4: 子供っぽい男子と思春期女子

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4: 子供っぽい男子と思春期女子

 なぜ、日が明けるのは、 こんなに早いのだろう......  ベッドの中で目が覚めた香織は、 体がだるくて、お腹がチクチクして微熱が ある症状を感じた。 もしかしたら学校を休めるかもと期待し、 重たく感じる瞼を少し開けて、 カーテンから差し込む太陽の光を見た。 そのまま視線をずらし、時計をみると、 そろそろ母親が起こしに来る時間だった。 それまではじっとしていようと目を閉じた。 上の段に寝ていた昇が起きて、 ベッドの階段を降りた。 そしてバタッと鈍い音がした。 恐らく、寝惚けていた昇が閉まっている 襖に衝突したのだろう。 香織にはそんな事、見なくても分かる。 聞き耳を立てていると、廊下からスリッパの 音がして母親の千代子が近づいてきた。 「香織! 早く起きなさい。 なんで一人で起きられないの?」 「お母さん...... 何か熱っぽいの」 「熱?」 千代子は香織の額に手を当てて、 自分の額と比べた。 「大丈夫よ。熱ないわ。 早く朝ごはんを食べてちょうだい」 「......」 そのまま台所に戻っていく千代子の背を 目ですがるように追いながら、香織は しぶしぶ起き上がり、パジャマから白い Tシャツとピンクのキュロットに着替えた。   朝は学校まで班ごとに登校する事が 決まっている。 6年生が班長で先頭を歩き、 その後ろを1年生、2年生と並んで行く。 5年生は副班長なので一番最後を歩き、 班を崩す子を注意する。 香織は最終尾を、前を歩く女の子のランドセル に付いている、キラキラ光るキーホルダーを 見ながら歩いた。  教室に着くと、洋子と唯がロッカーの前で ヒソヒソ話をしている。 香織は黒板の日直の欄に書かれた自分の名前を 見ると、また体が熱くなりお腹がチクチクして きた。 そして自分の席に向かうと、椅子が掃除をする 時のように机の上に掛けられていた。 香織は脱力感を感じたが、口を硬く一文字に 結び、すぐに椅子を元に戻した。 そして何も無かったかのように席に着き、 頭の中を空っぽにして何も考えず、そして周り の視線を無視して、教科書を机の中に移した。 少しすると、胡桃が教室へ入って来た。 胡桃は教室中を見渡し、自分の席にランドセル を置いた。 香織は、後ろを振り向いて胡桃に声を掛けたい 衝動に駆られたが、どうしても体を動かす事が できなかった。 〈きっと、胡桃ちゃんが声を掛けてくれる〉 「おはよう! 中野さん」 香織が思っていた通り、胡桃から挨拶してきた 言葉に引き寄せられるように、香織は顔を少し 後ろに向け、胡桃をチラッと見た。 「三上さん、おはよう」 胡桃の髪にはポンパドールが作られていた。 「ねえ、中野さん。 真美ちゃん、まだ来てない?」 「えっ」 香織は急いで教室中を見渡して、 真美がいない事を確認した。 「まだ...... 来てないみたいだね」 「そっか。ありがとう」 胡桃は教室にいると落ち着かないので、 廊下に出て真美が来るのを待った。 〈早く! 早く! 真美ちゃん、早く!〉 8時15分。 ビバルディの「四季」と共に男子生徒の、 はきはきとした校内放送が始まった。 「みなさん、おはようございます。 7月10日木曜日、朝の放送を始めます。 今日も元気に過しましょう!」 踊り場から階段の下を覗きこみながら、 真美の姿を探していると、いつもと違う方向 から真美が走ってきた。 「胡桃ちゃ~ん! おはよぉ~」 「真美ちゃん、遅いよ~」 「ごめんね。同じ班の3年生が休んで、 連絡帳をその子の教室に届けてたの。 それより、はいはいはい! これっ」 自慢気に真美はランドセルの中から、 一枚の写真を取り出した。 