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 ショッピングモールの2階にある大型書店に着くと、ユナは見えない羽根をはたたかせて写真集のコーナーに飛んでいった。彼女がシオン様チャージに没頭している間は、あたしの存在は無いに等しい。側にいても仕方ないので、ファッション誌かなんかを立ち読みしようと歩いていたら――時節柄なんだろう、手作りチョコのレシピ本が平積みされていた。  あ……この本。  見覚えのある写真。うちのクッキングスタジオを背景に、ハート型のチョコケーキとカラフルなマカロンが写っている。  上原るみこ著「初めてさんのための簡単スイーツ」。  ママの本だ。  気付いたら、手に取っていた。表表紙の見返しに載ったエプロン姿の肖像写真(ポートレート)は、今よりずっと若い。多分、5年……6年くらい前のママが微笑んでいる。ほとんど毎日、色んなテーマで料理教室を開いていて、多くの見知らぬ人達が家に出入りしていたから、幼いあたしは落ち着かなかった。今思えば、少しずつメディアに注目され始めた頃で、ママは精力的に仕事をこなしていた。新しい独創的なレシピを考案するために、四六時中クッキングスタジオに籠もっていたっけ。火や包丁を使うという理由で、幼いあたしは中に入れてもらえなかった。大きく重いドアの前で、毛布に包まって眠った夜もある。あたしのことより料理に夢中になっているママも、ママが作った手料理も、あたしは好きになれなかった。  だけど、半年前、パパが交通事故で死んだ。ママは、料理を作れなくなった。絶妙な味加減を調整していた舌は味覚が鈍り、調理器具を持つと手の震えが止められなくなった。お医者さんは、パパの死がママの精神(こころ)に酷いショックを与えたのだろうと言った。ママはマネージャーの大林(おおばやし)さんに連絡して、雑誌の連載も、テレビの出演も、市内の3ヶ所で開いている料理教室も、全ての仕事をお休みにした。  こうして仕方なくご飯担当になったのだけど、キッチンに立つことを避けてきたあたしが美味しい手料理をふるまうことなど出来るはずもなく……結果、レトルトと冷凍食品に頼る羽目になったのだ。 「あ、上原るみこのレシピ本だ」 「本当だ。最近、テレビで見ないよね」  あたしのすぐ横から手が伸びてきて、同じ本を掴む。高校生……いや、もっと年上らしいお姉さん達が、パラパラとページを捲っている。 「この人のレシピ、簡単で美味しいからって、うちのママがよく作るんだ」 「あー、分かりやすいよね」 「へぇ、見て見て。『バレンタインに、ティラミスはいかが』だって」 「ふーん。手作りティラミスって、斬新かも」 「甘さが調節出来るのもいいよね。うちの彼氏、甘いの苦手なくせに、チョコ欲しいってワガママなんだ」 「ノロケかよー」  明け透けにお喋りしながら、お姉さんはママの本を手にレジに向かった。実際に本が売れる瞬間を、初めて見た……。 「アイぃ、お待たせぇ!」  背中をバシッと叩かれて、本を取り落としそうになる。慌てて、平積みの上に戻す。 「あ、ユナ……」 「なに、赤い顔して、どうしたの」  シオン様パワーを満たした友は、キラキラ眩しい。あたしは首を振って、彼女の腕を引く。 「ちょっとトイレ。 それから、タイムセールに行こう」  そう口にするのが精一杯で。気持ちが混乱している。悲しいような嬉しいような、泣きたいような笑い出したいような。胸がはち切れそうになったから、早足でトイレに逃げ込んだ。
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