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第五話
「——で、どうしてそうなったっていうのよ?」
学校祭も、雨の時期も過ぎて、うだるような暑さから逃げるようにファストフード店に駆け込んだ私たちは、他愛のない話に花を咲かせていた筈だった。
夏休みの講習がだるいだとか、そろそろ進路も決めなきゃいけないよねとか。
そんな話をしていた筈が、いつのまにか私の向かいではポテトを加えながら呆れたような表情を浮かべ「どうしてそうなった」と口にする親友の姿があった。
私が聞きたい、なんでこんな事言っちゃったんだって。つまり私は、彼女に梅雨がやってくる前に起きた一連の恋の話を告げてしまった訳で。
私が零した内容は確か「二十歳以上歳上に告白しては連敗している」という身も蓋もない話だった筈だ。
ちなみにその相手であるリョーマが、彼女も好きなシグナルズのリーダーである所だけは口に出さなかった。リョーマはそれだけでも私の事を褒めてくれていいと思う。
日本各地のフェスを回っている最中だろうその人に無茶苦茶な事を心の中だけで呟いて「どうしてそうなっちゃたんだろうねぇ」と私も彼女の疑問に便乗する。
「それは! アンタに! 私が聞いてんのよ!」
眦を釣り上げてそう口にした彼女に「だよねぇ」と私は肩を落とす。
「そもそも、その人どんな人なの」
私の話に興味を持ったのだろう彼女は、楽しげに瞳を輝かせて私に迫る。
そんな彼女の言葉に「親の友達かなぁ、親と高校時代にバンド組んでたんだって」と返して「ベースとギターがめちゃくちゃ上手い」と情報を追加してやれば「それなんてハヤト」という言葉が返ってきて私は思わずぎくりとする。
「ハヤトは別格」
それだけを返せば「過激派がこわぁい」なんて揶揄い混じりの声色で茶化すような彼女の声が返ってくる。
とりあえず、出来る限りハヤトから話を逸らそうと「小さい頃から遊んでくれて、私に甘いダメな大人だよ」なんて更に言葉を重ねるのだ。
「ダメな大人に惚れたって……それダメなやつじゃん」
思いっきり呆れたように溜息混じりで返されたその言葉に、いやまぁ確かに。と私も思わず頷いてしまう。「でも好きになっちゃったんだもん」というよりも、好きだった事に気付いてしまっちゃったのだ。「写真とかないの?」と言われた彼女に私が見せたのは、一番ダサいリョーマの姿。
母親に報告してやろうとして撮った昼間から酒を飲んで、タバコを吸おうとしている無精髭に眼鏡をかけてボサボサに伸びた髪を一括りにした男性の姿をスマホの画面いっぱいに表示して彼女に見せてやれば「本当にダメな大人の典型って感じ……」と呆れたように言葉を零していた。
「え、夏海ってこういう趣味だったの……?」
そんな言葉と共に新種の生き物を見るような視線が送られる。失敬な、リョーマだってちゃんとしたら格好いい。何せステージの上に立つと、その写真の男はハヤトになるのだから。
しかし私はその言葉を飲み込んで「外見じゃないもん」と不貞腐れながら言葉を返す。「この写真からは何一つとして高感度が上がらない」なんて言う彼女は「でも、夏海のことちゃんと考えてる人なんじゃないの」と言葉を重ねる。
「なんでそう思うの」
彼女の言葉が分からなくて——分かりたくなくて、少しだけ咎めるような声で言葉を零してしまう。そんな私に彼女は薄く笑って口を開いた。
「だって本当にダメな大人だったら、自分の事めちゃくちゃ好きって言ってくるそこそこ可愛い女子高生とかただのカモネギじゃん」
彼女の言っている事が分からない程に子供じゃない私は、思わず顔を覆ってしまう。リョーマと私の関係は私が産まれた時から続いているくらい長い関係だから、すっかり忘れていたのだ。
私の周りの大人はダメな大人に見えながらも、そういう所をちゃんとする人たちだった。
「……悔しい」
思わず口から溢れた私の言葉に、彼女は首を傾げる。私は悔しかったのだ。知らないうちにきちんと守られてた事も、それを知らずにリョーマに迷惑を掛けていた事も。
今の私が言う好きという言葉に、リョーマが頷くことは絶対にない事に気付いて、今まで私が何度も重ねたその言葉は彼にどう届いていたのかを後悔してしまう。
