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 わたしは絶句し固まった。 「あんた、どういうやり方してんの? 今あたしに見せてよ」 「え……」  同じグループの人たちが固唾を呑んでいるのがわかる。本来の監督は止めに入ってくれない。動悸がしてきた。何となく吐き気もする。 「ほら。早く」  仕方なくわたしは、言われた通りにした。緊張のせいで手は震えるし、体全体が鉛のように重い。 「ほらそれ!」  わたしが作業を始めてちょっとしてから、重守さんが大声を上げた。 「それだよ、それ! そのやり方! そんなやり方、ルールにないでしょうが! それだから間違えるんだよ! あーあ!」  そんなまさか。この商品自体の組み立ては初めてだけれど、ほぼ同じ組み立て方の別商品なら、何回か経験済みだ。確かにわたしはこのやり方で教わったし、間違っているだなんて、今まで一度も言われた覚えはない。流石にこれは黙っちゃいられない。 「……あ、あの」  わたしが思っていたより、ずっと小さな声しか出なかった。 「あ?」  あ? って……。ブチ切れているか、相手を完全に馬鹿にしていなきゃ出て来ない反応だ。重守さんの場合は両方だろう。確か中国人の間では失礼には当たらない、ごく普通の反応だったはずだけれど、わたしたちは日本人だ。 「わたしはこのやり方で教わりました」 「はあ? 嘘吐け」 「嘘じゃないです。本当です」 「じゃあ何? 誰に教わったの」 「……それは……」  思い出せなかった。今まで何人もの先輩方に、様々な作業方法を教わってきたのだから、仕方ない事だ。 「誰・に・教・わっ・た・の!?」 「……わかりません。思い出せません」  重守さんは、数秒間無言でわたしを睨んでいたけれど、やがてこれ見よがしに溜め息を吐くと、妙に落ち着いた声で言った。 「嘘吐きは泥棒の始まりって言葉、知ってる?」  違う。嘘なんかじゃない。 「納期明日中なのに、今から全検なんてさ。間違いなく残業確定だよ。あんた、皆に大迷惑掛けてんだよ。自覚しなよ」  だから何でわたしのせいなの。他の人たちは? 他の人たちのやり方は確認しないの? 「……証拠は」  わたしが言うと、重守さんの眉毛がピクリと動いた。 「証拠はあるんですか? わたしのミスだという、決定的な証拠は」  ただでさえ怖い重守さんの顔が、わたしの語彙力じゃ説明出来ないくらいに歪んだ。 「あんたさあ!!」  かつてない程の怒声に、今まで我関せずだった他のグループの人たちまでもが一斉に振り向いた。 「何なんだよその態度! ふざけんなよ、おい!!」 「……ふ、ふざけてなんかいません」  誰も助けに入ってくれそうにない。自分で何とかしなきゃ。  勇気を出さなきゃ。 「ふざけてんだろ!」 「ふざけていません」  勇気を出さなきゃ。 「ふざけているのは、重守さんの方です」 「責任転嫁すんな! 何様なんだよ!」 「あなたこそ何様のつもりですか」 「ああ!?」  勇気を出さなきゃ。 「いつもいつも、どうしてわたしにばかり辛く当たるんですか。あなたのやっている事はパワハラです」  わたしの初めての反抗に、重守は一瞬、怯んだように見えた。でも残念ながら、簡単に引き下がるような人間ではなかった。 「あんたさあ……マジ腐ってんね、性根が」  ……はい? 「どうしようもないね、ほんと。ある意味病気だよ、病気。ひょっとして、多重人格?」  本気で言っているのだろうか、この女は。それは自分自身の事ではないのか。 「一回病院行ったら? ねえ?」  ああ、泣きたくなってきた。目の奥が熱く、じわじわと込み上げてくるものがある。駄目だ。負けちゃ駄目だ。これは言い掛かり、パワハラ、いじめなんだ。  勇気を出さなきゃ。  もっと勇気を出さなきゃ。  もっと勇気を出さなきゃ……。    ふと、通勤途中に出会ったイケメンの笑顔を思い出した。たった一度きり、ほんの僅かな間にやり取りを交わしただけの赤の他人。今この場で起こっているトラブルには何にも関係ない。  それなのに、わたしは奮い立たされた。まだ新しい記憶の中の彼が、あの素敵な笑顔で、頑張れ、負けちゃ駄目だ、勇気を出してって、そう言ってくれているような気さえしてきた。  いや、彼は確かにそう言ってくれたのだった。ポケットティッシュをわたしの手に握らせてくれた、あの時に。  もっと勇気を出さなきゃ!  わたしは無言で重守に中指を立ててみせた。 「……なっ……」重守の唇──こいつもガサガサだ──が、ワナワナと震えた。「何だその態度はああ!!」  わたしはその場を離れると、壁際の、各種道具が収納されている棚まで向かった。 「ちょ、おい! 待ちなさいよ!」  重守が追い掛けて来て、棚を物色するわたしの肩を掴んだ。 「テメエ、いい加減に──」 「いい加減にしろって?」  わたしは笑顔で振り向いた──右手にハンマー、左手に大判カッターを握り締めて。 「それはこっちの台詞だよ」  というわけで、現在のわたしは、塀の中にいまぁ~す!  どういうわけか情状酌量が認められず、精神鑑定では責任能力ありとの判断、執行猶予も付かなかったんで、裁判終わったらすぐにブチ込まれちゃったんだよね。  悲しい。世間は冷たい。やっぱりわたしには味方なんていないんだ、昔から!  あ、でも、初めての刑務所暮らしは案外いい感じ。何やかんやで満喫しちゃってまぁ〜す!  重守みたいなタイプの女もいるっちゃいるけれど、運良く今のところは絡みなし。  まあ、もし何か酷い事してくるようなら、黙っちゃいないけれどね。重守と同じような運命を辿らせてやる。  未経験の事に挑戦するのって不安だし、億劫でもあるんだけれど、一度でもやっちゃえば、もうその後はへっちゃらだったりするんだなって、今回の一件で学びましたっ!  だからね、なかなか勇気を出せないって人たち!  好きな人の顔でも何でもいいから、自分を奮い立たせてくれるものを思い浮かべながら、とりあえず一歩でいいから踏み出してみて!  まあ、わたしの場合は踏み出したというよりも、踏み外しちゃったんだけどね! テヘッ!
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