第四話

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第四話

 彼女——初瀬川(ハセガワ)夏海(ナツミ)、ナツの呼び出しは相変わらず唐突で。  彼女が携帯という連絡手段を持ち始めてから、それは加速する一方だった。唐突な呼び出しである事は自覚があるんだろう、俺に予定が入っている時は素直に引き下がる素直さもある。  眠いから無理と答えた時はさっさと来いと返されたが。  そんな彼女の呼び出しに俺が応じたのは土曜の昼下がり、場所はいつものピアノフォルテではなく女の子が好みそうなカフェで。  待ち合わせの時からいつもとは少し雰囲気が違うように思えた彼女が、俺を連れて入ったそれなりに繁盛しているその店の売りは色取り取りの果物で彩られたパンケーキだった。 「この店、一度来てみたかったんだよね」  そう言ってテーブルを挟んだ向かい側でクリームと果物が山盛りになったパンケーキを頬張る彼女に「一緒に行く相手位、俺以外にもいるだろ」と返せば、「リョーマと来たかったっていうか?」なんて首を傾げて笑うのだ。  どう考えても四十に突入したおっさんを引き連れて来る店じゃない。見ているだけで胸焼けしそうな甘そうなそれを見つめながら、俺はコーヒーを啜る。  流石に一緒になって砂糖の塊みたいなそれを頼む勇気はなかったのだ。結局ナツに甘い俺は、パンケーキを幸せそうに頬張る彼女を見つめながらまぁいいか、なんて思ってしまう。  パンケーキ位幾らでも食えばいい、その程度の我が儘を却下する程俺の財布は薄くないし。  路面に面している壁が全面ガラス張りにされている店の窓際に案内された俺たちは、梅雨の気配がまだ訪れていない六月の光が柔らかく差し込む中で向かい合っていた。黙々と、しかし美味そうにパンケーキを食べる女子高生と、それを観察しながらコーヒーを啜る四十を過ぎた男という組み合わせは如何なものかとは思うが、今のところ咎めるような視線を感じないから良しとする。  せめて親子程度に思ってもらえれば、なんて彼女の実の両親よりも幾つか歳を重ねている俺は心の中でだけ祈っていた。 「ご馳走さま!」  黙々とパンケーキを頬張っていたナツが、嬉しそうな声で完食を報告する。そんな彼女に「美味かったか?」と訊けば「美味しかったよ」と答えが返ってくる。「リョーマも食べれば良かったのに」という言葉には「三口で胸焼けしそうだから無理だな」なんて返して。  セットで頼んでいた紅茶のカップから少しだけ紅茶を啜った彼女は、普段俺の前では見せないような真面目な顔をして俺を見つめていた。 「——どうした?」  いつもとは様子の違う彼女の表情に俺は首を傾げながら彼女を見つめる。そうして俺は、最初に感じた雰囲気の違いに気付くのだ。  薄らと——しかし彼女によく似合っている化粧を施し、いつもはポニーテールにしている髪は下ろした上に緩く巻かれていて。その大人びた装いによく合ったふんわりとした明るい色のワンピースを纏った彼女は、高校生というよりも大学生にも見えた。  そんな大人びた装いの理由はこのカフェにくる事にあったのだろうか、それとも俺はナツに彼氏が出来たなんて報告をこれからされるのだろうか。そうなったら流石にこうやって出掛ける事もなくなるんだろうな、なんて一抹の寂しさを感じる。  何だかんだと言ったって、俺はナツに呼び出されるこの時間と口煩いナツの小言が気に入っていたのだ。「あのね」薄桃色に染められた彼女の唇が少し逡巡するように震えながら、言葉を放つ。 「私、リョーマのことが好きなの」 「……ん?」  ナツ、お前今何つった? 思わず口から出してしまいそうな俺の突っ込みはコーヒーと共に飲み込んで。        そんな俺の困惑を知ってか知らずか、彼女は頬を朱く染めながらもポンポンと言葉を唇に乗せていく。