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「あんたさあ、人の話聞いてた!?」  ほぼ毎日恒例、重守(しげもり)さんの罵声が響き渡る。その対象は、わたし。昨日もわたし。一昨日も。前の週も、その前も。そしてきっと明日も。ほぼわたし限定。わたしがこの職場に入った二年前から、ずっと。 「ほんっとさあ、こんなミスすんの、あんただけなんだけど!」  それは嘘だ。他の人もやる時はある。でもグループ監督のあなたは、それに気付いても、わたし相手の時みたいにキツい口調では注意しない。それどころか笑って許す事も少なくないよね。  そんな台詞を口にする勇気は、反抗する勇気は、今日も出せそうになかった。ああ、皆がチラチラとこちらを見ている。でも庇ってはくれないんだよね。後で会社に報告してくれるって事もないんだよね。まあ、これもいつもの事だし、報告したところで何も変わらないのもわかっているけれど。 「はっきり言うけどさあ……」  そんな前置きしなくったって、いつもはっきり口にしているじゃない。色んなキツい台詞を。 「あんたさあ、給料泥棒だよ?」  あ、それ去年の夏頃にも一回言われてる。 「あたしが経営者だったら、とっくにクビにしてるから」  いや、今時そんな簡単に首は切れないんだよ。知らないのかな。それと、あなたが取る言動の数々は、今時パワハラ認定されやすいんだよ。  ミスをするわたしが悪いってのはわかってる。要領が悪いってのも昔から自覚している。でも、重守さんの叱り方、というか怒り方は、はっきり言って度を越していると思う。とにかくキツいのだ。喋り方も、喋る内容も。 「ねえ、聞いてんの?」  わあ怖い。内面のキツさと醜さが滲み出た凄い顔で睨んでくる。 「……聞いてます」  わたしがそれだけ答えると、重守さんは無言で去っていった。  わたしは幼少時から、両親に精神的な虐待を受けてきた。高校は通わせてもらえた──公立に受かっていなかったら働かせられていた──けれど、お前みたいな馬鹿に大学なんて勿体無い、卒業したらとっとと働いて家に金を入れろと言われ続けた。わたしは素直に従い、在学中に就職活動をして、卒業後、地元の小さな会社に正社員として入社した。  ところが、就職先は本当に酷かった! セクハラ・パワハラ・男尊女卑・サービス早出&残業は当たり前。重守さんみたいなタイプの先輩社員にもいびられた。  すぐにでも辞めたかったけれど、両親は許してくれなかった。典型的な昭和生まれ脳の二人曰く、石の上にも三年、だそうだ。  何とか耐え続けて、三年どころか丸四年。もうそろそろ心身共にブッ壊れそうだな、無理かもなって毎日考えるようになった頃、何と会社で自殺者が出てしまった。それも短期間に二人も。  会社は隠蔽しようと、わたしたち社員に箝口令を敷いたけれど、失敗した。事件は大々的に報道され、わたしの実家にまで週刊誌の記者が現れるようになると、両親はやっと退職を認めてくれた。  残念ながら、転職活動は上手くいかなかった。世界的な不況と、わたし自身に何の強みもない事が災いしたみたいで、何処を受けても不採用。見かねた両親には、とりあえずアルバイトでもいいから、とにかく早く働いて家に金を入れろとしつこく言われ続けた。  で、アルバイトで採用されたのが、今の職場。仕事内容は軽作業。一日立ちっぱなし。簡単シール貼り? とんでもない。それ以外の作業だって、手先の不器用なわたしには大変なものばかり。他の人たちよりミスがちょっと──嘘じゃない。本当にちょっとだけ──多めだけれど、それでも必死こいて頑張っているつもりだし、そんなわたしに親切にしてくれる先輩方もいる。ここは、前の職場に比べれば、あらゆる点でだいぶマシだ。  でも、たった一人の女のせいで、わたしはまたも心身の限界を迎えそうになっていた。  このまま舐められっぱなしじゃ駄目だよね。  誰も助けてくれないのなら、自分で何とかしなきゃ。  勇気を出さなきゃ……。  事件が起こったのは、それから数日後。
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