「わ~! ありがとう~」 「801号室だから、この辺りかな?」 茶色の外壁のマンションが写っている写真。 ただそれだけなのだが、胡桃にはこの8階の 一番端の部屋が先輩の部屋のような気がして、 もしかしたら、この写真を撮った時、 先輩が部屋に居たかもしれないと思うだけで、 胸がドキドキしたのだ。 チャイムが鳴り、席に着くと、胡桃はこの 写真をどこに入れておこうか迷った。 教科書の間では、落としてしまうかもしれない し、筆入れに入れるには少し折らないといけな い。散々迷ったあげく、胡桃は道具箱の中に そっと入れる事にした。   1時間目は国語、2時間目は社会、 3時間目は理科。 木曜日の午前中は教室内での授業が 続く為、4時間目になると胡桃はお昼休みが 待ち遠しくなる。 どの生徒も多かれ少なかれ同じようで、 先生に見つからないように交換日記を回す 女子や、集めた消しゴムのカスに糊を加えて 丸めながら、指をベタベタにする男子。 そして下敷きを髪の上にのせて擦り、 静電気を起こして遊ぶ男子が現れ始める。 胡桃と真美もそっと目配せしていると、 猪上 司が、突然立ち上がって一番後ろの ロッカー前で腕立てをし始めた。 胡桃と真美が唖然としていると、司と仲の良い 正人が「お前、何やってるんだよ」と小さな声 で言いながら腰を屈めて移動し、正人も隣で 腕立てを始めた。 ほとんどの生徒がこの二人に気付き、笑いを 堪えていると、黒板に色とりどりの図を描いて いた若林が振り向いた。 「こらっ! そこの二人、こっちへ来い!」 司と正人がムクっと起き上がり、 お互いに突付き合いながら前へ出ると、 若林は白いポロシャツから出ている太い腕を がっちりと組んだ。 「ここで腕立てをやってみろ」 「え~!」「ここでぇ~?」 「後ろでこそこそやって、みんなの笑いを 取るくらいなら、先生が腕立ての基本を教えてやる」 それから司と正人は、限界まで腕立てを させられ、席に着いた時にはクタクタに なっていた。 そして若林の描いた図や答えをノートに写して いる間に、待ちに待ったチャイムの音が生徒 全員の耳に飛び込んできた。 「みなさん、こんにちは。 お昼の放送の時間がやってまいりました。 今日の献立はマカロニグラタン、 バターロール、イチゴジャム、コーンサラダ、 フルーツ、牛乳です。 残さずきれいに食べましょう」 給食当番が給食を運んでくる間に、 残っている生徒で机を6個ずつ向かい合わせて島を作る。 胡桃は自分の机を横にして正人と香織の机に 付けた。洋子は浅見の机には付けたが、 香織の机には自分の机が付かないように、 少し隙間を開けている。 香織の前に座る鈴木も香織の机に付けるのを 嫌がるせいで、島全体がいびつな形になり、 真ん中に大きな亀裂が入っている。 夏休み明けには席替えがあるはずだ。 その時はきっと先生が洋子と香織を離して席順 を決めてくれるだろうと、この亀裂を見て胡桃 は心の中で思った。 「中野さん、給食取りに行こう......」 声を落として呟いた胡桃に、無言で頷いた 香織は、小さな体を余計に小さく丸めて、 胡桃の後ろについて列に並んだ。 マカロニグラタン。 胡桃が給食の中で一番好きな献立だ。 しかも、今日は真美が当番で、グラタンを 銀色のアルミ皿によそっている。 可愛いプリントの付いたマスクをした真美は、 胡桃に気付くとニコッと笑い、グラタンを お玉にいっぱいすくった。 「中野さんもグラタン好き?」 「うん......」 「真美ちゃん、中野さんも好きだって!」 「OK!」 給食が始まると、正人と鈴木が牛乳の早飲み を競い始めた。 正人が鈴木を笑わせようとして、ストローを くわえながら変顔をすると、堪えきれなく なった鈴木が吹き出し、変顔に夢中になって いる正人にかかり、床にも牛乳がこぼれた。 