第三話

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第三話

 リョーマが本当はシグナルズのハヤトだという事を、私が知ってから早数ヶ月。  あの春の夜からリョーマとは何度か顔を合わせて居たけれど、リョーマはいつも通りダメな大人でハヤトと同一人物だとは思えなかった。思いたく無かったというのが正解なのだけれど。  あのライブの翌日に事情聴取だと呼び出したリョーマは少しバツが悪そうな顔で現れて、私の両親や鷹晴(タカハル)さん達が面白がって隠していたという事を教えてくれた。「俺もそのうちドッキリでも仕掛けてやろうと思ってたんだけどな」なんてドヤ顔を晒したリョーマは、その日私が持っていた鞄で殴ってやった。  その日私が持っていた小さな皮製のバックは、いい音を立ててリョーマの背中に当たっていた。そうして彼はご機嫌とりとでも言うかのように、私が欲しかったコートやバックを買い与えてくれた。  リョーマは何だかんだ言って私に甘く、今までも私が欲しがったものの八割位はリョーマに買ってもらっていたのだけど、今考えたらその財源があるのはリョーマがそれなりに稼いでいるという証拠で。  それでも今まで私が見て来たリョーマは、面倒がって伸ばした髪を雑に結んで適当なティーシャツとジーンズで過ごすダメな大人だったのだ。ハヤトとイコールで繋がる訳がない。  そりゃぁ、ちゃんとすれば格好いいんだろうな、なんて事を思った事は何度かあったけれど——結局、認めたく無かったのだ。  私が知っているダメな大人が、本当は格好よくて稼いでいるすごい大人だと言う事を。  ——さて、なんで私がリョーマとの今までの関係に想いを馳せているかと言えば、思っても見ていなかった突然の事態が起こったからだ。 「初瀬川(ハセガワ)の事、いいなって思ってたんだ」  放課後、帰ろうとした所を呼び出された私と目の前に立つ同級生が居るのは私たちが通う校舎の中でも人気が少ない裏庭で。  初夏に差し掛かるかという頃の爽やかな風が高い位置で一つにまとめた私の髪を揺らしているのを感じる。薄く明るい青空と新緑の明るい緑がマッチしていて、青春映画だったらさぞ絵になっていただろうにという感想が頭の端を過ぎる。  私はわかりやすく現実から逃避していた。  目の前に立っているのは、学年の中でも格好いいと女子の間で騒がれていた男子で。私は多分彼から告白というものをされているのだろう。  そういえば、学校祭が近かった。「はぁ」なんて気の抜けた言葉を返してしまった私に、彼は根気強く「よければ、俺と付き合ってくれない?」と爽やかな笑みを添えて私へと告げる。  ——流石に、「何処に?」なんてベタなボケを返すのは駄目だと思う。  ぼんやりと巡らされていた思考は無理やり現実に戻されて、その戻ってきた現実を認識した途端に?が熱くなるのを感じる。  生まれて初めての告白の相手が、学年の中でも人気がある男子で、彼の真剣な表情は嘘ではないという事がありありと透けて見えていたのだ。  それでも、私はそれに是と返す事を戸惑ってしまった。その理由にたどり着く前に、私の脊髄は反射のように「ごめんなさい!」と口走らせて、身体を九十度に曲げて頭を下げていた。  そもそも、彼の事は人となりすら知らないのだ。そんな相手と付き合うというのは何だか違うと思う。顔はそこそこ良いけれど、多分ちゃんとした時のリョーマには及ばない。  比較対象がリョーマになる事に一瞬疑問を感じたけれど、その時の私はそこまで考えが及ばなかった。 「——あ、うん。そうだよな。いきなりごめんね」  きっと彼はイエスの答えが返ってくる事に自信があったんだろう。私の返事に虚を突かれように言葉をいくつか漏らしてから、何かに納得したように言葉になった声を零していく。  九十度の最敬礼をした私はどうしようもなく居た堪れなくなって、裏庭から逃げ出して一目散に校門へと走る。教室に荷物を置いて行かなくてよかったなんて思いながら。 「ナツミ、どうだった?」  校門で見つけた親友の横に飛び込めば、彼女は訳知り顔でニヤニヤと笑う。全力疾走した私は言葉を返せず息を整えながら彼女の隣を歩いていれば、彼女は言葉を急かす事なく私の呼吸が整うのを待ってくれる。そこが彼女の良いところだ。  学校の最寄り駅で改札を超えた頃、漸く呼吸が整った私は「告白されて、断って、逃げてきた」と今に至る過程を途切れがちな言葉の羅列で彼女に伝える。「どうしてまた」彼女が零した言葉には、非難の色はなくただただ疑問であるというような調子で。 「いやだって、私は(アズマ)くんの事全然知らないし……?」  そもそも断った理由も深く考えた結果ではなくて、寧ろ脊髄反射みたいなところがあってあまり考えたくないとも思ってしまっていた。