私は馬鹿みたいな向こう見ずの子供で、彼は人々の注目を集めているちゃんとした大人だったのだ。私が彼に好きと言う度、困ったように少し笑って——それでも一度たりともその言葉を受け止めてはくれなかった彼は、私の言葉が迷惑だと感じていたのだろうか。
連絡をすれば律儀に返信してくれて、私と会ってくれる彼は、毎回億劫に思っていたのだろうか。この数ヶ月の私がやってしまった所業が、今になって不安と後悔に変わって押し寄せて。
いつのまにか、私は涙を零していた。
「え、泣く……?」
黙って私の様子を見つめていた彼女は驚いたように声を上げて、慌てたように「大丈夫?」と言葉を重ねる。
そんな彼女の言葉に「馬鹿だ、私」それだけを返せば、彼女は少しだけ言葉に迷うような間を開けてから「……本当に好きなんだ」なんてポツリと呟いた。
「……好き。口が悪いとこも、私に甘いとこも、冷たい事を言っても無視はしないとこも、ギターが上手いとこも、私の扱いが雑なとこも——全部すき」
私が、リョーマの事をどうしようもなく好きな事が悲しくて、その悲しみをどこに置けばいいのか分からなくて、ファストフード店の中で私は涙を流し続けた。
客の視線がチラチラとこちらに向けられているように感じて、私は無理やり洟を啜ってハンカチで涙を押さえる。そんな事をしていれば、私と親友のスマホが同じタイミングで震えた。通知の画面だけで内容を確認しようとした親友は、珍しく大声で一言声を上げてスマホの画面を凝視する。
「え、どうしたの」
彼女について行けなかった私は、涙声のままで彼女に言葉を投げる。そんな暢気に思えたのだろう私の言葉に、親友は声を震わせながらその言葉を私に告げた。
「速報がきて、シグナルズが次のツアーでライブ活動休止するって」
どこか現実味がない彼女の言葉に、思わず私もテーブルに置いたままにしていたスマホを掴み多分彼女が見たのと同じ音楽情報誌の記事を食い入るように見つめる。
何度読んでも、彼女が口にしたその言葉と、記事の内容は合致していて——ついでに言えば、追加の情報としてその活動休止となる事情を知ってしまった。
「……ハヤトが、ロサンゼルスに移住……?」
シグナルズのリーダーであるハヤトがロサンゼルスに移住する事を決めた事、そしてそれにより毎年恒例となっていた日本での全国ツアーを休止するという記事だった。
アルバムの制作は今後も続けるとは書いてあるけれど、シグナルズは元々ライブをする為にアルバムを作ると自ら宣言しているようなライブバンドで。そうしてまで、リョーマは私と離れようというのだろうか。
思わず私はリョーマに対してメッセージを送る。一言だけの私の言葉に、すぐに既読が付く。リョーマも私がこの記事をすぐに見るだろうと思っていたのかもしれない。
既読がついてから返事が来るまでの短い時間が、途轍もなく長く感じた。食い入るようにスマホを見つめていた私を、記事を読んでいるのだろうと勘違いしたのだろう親友は「次のツアーもチケット取らないとね」と私を慰めるように言葉を投げる。
彼女の言葉に上の空な返事をしながら画面を見つめていれば、彼からの言葉が私の元に届いた。
『元々、一度向こうには行きたいと思ってたんだ。そのうち戻ってくるし、その時はまたライブのチケット渡してやるから怒るなよ』
『あ、次のライブのチケットもちゃんと用意しとくから、修平と明日香とナツと転売以外で必要あれば言えよ』
たった二つのメッセージが短い時間を開けてポコポコとトーク画面に現れる。私は追加で親友分のチケットが一枚欲しいと返信する。
私の言葉に了解の一言だけを返した彼は『修平か明日香に渡しとく』と返信をくれた後は私が何を送っても既読が付くだけだった。
そうして私は気付くのだ、やはり、リョーマは私と距離を置くためにこんな事をしたのだと。
また溢れ出した涙の理由を、シグナルズが観れなくなる事がショックだったのだろうと都合の良い勘違いをしてくれた親友に慰められながら、私はファーストフード店の真ん中で涙を流し続ける事しかできなかった。
——そして私は、あの夏の日にメッセージを交わして以来、リョーマと会えていないのだ。
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