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或る殺人事件本稿
「強いて言うなら、彼女さんは時間に殺されたんですな」
田舎のうらぶれた交番の所長は煙草をぷかぷか喫みながら言った。肥えた彼の白い腹を悲鳴をあげながらベルトが締めつけていた。
「ふざけてるんですか刑事さん!ちゃんと僕の話を聞いてくださいよ、さっき、」
唾を飛ばしながら僕が今しがた見た殺人事件を供述しようとするのを所長は制して言った。
「よく考えたらおかしいと思いませんかね。目の前で殺人事件が起こったというのに容疑者は居ない、目撃者は君の他に居ない、人通りの多い時刻にですよ?被害者さえ煙のように消えている。そして君は救急車に連絡するでもなく、こんな田舎の交番に駆け込んで、」
所長から吐かれた煙の余韻は虚しく大気を濁した。
「でも確かに見たんです。だから少しは僕の話を、」
溢れ出る言葉の大河を人差し指を突き出して所長は堰き止めた。
「まぁ待ちなさい。なにも君を疑ってるわけじゃない。私がこれ程冷静なのは犯人がわかってるからです」
所長はそう言うと腰から拳銃を取り出して
ズドン!
と天井の硝子をぶち抜いた。あと一息で所長に掴みかかろうとしていた僕もこれには吃驚してパイプ椅子から転げ落ちた。所長は続ける。
「私が言いたいのは、そもそも事件なんてないってことです、あ、そうかっかなさんな、ね。よく遡って考えて下さい。この小説には殺人事件の描写なんてない。これが真相です。つまりね、君の彼女さんを殺したのはこれを書いている小説家なんですよ。それから目撃者が居ないのは文量を制限した審査員のせいですな、共犯と言ったところですな、あ、これ待ちなさい、落ち着きなさい。いやね、この小説家は過去に似た事件を起こしたんでピンと来たんですよ。彼はね、臆病な奴なんです。だから硝子ぶち抜いて脅しましたから。安心なさい、彼女さんはすぐ帰ってくるから」
所長がそう言い終わらないうちに宙からなにかが箒星みたく落ちてくる。
それは、僕の彼女だった。
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