋が寝転んだまま目を閉じた。  今日はお天気で、そんなに風もない。日当たりの良い河川敷はぽかぽかで。桜の木漏れ日が高嶋の顏を照らす。  慎一は、身体を起こしてポケットからそっとスマホを出す。シャッター音は消せないから――。気付かれちゃうなと思いながらも、高嶋の顔を画面越しにみる。  ひらりと落ちてきた花びらが、高嶋の唇にとまる。思わずボタンに触れてしまった。  響くシャッター音に高嶋が目を開ける。 「お返しだよ」  そう言って花びらに伸ばした慎一の手を、高嶋が掴む。そのまま指ごと花びらを食べた。慌てて手を引っ込めたけど、高嶋は楽しそうに笑ってる。 「もう! お腹すいたの?」 「ふふ、桜の花って食べられるんだろ」 「食べられるけど、そのままで美味しいもんじゃないって。食べるなら、お団子にして」 「だな。まさにこのためにあるんだもんなー。花見団子ってさ」  高嶋は起き上がって、途中で買ったお茶のペットボトルとお菓子の包みを、袋から出した。  慎一が包みを開くと、花見団子と草餅と桜餅が二つずつ。二人なのに六つもある。まあ、食べられるけど。  二人は並んで桜を見上げながら、おやつを食べた。    家に帰ると、茶の間にごはんの用意がされていた。特にごちそうという訳でもなく、普通の晩御飯。カレイの煮つけと、小松菜と揚げさんの炊いたんと、お豆腐屋さんのひじき煮と、白豆腐。春キャベツのお漬物。  淡白過ぎて、高嶋には物足りないんじゃないかと思ったけど、美味しいと喜んで食べてくれている。  珍しく晩酌をしている祖父と高嶋の前にだけ、なまこ酢。酒の肴だ。  無口で愛想のない祖父だけど、高嶋と熱燗を呑みながらなんだか楽しそうに見えるのは、多分気のせいじゃない。祖母はこういうときお酌とかしない人だから、男二人でお酌し合ってまったり杯を交わしてる。  こういうところ、凄いよなーと、慎一は感心する。普通に馴染んでるし。色っぽい意味だけじゃなくて、ほんと人たらしなんだよね、幸成さんは。と思う。 「確かにえらい年上やなぁ」  祖母が含みのある目で慎一を見た。 ……やっぱりバレてる。と、黙ったままの慎一に、 「まぁ、いっぱい甘やかしてもろときよし。気ぃの休まる暇はあらへんやろけどなぁ」  くすくすと楽しそうに笑う。 「ええ虫除けあらへんかなぁ」  ぼそりと零した慎一に、 「あるかいな、こんな色男に。モテる男の何があかんのん? 浮気するせぇへんはそんなん関係ないえ。モテへん男ほど女の尻追っかけまわすもんや」  呆れたように、でも一応声を潜めてそう言った。 「色恋は惚れた方が負けやさかいなぁ」  祖母は婀娜っぽい笑みを浮かべると、 「心配せんでもあんたの勝ちや」  内緒話のようにこっそりそう言った。  あっという間に時間は過ぎて、帰る高嶋を送ろうと慎一も家を出た。最寄りの地下鉄の駅まで、一緒に歩く。 「お地蔵さんがいっぱいあるな」  ふと、道端の祠に目を止めて高嶋が言った。京都の町なかには、至る所に小さな祠に入ったお地蔵様がいらっしゃる。 「そうだね、たいてい各町内に一つ以上はあるかな。ちゃんとお花も上げて、毎日持ち回りでお掃除してお茶かお水を上げて、大切に祀ってるんだ。地域にもよるけど、この辺はまだちゃんとやってるよ」  高嶋はその祠を覗きこむ。 「ほんとだ。お花も綺麗だし、お茶が供えられてるね。京都っぽいな」  立ち止まって手を合わせた慎一に倣って、高嶋も手を合わせる。 「夏には地蔵盆があって、子どもの頃は楽しみだったよ。お地蔵さんの祠の前にゴザ敷いてテント張って、子どもの名前を書いた提灯をぶら下げて」 「ここにゴザ敷くの?」  高嶋は不思議そうに今立っている細い路地を指さす。 「そう、その日はこういう私道っぽい路地は車止めちゃうんだ。地蔵盆優先。文句言う人なんていないよ」  慎一が笑う。 「それで、お坊さんが来て、お経上げて数珠回しして、町内の子どもたちといっぱい遊んで、お菓子やおもちゃも貰えてさ。お地蔵様は子どもの守り神だからね。賑やかな子どもの声を喜ばはるんやって」 「そっか、じゃあ、慎一も守って貰ってこんなに大きくなったんだな」  高嶋が慎一の頭を撫でて、もう一度、お地蔵さまに手を合わせた。なんとなく気恥しくて、下を向いたままゆっくり歩きだす。  そうして、慎一はわざと曲がるべき角を通り過ぎた。余裕を持って家を出たから、少しくらい遠回りしても大丈夫だよね。と心の中で言い訳をする。 「いいとこだな。……なんか住みたくなる」  人通りのない裏路地を歩きながら、高嶋がぽつりと零す。 「老後は京都もいいかもね」 「それいいな。伯父さんは田舎に引っ込んだけど、俺たちはUターンで京都暮らしかー。うん、いいかも」 「ちょ、冗談だから」  軽く流してくれると思ったのに、妙に乗り気な高嶋に慎一が慌てる。 「そうなの? ま、でも選択肢の一つにいれとこうね。東京も悪くないけど、俺はずっと東京だからさ、いつか他の土地にも住んでみたいんだよな」  その時、自分は高嶋と一緒にいるのかな。と思う。そのつもりで話している彼の口調。 「お、すげー、夜桜だ」  思わず見つめていた高嶋の横顏が、綻んだ。  路地を抜けて小学校前の歩道に差し掛かる。歩道沿いの桜並木。ライトアップされている訳ではないけれど、街灯の明かりが桜を淡く照らし出していた。  桜の下で立ち止まり見上げる高嶋の腕に、慎一は腕を絡める。  いいよね。暗いし、誰も歩いてない。 「ん? 寂しくなっちゃった?」  いくら強がっても、慎一の胸の内なんて高嶋にはお見通しで。  このまま別れるのが寂しくて、高嶋の肩に額を押し付けた慎一の顏を上げさせる。 「可愛いなー、このまま連れて帰りたいんだけど」  高嶋が苦笑して、そっと口づけた。あやすような優しいキス。 「ふふ、がっつりベロチューしたいけど、収まりつかなくなりそうだから、また今度」   そして頬にちゅっとして、高嶋が離れた。慎一は、ベロチューして欲しかった。と物足りなく思う自分の思考が、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。  そのまま、高嶋は慎一の手を引いて歩きだす。大通りに出るまでは、このまま、手を繋いでいたい。 「待ってるよ」  高嶋が呟くようにぽそりと言う。  顔を上げた慎一に視線を落とす、高嶋の優しい笑み。  来週、引っ越しが終わったら、慎一は高嶋の家に行く。一緒に、暮らし始める。 一緒にご飯を食べて、一緒に眠って、目が覚めたら、隣に高嶋がいる。  そう思うだけで慎一は、顏が綻ぶのを抑えられない。   祖母はああ言ったけれど――。 (惚れた方が負けなら、……きっと僕の完敗だな)  慎一はそれを悔しいとは、思わなかった。                              * fin *
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