泥棒猫

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旦那は其れを描き上げてから、ぴたりと筆を置いた。 あれ程好きだったのに、其れ以後一枚たりとも描こうとしなくなッちまった。 旦那の長屋を訪ねて来た絵の師匠は、(アタシ)の背中を撫でながら或る日ぽつりと漏らしたもんさ。 「慎之介は真に描きたい物を描き切ッちまったんだなぁ」 その声は何処か羨ましそうで、悔しそうでも有った。 絵をやめてからは旦那、人が変わったように真面目に働いて、数年でお内儀迎えて平穏無事に暮らした。 でもねェ、(アタシ)はあの好きな事に打ち込んで、何もかも忘れッちまうようなしょうもない旦那が堪らなく好きだったのサ。 だからあの旦那をどッかに連れて行っちまった泥棒猫、若紫の事は一生忘れて遣らねェと決めているのサ。
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