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#6 宝物
日本史の机上のやり取りはその後も続いた。
奴はこれまで通り屈託ない落書きを残し、俺も表面上は奴に付き合いツッコミを入れて、何も変わらずにいたが、俺の内面は違っていた。
俺にとって落書きの主は、あの橘柚弥になった。
あの日、社会科教室で落書きの主の正体を知った時から、あいつに対するそれまでの印象は完全に覆された。
描かれる落書きの表情は、全部橘のそれに透けて見えるようになった。
意外に日本史も好きでそれなりにちゃんと受けているらしいところも、戦いが始まるとテンションが爆上がりする小学生みたいなところも、割と立派なオタなのも、
そして悪名高いリアルBL(限りなく黒に近いグレー)の癖に、笑うと物凄く無邪気な顔になるのも、
今までの橘の印象からかけ離れた姿を知れば知るほど、何故か俺の心を複雑に落ち着かない気持ちにさせていた。
これ以上奴を深く知らない方がいいという、靄みたいな警鐘を感じていた。
もう一つ憂鬱になる気持ちは季節とともに蓄積されていた。夏が近づいている。
そしてその予感は早くも的中された。
怪我で休職中の担任が復帰することになったのだ。
一学期終了を前に、元々期間限定だった社会科教室を使ったこの授業は、一足早く終わりを迎えることとなった。
ここでの授業が最後の日。始めから用意されていたかのように、更新された落書きは某アニメの最後の敵。敵に取り込まれた主人公の弟だった。
イラ部かと紛うくらい、今までで最高のクオリティだ。美少年ぶりが橘と似ていなくもない。
そして傍に書かれた言葉が俺の胸を突いた。
『次は どこにかけばいい?』
次はない。俺と橘はクラスも違う、そもそもここ以外、この机の上でしか繋がりを持ち得ない関係だった。
同じ帰宅部でも、塾か今時分レンタルショップへ旧作DVDを探しに行くような地味で隠キャな俺と、男を手玉に取るだけでなく、他校の女子も出待ちしてて一緒に下校していくような、表も裏も華やかな橘は、あまりにも遠い。
次なんてない。けれど、そんな冷たい言葉は伝えたくなかった。
だから俺は、橘には短足だから嫌いと早々に一蹴されたけど、あのアニメで俺が一番好きな敵を、判別出来るまで時間いっぱい使って描いて残した。
『俺はコイツが好き。不細工だけど、がむしゃらな生き様が』
夏休みが近づいている。どこか浮足立った熱がこもり始める空気のなか、日本史は各クラスで行われ、橘との繋がりも途絶えた。
時折姿を見かけることはあったが、それきりだった。
廊下で何度かすれ違った。奴が手にしたスマートフォンの背面に六番目を見つける度に、
「おま、……社会科教室で六番目ばっか描いてたの、お前だろ!」
そんな言葉をぶつけてみようかと試みて、「おっ、」くらいを口に出して橘が振り返ろうとした瞬間、目の前の別のクラスのドアへ逃げ込んだことがある。……ポンコツ過ぎる。
この日もたまたま、教室に入る手前で他のクラスの奴と談笑していた。
「それ、ロボットに乗って戦うやつの敵でしょ」
会話が聞こえて、相手が橘のスマートフォンの背を指す。
何の内容かは知れた。俺はその横を通り過ぎようとする。
「何でそれなの? ちょっときもくね?」
「えー……」
橘は持っていた携帯を裏返した。
「いいじゃん。だってこれ、不細工だけど、がむしゃらな生き様がさ」
振り返った。
愉しそうにそれを見た橘が、携帯を掌の中で翻す。
指の隙間から背面が見える。貼ってあるのは、 きらきらした四角い奴のじゃない。
六番目じゃない。
あれは、あれは不細工な、短足の——。
「それ……!!」
出し抜けに大声で、目の前に割り込んだ俺に、二人はぎょっとして固まった。
「俺もそれ、好きなんだけど……っ!」
どうなるか判らない。
何もない、きっと。
でもただ地味で不細工なりに、進んでいただけなんだ。
大きく見開いた橘の瞳は、やがてあの時と同じ、宝物を見つけた時みたいにきらきらして、
そんな顔見せるなってくらい、窓の彼方の夏の空がよく映える、綿菓子を持った子供みたいな顔して、零れるように笑った。
fin.
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