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最終話
あの旅は、私にとって最後の賭けだった。
最後でもいいからもう一度リョーマに会いたいという私のエゴと手を貸してくれた了馬さんの悪戯心ともしかしたらという一抹の期待で向かったロサンゼルスの地で、私は賭けに負けはしなかったけれど勝つ事も出来なかった。
突然やってきた私の観光に付き合ってくれたリョーマは、相変わらず私に甘くて——けれど、夜遊びもさせてくれずに私をきちんとホテルまで届けてくれた潔癖さとか、私を見る目が保護者のそれだったとか、この恋に勝算が見えない状況を突きつけられる二日間だった。
だから私は最後にもう一度だけ、彼への恋心をはっきりと言葉にして投げつけた。最早通り魔か爆弾魔かとでも言うように、まっすぐ、きっちり、有耶無耶にせず。
この五年間で溜まった恋心を、きちんと言語化して伝えてやったのだ。それが拒絶されれば私の負けだろうと、そう思いながら。
その賭けの結果は、はっきりとした答えが出ず不発に終わって。
まぁ、最後に怖気付いた私が答えは要らないと言ってしまったせいなのだけれど。そんな不発に終わった告白を残して帰国して——私は今日、大学生というモラトリアムに終わりを告げる。
「めっちゃ似合ってるじゃん」
朝早くから着付けされた袴姿を無駄に連写してくる高校時代からの親友に「あとで一枚でいいから写真ちょうだいね」と言って、私も負けじと彼女の袴姿を激写する。高校で知り合った親友は、同じ大学の別学部に進学していて。
高校時代みたいにはいかないけれど、未だによく顔を合わせていた。
「あ、そうだひとりぼっち卒業旅行のお土産」
小振りなキャンディの詰め合わせを渡せば「ありがと、どこ行ってたんだっけ」と彼女は首を傾げる。
そんな彼女に「アメリカ」とだけ答えれば「ナツミってたまに行動力が凄まじいよね」なんて言葉が返される。
ぽんぽんと会話の応酬を楽しんでいれば、不意に携帯が震えた。
「——嘘でしょう」
思わず飛び出た私の言葉に、親友は不思議そうに私を見つめていた。スマホの画面に表示されていたのは、思いもしなかった相手の名前。
その人が私に送ってきた言葉は「今日、何時に終わるんだ?」だった。その一文を数秒じっと見つめた私は、式が終わるであろう時間と着替える時間を計算して、四桁の数字だけを送り返す。
そんな私の返信に、わかった。の一言だけで返信してきたその人の真意が分からないまま、私は隣で不思議そうに私を見つめ続ける親友に「謝恩会、パスするわ。よく分からないけど、予定が入ったっぽい」とだけ伝えたのだ。
式を終え着替えも済ませた私が構内から飛び出せば「こっちこっち」と聴き慣れた声が飛んできて。
声の出所を探すように視線を巡らせば、いつもよりも少しだけきっちりとした格好で塀に背をもたれているその人の姿があった。
「リョーマ、帰国したんだ?」
震えそうになる声を、何とか普段通りに聞こえるようにまっすぐ出して。そんな私の言葉に「一時帰国だけどな」と彼は小さく笑みを浮かべる。
その笑みは、どこかいつもとは違和感があって。その違和感は、彼の服装がきちんとしているからだろうと結論付けて。
リョーマに連れられるままに、彼が乗ってきたのだろうミニに乗り込んだ。
「卒業おめでとう、ドライブでも行こうかと思って」
祝いの言葉と連絡した理由を続けて口にしたリョーマは、私が疑問を挟む暇もなく車を走らせる。車の中で流れるのは、ギター一本で奏でられるインストゥルメンタル。
ギターに合わせて鼻歌を歌いながらハンドルを握るリョーマに、私はこそっと言葉を投げる。
「どこ、向かってんの?」
私の問いに彼は「海でも見ようかと思って」と口の端だけで笑みを浮かべ、そのまま車を走らせる。時間貸しの駐車場に滑り込んだミニから降りた私たちは、夕暮れが近づく浜辺をゆっくりと歩きだす。
「こないだ見た夕陽みたい」
ポツリと零した私の言葉に「サンタモニカみたいに遊園地はねぇけどな」と彼は肩を竦めて笑う。
「——で、この間の話の続きになるんだけどな」
わざわざ海まで連れ出して、リョーマが持ち出したのは空港での賭けの話だった。
きっと、賭けの結果が、此処でわかるのだろう。
「まずは、これを聴いてほしいんだ」
ゆっくりと差し出されたのはヘッドホン。訝しげにそれで両耳を塞ぐように着けてみれば、リョーマが操作するスマホと繋がっているのだろうヘッドホンに、ギターの掠れた音が流れ始める。
さっき、車の中で流れていたインストと同じイントロを奏でるギターに、今度は歌詞を乗せたメロディが重ねられた。
「——うそ、でしょう?」
私が、その声を聴き間違える筈などなくて。恐らく、リョーマが一人で作り上げたデモ音源なのだろうそれは、シグナルズのハヤトが歌い上げるような歌声よりも少し地声に近いリョーマの声で。
その歌は、四季を巡りながらすれ違い——再会した恋人を歌うようなラブソングだった。
「……キザにも程がある」
ヘッドホンを耳から外し、首にかけたままで思わず零してしまった私の言葉に「まぁ、本業だからなぁ」なんてリョーマは照れ臭そうにはにかんで。
「——ひでぇ逃げ方しちまったけど、俺も言いたいから言わせてくれよ。夏海に、惚れちまった」
少しだけ困ったように笑うリョーマの言葉を、何度も頭の中で反芻する。惚れちまった。その言葉は、私が賭けに勝ったと確信するに足る言葉で。
「俺も、今更いい答えはもらえるなんて思ってねぇけど。今まで言わせっぱなしだったし、いい機会かと思って」
言い訳のように言葉を繋ぎ続けるリョーマに、思わず「馬鹿!」と叫んでしまった私は、そのまま彼の腕の中へと飛び込んで。
「知ってるでしょう、私だって好き、リョーマも私に惚れてるんなら、両想いで——恋人にしてくれるって事で、いいんでしょう?」
嘘でも夢でもない現実にしたい一心で、私は確実な言葉を掴むためだけに言葉をリョーマへと投げていく。
「——当たり前だろ。寧ろ俺が恋人にしてください、って縋るべきだな」
そうして彼は私の耳元で囁く。
「年甲斐もなく、お前に惚れちまったんだ——もう、ガキには見えねぇ」
そう呟いて、彼は更に言葉を重ねる。
「俺はさ、お前の最初の男にはなりたいけど——最後の男にはなりたくねぇんだ」
きっとそれは、リョーマにとって最後のプライドだったのだろう。二十六という年月の隔たりがある私たちは、順当に行けばきっと私が残される。
そうでなくても、私がまだ高校生の頃に彼が言っていた「他にいい男が沢山いる」というのも、リョーマは気にしているのだろう。
だから私は、それには聴き分けがいい女みたいに頷いて。それでも小さく「ばか」と口にする。
私にとって、きっとリョーマが最初で最後のいい男だ。
ヘッドホンからは、リョーマが歌う愛の言葉が波音に消されながらも静かに響いていた。
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