その理由を紐解いたら、何かが変わってしまうような気がしたのだ。 「そこそこに顔が良くて、軽音でギターやってて、爽やか好青年。ハヤトが好きなナツミはコロっといくかと思ったけど」  学年みんなが知っている程度で(アズマ)くんの情報を指折り数えながら彼女は首を傾げる。「劣化版……」と思わず口走った私に、彼女は流石に非難する視線を送る。 「まさかハヤトと付き合いたいなんて思ってないでしょう?」  呆れたように吐き出された言葉に「思ってる訳ないじゃん!」と叫んで、慌てて次の言葉を飲み込む。  ——だってハヤトって本当は口が悪くて私に甘いダメな大人だよ!? なんて言葉は流石に親友であっても言えない。  私はリョーマからそれを口止めされた事はないけれど、私はそれを言い触らすつもりはなかったし、それを言ったら多分リョーマにはとんでもなく迷惑がかかるのではないかと思うのだ。  まさかハヤトが私の身近にいる人間だとは思ってもいないだろう彼女は「でも、夏海(ナツミ)の理想って割と高いよね。(アズマ)くんを劣化版って言い放つくらいだし」なんて肩を竦めて笑って見せて。 「そうかなぁ」  思わず首を傾げてしまった私はそもそも理想とは、と首を傾げる。顔はいいに越した事はなくて、音楽が好きで話が合えば最高だし、割と甘やかされて育っている自覚はあるから甘やかしてくれれば尚良し。  そう考えると(アズマ)くんが私を甘やかしてくれるかはともかくとして、大体は私の理想に沿っている筈なのだ。何だか難しい現代文の読解みたいになってきた。  眉を寄せて考え込み始めてしまった私に、彼女は笑って「また明日ねぇ」と手を振り私の乗る電車とは違う電車に乗り込んでいく。  一人取り残された私は、突如降りかかってきた定期テストよりも難しい問題に取り組もうとする。あまり考えたくないと思いながらも、考えないのも座りが悪い。家に帰る為の電車に乗り込みながら全部(アズマ)くんが悪い、なんてすこぶる無責任な責任転嫁を心の中でだけしてから、もう一度その理想やらというものと向き直る。  まず私はハヤトと付き合いたいのかとえばそれは違う。というか、多分『シグナルズのハヤト』は消費者に向けて作られた存在だと思う。ロックシンガーなのに偶像(アイドル)なのはリョーマ的にどうなの、なんて今は近くに居ない本人に思わず問いかけてしまう。  ハヤトは鑑賞用、ここまではいい。 「——んん?」  ここまで考えて、私は思わず首を捻る。この先を見たいような、見たくないような感覚を覚えて思考を散らすように電車内の駅名表示を眺める。  次の駅が私が降りるべき駅だった。ゆっくりと電車はホームに滑り込んで停車する。同じ駅で降りる人々の疎らな波に乗って私はホームに降り立って、相変わらず爽やかな風を身に受ける。  何かを考える余裕もなく、足早に家に向かい誰も帰ってきていない家に足を踏み入れた私は、私がハヤトの正体を知った事を知った両親が面白がりながら飾り始めた写真を視界に入れてしまう。  それは、赤ん坊の私がハヤト——その頃はちゃんと髪を染めていたらしいリョーマに抱かれている写真で。  写真の中でハヤトの格好をしているその人が浮かべる表情は、私の知るハヤトのものではなく、どちらかというと私の我が儘に「しょうがねぇな」と言って笑うリョーマが浮かべるそれと同じものだった。  つまり、孫を目の中に入れても痛くないとか言ってしまうおじいちゃんみたいなそれで。  私は昔からリョーマがそうやって笑うのを見たくて、ちょっとした我が儘を口にしていたように思う。例えばおもちゃが欲しいとか、シグナルズのライブに行きたいとか、ギターを弾いて欲しいとか。  最後の一つは寧ろリョーマがハヤトだって知ってから強請るようになったっていうのは、我ながら欲望に忠実という感じだけれど——そうして私は、きっと無意識で外していたのだろうその考えに至ってしまうのだ。  私の理想が、昔からずっと変わらずリョーマだったっていう事に。 「嘘でしょう……」  思わず口から言葉を零しながら、腰が抜けたように床に座り込んでしまう。窓の外からは茜色の陽射しが差し込んでいた。  そろそろカーテンを閉めて電気を点けなければいけない時間になっていた。薄暗い部屋の中で思わず零してしまう言葉は、私のものではないかのように部屋の中で響く。 「私が、リョーマの事を、好き?」  ずっと見ない振りをしていたそれを声に出して、耳で聴く。そうして私はとても不本意ではあるそれを、うやむやには出来ずに認めてしまうしかない。  認めてしまえば、何だかその結論にすっきりして。私は漸く床から立ち上がり、カーテンを閉める為にのろのろとリビングの中を歩くのだ。  この気持ちの落ち着け先をどうしようかと考えながら。
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