「だからリョーマの事が好きだって言ったの。ずっと憎まれ口ばっかり叩いて可愛くないって思われてるのは知ってるけど、でも好きなものは好きで、ええっと、好きなんだってば!」  途中で自分でも何を言っているか分からなくなって来たのだろう、最後には少しキレ気味で言葉を切ったナツを俺は呆然と見つめてしまう。  いや、お前今何つった? 状況に付いて行けない俺は思わずタバコに手が伸びるが、店内が禁煙である事に気付いてヤニの救いを諦める。  呆然とする俺に痺れを切らしたのか、彼女の視線が刺さってきて。そんな彼女に何から伝えればいいのか。 「ええと……憎まれ口については、可愛くねぇけど好きとか嫌いとかそういうんじゃねぇんだけど……?」  とりあえず、彼女が気にしているのだろう点について訂正を入れた俺は「いや、そうじゃなくて」と思わず口に出して自分に突っ込む。  そもそもこれはどういう事なんだ? 突然好きだと言い始めた彼女の真意が分からなくて——いや、どちらかというと分かりたくなくて。「ちょっと待て、混乱してる」と彼女に伝える。  そんな俺の言葉に黙って待ってくれるのは良いとして、その視線は熱く鋭く俺に刺さるのだ。熱を帯びて、期待と不安に揺れる彼女の瞳には、覚えがある。  けれど、それは彼女が俺に向けるべきものじゃない筈だろう。二十六——干支でいえば二回り以上の年齢差がある彼女と俺の間に、あるべきものでは決してない。  けれど、どう考えても彼女が口にした拙い言葉は、恋の告白だった。 「——俺もさ、ナツの事は気に入ってるし、可愛がりたいと思っているし、好きだ」  漸く口から出せた言葉に嘘はない。けれど、俺には責任だとか、世間の目だとか、そういうものがある。嬉しげに頬を染めた彼女を悲しませたい訳じゃなかったけれど、俺は敢えて彼女を傷付ける為の言葉を口にした。 「俺が『ハヤト』だって知って、舞い上がってるだけだろ」  出来るだけ冷たく、温度を消した声で俺はそれを口にする。 「俺のナツに対して好きだっていうのは、親友の娘に対しての好き、なんだよ」  突き落とすように口にした言葉に、胸が小さく痛む。その痛みに、俯いてしまった彼女を傷付ける罪悪感だとラベルを付けて、俺は押し黙る彼女に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。 「普通に可愛いんだから、同年代の彼氏でも作れば俺なんてどうでも良くなるって」  静かにゆっくりと紡いだ俺の言葉は、顔を上げた彼女の視線に封じられた。意志の強いその瞳は、彼女の父親によく似ていて。  年下の同級生であった彼女の父親が、俺を学校祭のバンドに誘った日の事を思い出した。彼女の父親——修平(シユウヘイ)に誘われてから一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。  そんな事をぼんやりと考えながら彼女の視線を受け止めていれば、彼女は「今日のところはそれでいいよ、私はあきらめないから覚悟しといて」なんて脅し文句みたいなその言葉を口にする。  強気ですぐに諦めないところも修平(シユウヘイ)そっくりだ。そんな所で遺伝子の強さを見せつけないで欲しい。 「お前なぁ」  思わず吐き出してしまった俺の言葉に、彼女は父親そっくりの笑みで「ひとつだけ言っておくけど、『ハヤト』に対して恋愛的な好きとかそういうのはないから。あれは観賞用、アイドルでしょ」と挑むような声色で俺へと告げたのだ。  明るい日差しの差し込む喫茶店、梅雨が訪れる気配がない土曜の昼下がり。  可愛がっていた女の子に熱烈な告白をされた俺は、梅雨に入り——それが明けても、彼女から全身全霊全力で逃げ続けるという日々を過ごす事となったのだ。
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