「お前、ふざけんなよ~」 「ごめん、ごめん。 でも正人がズルするからだろ」 「ちょっとー。床!早く拭いて!」 言い合っている二人に、 後ろの班の真美が怒った。 「浅見、雑巾かせよ」 嫌がる浅見の雑巾を広げて、 足で鈴木が牛乳を拭き取った。 牛乳を吸い取った雑巾の匂い...... あれは耐えることができない程の異常な 臭さだ。 こればかりは胡桃も浅見に同情した。  給食が終わると掃除の時間を告げる放送が 流れる。 「掃除の時間になりました。 教室の窓を開け、みんなで協力してしっかりと 掃除をしましょう」 ガガガガガと、すさまじい音を立てながら 生徒たちが一斉に机と椅子を後ろに引きずる ように移動させ、いやいやながら掃除を始めた。 そんな中、掃除道具を入れるロッカーの中に 司が隠れ、箒を取り出そうとした女子を脅かしている。 自分の消しゴムが無くなったとウロウロと探し ている浅見に、唯が落し物箱の中から消しゴム を見つけてあげた。 黒板を拭いているのかと思いきや、黒板消しを チョークで真っ白にし、扉の上に仕掛けている 内に失敗し、自分の服が真っ白になっている 正人。 自分の席を元に戻そうと、椅子を掛けた机を 斜めにして引っ張っていて、机の中に詰め 込んでいるありとあらゆるものがドサッと 出てしまい慌てている鈴木。 「ねぇ、真美ちゃん。男子って子供だよね」 「うん。子供、子供。 胡桃ちゃんがこのクラスで好きな人がいないっていう意味が、分かるような気がする」 「でしょ!」 窓際でグラウンドから吹き込む風に当たりながら、教室内で繰り広げられている男子たちの行動を、胡桃と真美が手にちり取りを持ったまま観察している。 「中野さんもそう思わない?」 隣の窓際に一人で立っている香織に胡桃は、 声を掛けた。 「え?」 胡桃は香織に近づき、小さな声で言った。 「男子って、子供だよね」 「......うん」 香織も男子の様子を見ていたので、 胡桃の言わんとしている事がすぐに分かり、 クスッと笑った。 「あっ、中野さんが笑った!」 真美が言うと、 香織は少し照れくさそうに下を向いた。  木曜日の5時間目、6時間目は時間がゆっくり と過ぎる。 しかも夏休み前なので、何かとテストが多く、 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、 日直の鈴木が「起立!礼!」と声を上げると、 生徒たちは一斉に歓声を上げ、おしゃべりが 止まらなくなる。  帰りの会。 日直の鈴木と香織が若林に呼ばれ前に出た。 授業の始まりと終わりの掛け声は、全て鈴木が 行ったので、帰りの会の進行は香織がやらなく てはいけない。 みんなの前に立つだけでも緊張するのに、 進行をしなくてはいけない日直が香織は苦手だった。 一番前の机の足にはまっている茶色のゴムを 一身に見つめながら、両手を握り締めて、 香織は声を振り絞った。 「これから帰りの会を始めます......」 隣の席の正人は細かく刻んだ消しゴムを浅見に 投げ付け、当てられてキョロキョロしている 浅見の様子を笑っている。 胡桃は正人の腕をはたいて大人しくさせた。 それでも教室はざわついたまま。 そして洋子は何か言ってやろうとチャンスを 窺っている。 「今日は国語で宿題が出ました。忘れずに やってきましょう。あと、夏休みのスイミング 教室の参加申込書を明日までに......」 「日直さ~ん。聞こえません!  もう少し大きな声を出してください」 案の定、洋子がちゃちゃを入れ、 香織の邪魔をした。 「みんな~ 静かにしろ!  日直の話を聞きなさい。はい、続けて」 男子たちが自分に続いて香織をいじるかと 思っていた洋子は、若林の一言で教室内を 静かにされてしまい、期待はずれな顔をした。 