導火線は、冬にこそ走り。

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 私は別に、動物愛護に人生を捧げているわけじゃない。生き物の命は毎日のようにいただいているし、動物の皮を使った製品も持っている。淘汰の意味も知っているし、糞便や悪臭、あるいは病気の蔓延があることも十分に理解している。  だけど、具体的な活動はできずにいた。本当に弱り、死んでいく子を見ていられなかったからだ。どう取り繕っても、可哀想な子から目を背けたがる臆病者だったからだ。  私が継続してやれることと言えば、寄付や仲間への宣伝ぐらいだった。そんな程度で、今まで私が(しょく)してきた生き物に報いるなんて言えるはずがない。せめてメルを守り、生涯を必ず添い遂げることぐらいしか私にはできない。この肉体を育ててくれた動物たちのほんの一部にでも恩返しをしたいと思っていた。それが「いただきます」という言葉の本質であると日々考えていた。  その無力感に、新しい風を吹き込んでくれたのが、ハクセキレイのコピアだった。  あの子がオスなのか、メスなのか、それも曖昧だけれど、メルはコピアが庭に舞い降りてくると尻尾を揺らして喜んだ。獲物として見ている感じではなかった。まるで幼子が可愛いぬいぐるみを見つけ、それと仲良くなりたいと思うような眼差しだった。  この冬、メルは昼のあいだ窓辺に張り付いている。私は彼女が寒くないように、暖かいベッドを与えた。そして、雨の日も、雪の日も、毎日コピアのために飯米の山を作った。  ふたりの距離が縮まってほしいと願っていた。だから少しずつ、窓に(えさ)()を近づけた。  いつしか、私も窓辺に居場所を作り、コピアが懸命についばむ姿を眺めるようになった。    日に十センチ、餌場を近づけていく──。  うちの庭はさほど広くない。一ヶ月も経たないうちに、コピアの表情も分かり始めた。  そういう日々を続けて七週間以上が経つと、私が庭に出ただけで舞い降りてくるようになった。コピアは小さく首を傾げ、私を見つめてくる。それでも怖がらせないように、生き物すべてへの感謝を伝えるように、触れることをせず、驚かすこともせず、米の山を作り、ここにあるその命への感謝を伝え続けた。  そして一月半ば、すっかり丸々太ったコピアは、初めてメルの視線に気がついた。    怖がることなく、チョン、チョン、と跳ね、窓際に近づいていく。メルは目を大きく開き、ガラス窓に右手の肉球をつけた。これは、ふたりの意思が交わり始めた瞬間だった。  その後も、私は変わらず、日に十センチ、餌場を窓に近づけた。  米をついばみ終わったコピアは、窓辺に陣取るメルを見てチチッと鳴き、それに応えたメルが小さくニャアと鳴く。  ふたりは儀式的に心を通わせ、時にはコピアが積極性を持って近づいてくることもあった。やはりメルは、コピアを獲物とは思っていなかった。動物同士、どんな会話が交わされているのか分からないけれど、それでもふたりは、確実に互いを意識し合っていた。
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