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追記
天草崩れ
一八〇五年
天草群島で潜伏キリシタンが発見される。
高浜村、大江村、今富村、崎津村で五二〇五人天草の人口約七十%が対象となる事件。
あまりの数の多さで皆を処罰すれば天草が成り立たなくなるため幕府は「皆 心得違い」として無罪放免とした。
長崎信徒発見
一八六五年三月十七日
幕末から明治維新を迎えると諸外国との通商が始まり開港地には外国人居住者向けの教会が各地で造られた。
長崎でも一八六四年十二月大浦天主堂が建造された。
それから暫くして日本人十数名がキリシタンだと告白し形を変えながらも数百年の時を越えて教義を守り抜いて来た浦上村の潜伏キリシタン達の発見は世界中に驚きと共に発信された。
原城の本丸に開いた抜け穴。この存在は以前より知られていたが筆者が訪ねた時にたまたま地盤沈下が起きて穴が空き工事のため立ち入りが規制されていた。
原城本丸の海側の崖っぷちに建ち天草を見つめる三体の石像。
奥からフランシスコ・ザビエル、天草四郎時貞、四郎の姉と言われている。
二の丸より湯島を望む。
トキも見たであろう本丸からの夕日。
ありがとうございました。
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