外伝:愛の場所

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外伝:愛の場所

私は、 ふと静かに目を開けた。 見慣れぬ天井がまず目に入り、 そこは四畳半程度の質素な部屋だった。 確か私の最後の記憶は、 巨大な鉄の塊に… なのに痛みもない、 傷も。 ましてや苦しみも感じない。 全て夢? いや、 違う。 咄嗟に私は、 壁にあった扉を開けてみると、 同じ作りの部屋があり、 そこには俊朗が窓の外を眺めているではないか。 かける言葉が出ず、 私も徐ろに自分の部屋の窓を開けると、 な眼下には見慣れた故郷があり、 武史の姿が見える。 私は慌てて俊朗の方へ行き、 その窓から下を覗くと、 そこには私と似たあの正人さんの姿も見える。 私は思わず俊朗に声を掛けました。 「俊朗、これって…」 「うん、ここが誠哉の言ってた天国なんだろうな」 「随分地味な部屋だけど…」 「お花畑か桃源郷かなんかを想像してたか?」 「そう」 「俺にとっては充分過ぎるよ、これでも」 確かにそうだ。 私も、 置かれている状況を理解するまでに、 あまり時間はかからなかった。 それからの私達2人は、 それぞれの愛する人を、 静かに見守っていく日々が始まるのでした。 [正人編 俊朗目線] 正人は、 幸か不幸か召集されずに終戦をむかえていました。 僕の最後の手紙を読んでは泣き、 読んでは泣きを繰り返す毎日。 やがて時代が180度変わっていく中でも、 正人は家業である農家を手伝いもせず、 僕の代わりをひたすらに求め続けながら、 いつまでも埋まらない心の隙間を、 引きずるようになっていました。 僕はまだ、 それを表情ひとつ変えず、 じっと見守るしかありません。 僕の代わりはいるはずがない。 いつになったらわかってくれるのか? 次々と求め続ける正人を眺めながら、 少し怒りに似た感情が生じたものの、 それは正人なりの、 僕への愛の裏返しだと納得させるように解釈しました。 僕はまだ何もしてやれない。 正人への愛は、 今までに送った何通もの手紙に記してある。 しかしいつの日か、 正人は手紙も読まなくなり、 ただただ同じ事を繰り返すようになっていました。 しかし見守るしかできない歯痒さ。 当然若いうちはいいが、 次第に年を重ねていくと、 どれほど求めていても、 それは叶わなくなってきました。 周りの目も気にせず、 意見も聞かず、 正人はずっと1人。 中年に差し掛かる頃、 正人は僕の手紙を、 久しぶりに読み返していました。 別れの後と同じように毎日毎日、 繰り返し。 そして、 やっと目が覚めたのがわかりました。 あの頃の正人自身を思い出したように。 それからの正人は、 農家を継ぎ、 一所懸命に土に塗れ、 野菜を育てる事を生きがいにしていました。 月日が流れ両親亡き後も、 1人を貫き、 細々ではありましたが、 困らない暮らしぶりを続けます。 そして、 晩年は花を育てるようになっていました。 最初は小さなひまわりでした。 正人はそのひまわりを、 毎年毎年少しずつ畑にして広げ続けていきます。 次第に広がるひまわり畑のひまわりは、 近所の子供たちが摘み取ったり、 畑を迷路のようにして、 遊び場として提供したり、 両親や僕の仏前に備えたりしてくれました。 私は、 やっと安心しました。 明るく、 活発で、 優しい正人にどんどん戻っていくのがわかったからです。 元々日焼けした肌が、 さらに焼け、 皺が深くなっていましたが、 逆に正人の魂は、 若返っていくかのように私には見えていました。 あの別れから40年くらい過ぎたでしょうか。 正人は体調を壊し、 入院をしました。 でもベッドの上からはいつも力強く空を見ていました。 何を思っているのか僕にはまだわかりません。 不完全ながらも退院して家に帰った正人は、 またひまわりを育てています。 息を切らし、 痛みを堪え、 何かに追われるように。 そして一輪から始まったひまわりは、 家の敷地一面に広がるひまわり畑に姿を変えていました。 僕はそれを見届けると、 ゆっくりと窓を閉め、 待ちました。 わかっていたからです。 正人の寿命が近い事を。 あとは、 僕の元にやって来てくれるかどうかです。 僕は静かに目を瞑り、 部屋の戸の前で正座をして過ごしていると、 小さく僕の部屋の戸を叩くの音が聞こえ、 ゆっくりと目を開けました。 僕が戸を開けたそこには、 抱えきれない程のひまわりの花束を手にした、 僕の知ってる正人が居ました。 「ごめん。随分時間かかっちゃった。これで許してくれるかな?」 恥ずかしそうに目を伏せながら、 その中から一本だけ一際大きなひまわりを手渡してくれました。 「はい」 僕はそれだけしか言えません。 許すも何も、 僕は正人をずっと見続けてきたのですから、 もう余計なことを言う必要はないのです。 僕の元に戻ってくれた、 生命をかけて育ててくれたひまわりを、 僕に手渡してくれた、 その事が私達の答えなのです。 