「明日までに先生に提出して下さい......」 香織がなんとか、か細い声で注意事項を伝え きると、青い表紙の日誌に事前に書いておいた 「今日の出来事」の欄を、今度は鈴木が読み上げた。 「今日は、猪上君と吉岡君が授業中に突然、 腕立て伏せを始めました。それで、先生に 呼ばれて腕立て伏せの基本を教わりました。 僕も今日から毎晩、腕立てをやって、 先生のようなマッチョな体を目指したいと思います。終わり!」 どっと笑いが起きている中、 香織が「次は先生からの言葉です」と呟き、 二人は席に着いた。  帰りの会が終わり、生徒たちが帰り始めると、胡桃は若林が一人になるのを見計らって 近づいた。 「先生」 「おっ、どうした?」 滅多に話しかけてこない胡桃が声をかけて来た ので、若林は嬉しそうに大きな体を少し屈めた。 「先生に何でも言ってごらん」、そんな表情を している若林に胡桃は、少し緊張しながら、 ゆっくり話し始めた。 「先生、中野さんの事なんですけど…。 いつも一人で帰っているんです。 唯ちゃんや、典子ちゃんが同じコースなので 一緒に帰ってあげて欲しくて。 先生からも言って貰えませんか?」 「あー、そうか...... わかった。 言っておくよ」 胡桃の言いたい事を理解したものの、困った 若林は髪をいじりながら自分の席に座っている 香織を確認した。 「お願いします」 胡桃は小さくお辞儀をして、足早に席に戻った。 すると胡桃の席の周りで、洋子と真美、正人、 司、そして野次馬の男子たちが何やら騒いで いる。 「だってマサ、 胡桃ちゃんの事が好きなんでしょ!」 「そんな事、言ってないだろ!  やめ~ろ~よぉ! このブス!」 噂好きで、何でも口を挟みたがる洋子が正人と 胡桃の席を無理やりくっつけようとしているのだ。 「ひど~い! 私ブスじゃないもん。 マサのバカ!」 「うるせ~な。お前が悪いんだろ!」 「ちょっと、やめなよ。危ないよ!」 真美が、ガタガタと机を離したりくっつけたり し合っている二人を止めようとした瞬間、 勢いのついた机から正人のリコーダーが飛び 出し、胡桃の机の上に置いていたシャーペンと 下敷き、そして机の中の道具箱が滑り落ちた。 5年生にもなると、男子と女子はお互いに 意識し始め、隣同士の席の間に消しゴムを 挟んで、隙間を少し空けたり、下敷きを間に 立てたりと、いろいろと些細な抵抗をし出す。 胡桃と正人も1㎝程の隙間をわざと空けている のだが、洋子が正人の机を動かして胡桃の机に 付けたのだ。  胡桃が近づくと、 洋子は「あっ、胡桃ちゃんだ。マサがね~」と 正人をからかいながら、少し離れたところで シールの交換をしている唯と典子の所へ行って しまった。 真美は、正人のリコーダーと胡桃のシャーペン と下敷きを拾った。 胡桃は落ちて逆さまになった道具箱をすかさず 拾い上げた。 「あっ!」 真美の高い叫び声に、 正人とその周りにいた男子たちは、驚いた。 胡桃には真美の叫んだ理由がすぐに分かった。 「真美ちゃん、いいよ。気にしないで」 「ごめんね。本当にごめんね」 黄色いシャーペンを持ったまま謝る真美を男子たちは、何故拾ってあげたのに謝るのか分からず、「女ってわかんね~」と冗談を言いながら首を傾げた。 胡桃はこの時、洋子が騒いでいた事も、 真美がおまじない中のシャーペンに触れて しまった事も、どうでも良かった。 それよりも若林がお願いした事を、ちゃんと 唯たちに言ってくれるかどうかの方が気に なっていた。  しばらくすると胡桃は1組の未菜と小百合に 呼ばれ、廊下で少し話をした。 教室へ戻ると、洋子が素知らぬ顔で通り過ぎ、 その後ろを唯と典子が着いて行った。
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