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鼻歌
俺が今走っている廊下は1階。美術室は4階。
エレベーターを使おうという悪魔の囁きに誘惑されたが、あいにく今日は業者の人が点検に来ていて使えない。
もし俺がサッカー部やら野球部だったら階段なんて楽勝だが、帰宅部にとっては地獄である。
ぜぇぜぇと荒い息をしながら、やっと4階に着く。
もう力なんて、これっぽっちも残ってない。けど、美術室のドアは重い。
開ければ「キィー」という不気味な音がするし、閉めれば「バタンッ」と大きな音がする。
ラスボスの元へやっと着いたかのような、HPがチカチカ光って消えそうな、そんな状態の今の俺。ぜぇぜぇと荒い息を整え、熱くなった顔を上げた時、目の前をひとひらの桜が舞った。
うすピンクの桜の花びら。暖かい風が窓から吹く。
「ふ〜ふ〜ん♪ふ〜んふんふ〜ん♪ふ〜ん♪」
その時、誰かの鼻歌が聞こえた。音程なんて不安定で、けど楽しそうな。
一瞬、花びらが歌ったのかと思ったが、教室の隅へ目を向けると、そこに座っている女性が歌っていたのだと、分かった。
足音を出さぬよう、近寄ってみる。
前のめりになりながら、机に置かれたスケッチブックに鉛筆でサラサラと何かを描いている。持ち方が違うな、やっぱ。
「何やってんの、槙先生」
名前を呼ぶ。見て分かったよ、誰なのか。
先生は顔をあげる。そして、何か察したのかスケッチブックをササッと閉じた。
「あ、真田君。どうしたの?授業は終わったじゃない」
腕に抱えるスケッチブック。苦笑い中の先生。
誰がこの状況を、楽しまずにいられるだろうか。
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