私達は、 隣の誠哉に挨拶しました。 誠哉は、 「ありがとうございました、お幸せに」 飾り気のない一言だけでした。 でも、 本当にありがとうを言わなければいけなかったのは私達の方でした。 僕はもうこの部屋を引き払わなければなりません。 部屋を後にした2人の終の住処は、 もちろんただ一つ。 眩しい程のひまわりが燦々と咲き続ける、 あの正人の家です。 [武史編 誠哉目線] 武史は、 東京の戦火が激しくなると、 故郷に帰りました。 相変わらず淡々と、 武道に励み己の鍛錬を欠かしません。 私の手紙が私の母から渡されて間もなく、 時代は変わりました。 武史は、 私の手紙をたった一度だけしか読みませんでした。 涙も流すことなく、 一文字一文字を焼き付けるかのように。 武史の事は私が一番わかっていますから、 見守るしかありません。 武史は家業の雑務を手伝いながら、 ある日見合いをします。 なかなか踏み切れずにいましたが、 非常に心の綺麗な女性であり、 次第に武史も心を開いた様子です。 私は嬉しく思ってその姿を見ていました。 真摯にその妻となる人を愛しながら、 その向こう側には、 私への想いをかすかに灯し続けているはずと信じていたから。 やがて、 子供が生まれ、 仲睦まじい家族になっていきます。 武史は妻を愛し、 子供を愛し、 自らの事も愛しながら、 ゆっくりと歳を重ねていきました。 平凡な暮らしぶりではありましたが、 常に支える人たちが周りにおり、 私の出る幕はもうないとさえ感じました。 武史から見れば、 既に私は過去の事。 武史が今幸せを感じ、 今後悔いのない人生になってくれれば、 私は良かったのです。 私たちの別れから50年以上過ぎた頃、 晩年の武史が星を見ている姿がそこにありました。 それは私が散ったあの南の地です。 長年連れ添った妻を初めて連れてきていました。 そして、 武史は静かに妻に語り出しました。 「僕にはね、あの時誓った人がいたんだ」 「わたしは知ってましたよ」 「そうだったのか?」 武史は驚きを隠せない様子です。 「あなたが大事にしている手紙の…あの方でしょ」 「うん」 「ちょっと羨ましいわね」 「えっ!?」 「あんなに愛されてるんですもの。でもわたしたちも同じくらいあなたには愛してもらいましたよ。次はあの方の番ですね」 「いいのか?」 「行って差し上げて」 「うん」 青年の頃のような目で、 星を見る武史と、 私は確かに目が合ったような気がしました。 ただ私は、 迎えにいくと言ったものの、 それはしないと決めました。 武史が想い続けてくれていただけで、 充分過ぎるとこの時感じたからです。 俊朗は既に正人さんと去り、 1人残された私でしたが、 平穏な毎日を過ごしていました。 夫婦での最後の旅から間もなく、 武史は、 妻、子供、孫たちに看取られながら、 寿命を全うしました。 「お疲れ様」 私は、 尽きる武史を天上から確認し、 そっと言葉をかけました。 私も窓を閉め、 瞑想のような時間がどれほど過ぎただろう。 しばらく開けずに重くなった引き戸の窓を、 気まぐれに開けてみました。 そこに映ったのは、 故郷の景色ではなく、 なぜか懐かしいあの下宿でした。 私達が過ごした部屋が見えます。 そして武史が1人背を向けて座っています。 夕日を背にしたあの後ろ姿で。 不思議でした。 武史はなぜそこにいるのだろう。 気付かれないように、 私は近くまで行きました。 「ここじゃないのかなぁ」 武史はため息混じりに、 何やら独り言を呟いています。 私は察知しました。 健気に、 武史は私を待っているのだと。 最初で最後のあの手紙に書いた、 私との愛を今、 再び貫いてくれているのだと。 私は高鳴る気持ちを抑えながら、 武史に気付かれないように、 後ろからそっと抱きしめて言いました。 「迎えに…来たよ、武史」 「遅いよ」 少し拗ねたようにポツリと言いました。 ただあの日のような悲しい表情ではなく、 いつもの不器用そうな微笑みを湛えて、 私に応えてくれました。 「待った?」 「いや、実はさっき来たんだ。随分探し回ったけどね」 武史は、 妻からの「行って差し上げて」の言葉通り、 私の元に辿り着くべく旅をしていたのだ。 「約束は守れたかな?」 「もちろんさ」 「行こうか?」 「此処でいいよ」 私と武史は、 2人の愛が始まったこの場所で、 再び愛の続きを、 叶える事になりました。 私達の星は、 地上から遥か先にある南十字星の傍らで、 一際に大きく輝いているあの星です。 よく目を凝らすと、 二つの星が、 一つに見えるように、 しっかりと寄り添っているのが、 分かるはず。 それは俊朗と正人の星。 そして私と武史の星。 きっとあなたにも見えるはず。 どこにでもある、 誰にでもある、 いつもある、 そんな2人の愛の物語は、 まさに輝きを始めたばかりです。 完
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