第二話

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第二話

 それは全国ツアーの最終日、アンコールを終えてのダブルアンコール。バンドの仲間であるベースのカケルとドラムのウシオを裾に置いたまま、俺はアコースティックギターを持ちステージの中央に置かれた椅子に腰掛ける。観客の歓声が沸き立つホールの中で、マイクを通した俺の声はよく通った。 「折角だし、もう一曲だけ。初めてやる曲だけど」  オーディエンスへそれだけを伝えた俺は、手遊びのように弦を鳴らす。波が引くように歓声が引いていったホールの中で、ギターの音だけが響く。  その曲はこんなに大勢の観客を前にして歌ったことがない、十数年前に作った曲で。バンドのメンバーにすら教えたことがないそれを演ろうと思ったのは、ひとえに一人の女の子を驚かせたいが為だった。  今回は俺が渡そうとしたチケットを固辞して自分の力で席を確保した彼女の席を探すのには骨が折れた。事前にさりげなく席番号を聞いてみた時に、自慢げにホールの前方の中央部に席を取ったと言っていた彼女の言葉を信じて俺は当たりをつけた席の周辺に視線を廻らせる。  十数年の間、彼女の為だけに弾き語ってきた曲は、彼女の姿を探す片手間に歌ったって身体が覚えていた。コードも歌詞も間違える事なく、俺はホールの中央で呆然と俺を見つめる彼女を見つける。  間奏の最中に見つけた彼女をしっかりと見詰め、驚いているのだろうその姿に向けて思わず笑みを浮かべた。  ——驚いたろ?  生まれた時から見ていた少女は、普段会う時よりも大人びた服装で立っていて。ステージから言ってやりたいその言葉を飲み込みながら、俺は彼女の為に作った曲を歌い切ったのだ。   「ダブルアンコールの曲、バースデーソングだっけ? 次のアルバムに入れるだろ?」  ツアーを終えて、明日はオフ。潰れるまで飲むと高らかに叫んだ俺のグラスにビールを注ぎながらウシオが問いかける。その言葉に、観客の前で披露したという事に付属してくる意味に気付く。 「あぁ、そっかぁ、そうなるわなぁ」  思わず溜息と共に吐き出した言葉に、ウシオが不思議そうに首を傾げれば「あれな、すげぇプライベートで作った曲なんだよな」とそれを演奏した理由を教えるのだ。 「高校時代のバンド仲間が結婚してさぁ、娘が産まれたってんで誕生祝いに作ったんだ。そいつ、俺がシグナルズのハヤトって知らねぇんだけど、シグナルズのハヤトが好きでさ」  そこまで言えば、俺よりもずっと頭の回転が早いウシオは「なるほど、その子しか知らない曲をその子が好きなシグナルズのハヤトが演奏するってサプライズか」なんて頷いて。 「まぁ、ドッキリだよな。高校二年になるまで気付かねぇアイツもアイツだけど」 「ハヤトは普段とステージの差がすごいからねぇ、髪の色からして違うし、普段は覇気がなさ過ぎるし?」  ビールを呷りながらそんな事を口にすれば、俺たちの話を静かに聞いていたカケルが揶揄うように口を挟む。  そんなカケルの言葉に「まぁなぁ」と声を投げる。『シグナルズのハヤト』のトレードマークである金髪に近い茶髪と数束だけ染め上げた赤のメッシュは十数年程前からウィッグで済ませている俺は、この場でもそれを脱ぎ捨てていて。  髪を切りに行くのも面倒になって伸び切った染めもしない黒髪を雑に束ねている俺と、『ハヤト』をイコールで繋ぐのは至難の技だろう。そんな事を言ったらカケルもウシオもステージ上で入れているメッシュはエクステだ。  ロックバンドと言えど、俺たちは揃いも揃って四十路前後のおっさんなので。カケルもウシオもエクステを外してスーツを着ればサラリーマンに見えるだろう。俺がスーツを着ると胡散臭いと言われるが、同じ顔をした双子の弟を思い出して仕方ないと諦めた。  アイツは良いとこに勤めているサラリーマンで、身なりもきちんと整えている方だけどどうにも胡散臭さが拭えなかった。  昔はそんな事無かったと思うのだが、とぼんやりと考えていれば「で、出すの?」