第一話

1/1
21人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

第一話

 それは私が追いかけているバンドのツアー最終日、アンコールを終えてのダブルアンコール。そこに出てきたのはリーダーであるギターの男だけだった。エレキギターをアコースティックギターに持ち替えて、ステージ中心に用意された椅子に軽く腰掛けた彼は「折角だし、もう一曲だけ。初めてやる曲だけど」と小さく笑いながら手遊びをするように弦を鳴らす。  ステージから近すぎず、遠すぎない程度の席に陣取っていた私は、憧れの人の姿を見詰めていた。彼が鳴らすコードに既視感を覚えていれば、彼が口を開く。彼が奏でるメロディは、私のよく知ったもので——嘘でしょ、と叫び出したくなるその感情を必死で抑えながら、私はステージを凝視する。ワンコーラスを歌い上げた彼は、楽しそうに弦と戯れ——視線を客席へと向ける。まるで何かを探すように視線を巡らせた彼は、その視線を私へと向けて口元だけで笑みを浮かべてからツーコーラス目を歌い始める。その視線は、私に向けたままで。 「——嘘でしょう」 「ねぇ、間奏からずっとこっち見てたよね! 私、ハヤトと目が合っちゃった!」  バースデーソングと名付けられたその曲を歌い切った男は既にステージから去り客を帰すように会場が明るくなってから、漸く私は深い息と共に言葉を漏らした。  嘘でしょう?  新曲だと彼は言っていたけれど、私はその曲を小さな頃から——それこそシグナルズの事もハヤトの事も知る前から——知っていたのだ。私の頭のなかで幾つかの可能性が浮かんでは否定されていく。  ステージ上で笑みを浮かべていたあの人の笑い方は、最後に残った可能性を嘘じゃねぇよ。と返しているかのようだった。まるで悪戯が成功した時みたいに、悪びれずどんなもんだと口元だけで笑ったその人を思い出して、それから小さい頃から私の側にいた両親の親友であるという男の事を思い出す——嘘でしょう? お願いだから、嘘だと言って欲しい。  ドッペルゲンガーとか言ってくれた方が、まだ私の色々な感情と行動が救われる。 「ねぇ、ナツミ! 聞いてる?」 「あ、うん、目が合うなんて気のせいだよね」  高校で知り合い、シグナルズが好きだという所から意気投合した親友の声が私を混乱から現実に引き戻す。「夢くらい見させて!」とむくれて声を上げる彼女の言葉に「ごめんごめん」とおざなりな謝罪を口にして、私たちはようやく会場を後にする為人の波に乗ってホールから外へと向かう。  セットリストに対しての感想をいくつか投げ合いながらも、私はどこか上の空で。「じゃぁ、また来週、学校でね!」と手を振り去っていった彼女を慌てて見送って、私は大きく息を吐く。まだ、混乱したままなのだ。  高校生になって二度目の春、音楽好きな友人が出来て、初めて自分でチケットを申し込んだ。それまでは両親とその親友経由で流れてくるチケットを享受していたから。初めて自分で買ったチケットで、初めて友人と一緒に行ったライブで、好きなバンドのツアーファイナル。  ついでに言えば、席もかなりいい場所を引き当てた——今となってはその幸運が憎いけれど。そんな、楽しい初めてが沢山出来た筈のライブの思い出を吹っ飛ばしてくれたのが、ダブルアンコールでの彼の所業。何でったって、今になってそんな事をしてくれるのか。私は電車の窓に映る自分の服装を確認する。  夜の闇にぼんやり浮かぶのは、薄らと化粧をしていつもはポニーテールにしている髪を緩くハーフアップにした自分の姿。服も少し上の年齢に見えるような落ち着いたものを着ていたし、クラスの中でも高めの身長も相まって本来の年齢よりいくつか上に見えなくもない格好だ。自宅の最寄り駅の二つ前で降りた私が向かうのは、見知った大人達がいるジャズバーだ。このまま家に帰るのは癪だったのだ。  それに、そこであれば私が店に着いた瞬間、両親に連絡が行くだろう。よく考えるとひどく健全な夜遊びだ。 「おっじゃましまぁす」  開店前に遊びに来るのと同じノリでドアを開ければ、控えめなベルの音が鳴る。 