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「あー、まあ大体持ち出せたからいいかな」
芦屋恭子はおそらくまた無関係の教室で道具を広げて確認しながらしまっていた。
「前回見つかったときは、あたしも慌てちゃってひどかったんだよ」
「あの、芦屋さんはヘアスタイリストになりたいの?」
「ん、ああ、私はね、映画のメイクさんかな」
「映画?」
「そう、だからね。走り回ったからってあんまり崩れないようにしたいんだけどね」
芦屋恭子は弥伊子に目を向けて両手の親指と人差し指で額縁を作るような仕草をして見つめた。
「弥伊子さ、あたしの専属になってよ」
「え?」
「また、無料でメイクしてあげるからさ」
「私は、」
「あ、と、芦屋さんじゃなくて、恭子でいいよ」
「そんな、いきなり」
「まあ、そう戸惑わないでさ。気楽にこれからもよろしく」
芦屋恭子はそう言い残して、道具をまとめて去っていった。嵐のようだった。弥伊子は人に対してはじめてそう思った。
「あれ、私この後このまま家帰らないと行けないのか」
先ほど鏡で見た自分の顔に感動こそした弥伊子だったが、この姿を見たときの母親を想像して急に恥ずかしくなった。急いで手櫛で前髪を戻そうと思ったが、鏡に映った自分の姿を思い出して手が止まってしまった。
「お母さんにはなんとか言おう」
そう言うと、弥伊子は立ち上がり髪型を崩さないように、いつも以上に静かな動作を心がけて家に帰った。弥伊子は帰りの電車で窓に反射した自分の姿を見てついえくぼができてしまったことに気づいて慌てて表情を隠した。「一人で笑ってばかみたい」
「やーちゃん、おかえり!」
家の戸を開けると普段は仕事中の母親が既に戻っていた。学校に思ったより長く居座ってしまったようだ。
「お母さん、ただいま」
弥伊子は素早く二階の自室へ向かって階段を掛け上がった。
「ちょっと、どうしたの?」
お母さんが階段下から覗き込んできたので、弥伊子は慌てて部屋にこもった。勢いよく閉めた戸が思いの外音を立てた。
「なに、しているんだろう私」
弥伊子は自分の部屋の鏡に映る自分を見た。普段とは別人で、他人がそこにいるような気すらした。なんとなく気恥ずかしくなって、鏡から目を背けた。
「お母さんに見られる前に戻そう」
そう呟いて、メイク落としに手を掛けた。「私だってメイクをしていなかったわけではないのに」そう思って芦屋恭子を少し恨めしく思った。けれど、同時に芦屋の自信に満ちた振る舞い、楽しそうに弥伊子をメイクしていた彼女に心がざわついた。「なんていきいきしていたんだろう」弥伊子は普段の自分と比較して少しげんなりしてしまった。「明日からはもう少しだけメイク頑張ろう」
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