8: スイミング教室

1/1

6人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

8: スイミング教室

 気温は34.5℃までぐんぐん上がり、 プールから上がって、熱をもったフェンスに 寄りかかった男子が、火傷をしそうになった。 10日間、水泳に通い続けた生徒も先生も こんがりと日に焼けて、水着の跡がくっきりと ついている。 スイミング教室最終日の今日は、 前半が飛び込みの練習だった。 台から飛び込んだ瞬間、プールの底に頭を ぶつけるのではないかと不安で、すぐに頭を 水面に出そうとしてしまい、バランスを崩してしまう生徒たちを、オレンジ色の海パン姿の 若林をはじめ、5,6年を受け持つ担任たちが 順番に熱心に教えている。 黄色の水泳帽に長い髪を上手にまとめて 入れている胡桃と真美も、その列に並んだ。 すると真美が、目の前に並んでいた緑色の 水泳帽をかぶった男子の頭を指差して、 小さく笑った。 「胡桃ちゃん、見て! なんか、マリモみたい」 緑の帽子は3組だ。 その男子は短髪なので、メッシュの水泳帽を かぶると、短い髪がツンツンと出てしまうのだ。 笑われている事も知らないその男子の頭を 真美が触る振りをしていると、その男子が 突然振り向き、胡桃と目が合った。 そして次の瞬間、その男子は顔をしかめて 何か言おうとしているようだったが、 言葉にならないようだ。  胡桃が驚いて、何が起きたのか考えを巡らせていると、その男子が叫んだ。 「いて~! 足つった!」 その声に、近くにいた女性の先生が気付き、 その男子を端に連れて行って座らせた。 そして足を先生が手で伸ばす度に、 その男子は「いて~」と大げさに叫び、 みんなに笑われていた。 胡桃と真美も身をすくめて小さく笑った。  後半は、水泳大会に出場する代表を決める ためにそれぞれタイムを計る事になった。 種目は自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、リレーの 4つ。胡桃が得意なのはクロールと平泳ぎ。 フォームはクロールが一番スマートだが、 永遠に泳いでいられる平泳ぎも胡桃は好きだった。 「位置について、よ~い、ピー!」 競泳用水着の上に白い長袖シャツを羽織って、 腕まくりをした5年1組の女性の先生が、 赤い笛を鳴らしたと同時に、5人の生徒たちが いっせいに水色の水面に飛び込んだ。 1番コースに飛び込んだ胡桃も、 水中で手足を動かし始めるタイミングをみて、 胸の前から手で水をかき分け、 足で水をひと蹴りしながら進み出した。 水中眼鏡を通してぼんやりと25mの壁が 見えてくると、今度は水中ターンをする距離を つかむ。 息継ぎのために水面に顔を上げた時に、 胡桃は自分より前に誰もいない事を確認した。  海と比べたら、 プールはなんて泳ぎやすいのだろう。 水中は透き通っているし、 波に体をもっていかれることもない。 足の爪に砂が入ることもないし、 クラゲに刺されて痛い思いをする心配もない。 そんなことを考えながら50mを泳ぎ切った。 プールから上がると、ストップウォッチで タイムを計っている先生から『58秒32』と 告げられた。 〈やった! 自己ベスト!〉 全員泳ぎきると、代表選手が発表された。 一人ずつ名前が呼ばれる度に、 みんなが拍手をする。 選ばれた生徒たちはみんな嬉しそうな顔をして いて、目立ちたがりやの男子は、ガッツポーズ をしたり、ピースをしたりして、他の子よりも 沢山の拍手を浴びている。 胡桃は自分の名前が呼ばれない事を祈ったが、 結局平泳ぎの選手に選ばれてしまい、 みんなと同じように拍手を受けた。 〈うわっ、やっちゃった〉 こういうのは苦手なのだ。 ピアノの発表会もそう。 緊張して失敗してしまうのではないかと、 心底心配になってしまい、 不安でいっぱいになる。 「みんな同じように緊張しているのよ」とか 「お客さんを、ジャガイモだと思って弾けば 大丈夫」とか先生は言うが、 自分の事で精一杯な時に、他の人の事はどうでもいいし、どう想像力を働かせても、人の顔がジャガイモに見える事はない。  胡桃は自己ベストをだした事を後悔し、 うつむいた。 その代わり隣に座っている真美が、 胡桃の代わりに嬉しそうな顔をしていた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加