「あれ? ナツミちゃん、こんな時間に珍しいね」  そっと店内に足を踏み入れた私を迎えてくれるのは、私と変わらない年齢に見える店員で。小柄で童顔な彼女は私よりも一回りは上だった筈だ。もしかすると二回りだったかもしれない。 「シグナルズのファイナル行ってきたんだけど、直で家に帰りたくなかったの」  彼女にこの時間の訪問理由を答えれば「あー! ファイナルいいなぁ、私は昨日行ってきたんだ。どうだった?」なんて彼女は楽しげな声を上げる。  そうして招かれたのは、私がいつも座っているカウンターの一番端。カウンターには既に何人かの客が座っていて、そこから数席空けて私はその席に座る。席に座れば、注文も取らずにマスターである鷹晴(タカハル)さんが私の前にコースターとジンジャーエールが満たされているのだろうストローがさされたグラスを置く。 「これ飲んだら送ってやるから帰ってくれよ、条例が怖い」  周囲に聞こえないように低く小さな声で告げる鷹晴(タカハル)さんに頷き「もう鷹晴(タカハル)さんが保護者っていうことで」と返せば、彼はしかめっ面で首を横に振る。 「だめなもんはだめ」  多分、鷹晴(タカハル)さんが私の周りにいる大人の中で一番ちゃんとしている人だと思う。不真面目そうな外見で、真面目な事を口にする鷹晴(タカハル)さんの言葉にはぁい、と少しだけ不満を滲ませた言葉を告げてから、私は元々問いただしたかった言葉を彼へと投げた。 「ねぇ、リョーマの事なんだけど。リョーマって、ハヤトなの?」  自分でもびっくりするくらいに不満に塗りつぶされた不機嫌な声で、私は鷹晴(タカハル)さんにそれを問う。本当にそうだったとしたら、私の周りの大人は両親を含めて長いこと私にそれを隠していたことになる。鷹晴(タカハル)さんだって同罪だ。  そんな私の言葉に少しだけ吹き出した彼は、「マジで気づいてなかったんだ」と前髪に隠されていない左目を丸く見開く。私が馬鹿みたいに言われた事に腹が立った私はよくわからない言い訳を重ねる。 「ちょっと雰囲気似てるなって思った事はあるけど、髪型全然違うし、メガネだし」  そんな私の言い訳にカラカラと笑う鷹晴(タカハル)さんに腹を立てても仕方がないのは分かっているけれど、腹が立つものは仕方がない。 「別に騒いだりしないのにさ、言ってくれたっていいじゃん」  ポツリと零した私の言葉に、鷹晴(タカハル)さんは「いやぁ、気付いてないナツミちゃんが可愛くてなぁ」なんて言ってくる。  私だけが馬鹿みたいで、しかも私はリョーマに対してシグナルズの曲がどんなに良くて——主にハヤトがいかに格好良いかって事をずっと口にし続けていたのだ。三時間前以前の私に言ってやりたい、お前がそれを伝えているのはハヤト本人だぞと。 「無理が過ぎる。嘘でしょ……」  この夜に何度も口からも心の中でも呟き続けている嘘でしょうという言葉を再び絞り出した私は、思わずカウンターに突っ伏してしまって。目まぐるしく浮かぶのは走馬灯なのだろうか、今すぐここで腹を切りたい。恥ずかしすぎて死んでしまいそうだ。死因が羞恥、無理が過ぎる。そんな私に、カウンターの向こうにいる鷹晴(タカハル)さんは優しげな声色で私の頭上から言葉を降らせるのだ。 「何年も前からドッキリさせるって言ってたけど、すげぇドッキリだったんだな。何があったんだよ」 「ダブルアンコールで、リョーマが誕生日の度に歌ってくれた曲を演奏された」  不覚にもときめいたなんて言葉は、自分の自尊心の為に仕舞い込んで——待って、ときめいたって何。リョーマがしでかしたドッキリの余波は、私を更なる混乱の渦へと誘って。私は熱くなる?を冷ますように、目の前にあるジンジャーエールを一気に呷ったのだ。  高校二年の春、私はリョーマとの関係が少しだけ変わった——けれども、きっとそんなに変わる事はないのだろうという馬鹿みたいに楽観的な事を、混乱に塗りつぶされた頭の中で考えていた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!