なんてカケルの言葉に話は振り出しに戻される。 「そうだなぁ、出すか」  俺の言葉に満足そうな顔をする二人を横目にビールを呷れば携帯が震える。一度聴いただけの曲にどんな伴奏を付けるか、アレンジをどうするかと話し始める二人の言葉を流しながらスマホの画面を見つめればそこには俺が高校生だった頃にやっていたバンドの仲間である兄貴分からのメッセージが来ているという通知が出ていた。  一言だけで届いたそのメッセージに思わず笑い声を上げれば、ウシオとカケルの視線が俺へと向けられる。 「ドッキリ大成功。ピアノフォルテのマスターから、アイツがお冠だって来た」  二人を連れて行った事もあるジャズバーでマスターをしている鷹晴(タカハル)さんからのメッセージを伝えれば、「え、マスターって結婚してたの?」という斜め上の疑問が飛んでくる。 「違ぇよ、アイツさ高校二年にしてピアノフォルテの常連なんだって」  基本的には開店前に遊びに行っているからセーフだろう。 「アイツの親は俺の高校時代の同級生、二つ下だけど」  更に情報を追加してやれば二人は納得したように頷く。鷹晴(タカハル)さんに突如発生した隠し子疑惑を払拭しながら俺は心の中でだけ胸を撫で下ろす。これで隠し子疑惑が根付きなんてしたら煩いのが一人居るのだ。  無駄な喧嘩を売られるってのも、この歳になると面倒くさい事この上ない。そうして俺たちは、打ち上げそっちのけでバースデーソングをどうブラッシュアップしてやるかなんて話で盛り上がる。  結局潰れるまで飲めなかった俺は、打ち上げ後も三人揃って俺の家の防音室で何度もバースデーソングを演奏することになったのだ。   「……こっわ」  ギターを鳴らしながら朝を迎えた俺に届いていたのは、昨夜ドッキリを仕掛けた相手からの数十に渡るメッセージの通知。  その内訳は一言のメッセージと九割九分九厘のスタンプ。リビングに放置していたスマホはメッセージの通知を頑張ってくれたのか虫の息で。『なんで言わなかったの』という一言の後にスクロールを何度もしなければ最後まで見る事ができないくらいに届けられた同じイラストのスタンプ。  送られてきていたスタンプのキャラクターは怒りの表情を浮かべていた。歌いすぎて少し潰れた喉が出した声は掠れていた。 「どうした?」  眠そうな声色で防音室から出てきたウシオに「ドッキリ仕掛けた相手から、スタンプ爆撃っていうのか? めちゃくちゃスタンプ送られてきた」と俺のスマホに起こった現象を伝える。 「ザ・女子高生って感じ。っていうか、女子高生からラインが届くってそこはかとない犯罪臭がするよな」  カラカラと笑うカケルに「犯罪ってお前なぁ」と思わず溜息が漏れる。  謝罪の言葉を五文字で送りながら「その女子高生の両親の連絡先もお互い知ってる状態で犯罪もクソもねぇよ」と言葉を重ねた俺に、ウシオは面倒そうに肩を竦めて「うちのリーダーが都条例に引っかかると色々マズいって事は、覚えとけよ」なんて言葉を投げる。 「俺を何だと思ってんだよ」  思わず口をついて出て来た俺の返答に、ウシオは笑って「高校で二留する馬鹿」と返すのだ。無情にも突き付けられるその事実に俺は返す言葉を見付けられずに肩を落とす。 「まぁ、そこまで馬鹿だとは思ってないから、今後ともちゃんとリーダーしてくれよな」  そう笑って帰って行ったウシオを見送り、ついでにカケルも見送って、俺はいつの間にか届いていたメッセージに溜息を一つ。それは例の彼女からのお呼び出しで。一方的に通達された集合場所と時間を確認した俺は、出掛ける為の準備を始めるのだ。  四十二回目の春、俺は十数年間隠していた秘密を彼女に教えた。これが切っ掛けだったのかはわからないが——その頃の俺は、これから起こる予想もしてなかった展開に驚かされる事になるとは、思ってもみなかったのだ。  ただ一つ言えるのは、ウシオは預言者か何かなのかって事くらいで。
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