プロローグ

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プロローグ

江戸幕府も三代家光の頃になると徳川の威光も全国に浸透していた。 二代秀忠が公布した武家諸法度には参勤交代等が追加されると街道や宿場町も賑わいを見せ江戸を中心とした物流も人口も増え諸藩の力を削ぎながら徳川の世はいよいよ盤石な体制を整えた。 また法度を守らない大名に対しては容赦なく改易や取潰しを行い確固とした幕藩体制の仕上げを進めていたが、諸藩に対する仕置もさる事ながら家光の頭痛の種は今尚 全国でパチパチと(くすぶ)り続ける残火の如き隠れキリシタンの存在だった。 滅亡した豊臣家の旧家臣勢力は表立っての反抗はないものの関ヶ原以降冬の陣 夏の陣を経て平家の如く九州に落ちた武将は少なくなかった。しかも有馬、大友、小西、大村等キリシタン大名のもとで南蛮文化が栄華を極めた頃には武士、農民の多くがキリスト教に改宗しセミナリオやコレジオで教義だけではなく教養、文化、技術等を修める学校も数多く建設された。 しかし秀吉の頃にバテレン追放令、徳川の世になると禁教令が出されキリシタン大名は息の根を止められた。 残された多数のキリシタンは仏教への改宗を迫られ、激しい弾圧の中キリシタンとして殉教して行く者、あるいは絵踏して転んでも尚「隠れキリシタン」として信仰を守り続けている者もいた。
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