Chapter1. 『悪魔の産声』

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深い眠りの底に沈んでいた意識が、緩やかに浮上していくと共に、シーツの上に散らばっている白銀の髪を掬い取られる気配を感じ取る。 意識は覚醒しつつあったものの、瞼が重たくてまだ目を開けられそうにない。 それに、瞼越しに光を感じないから、おそらく夜明けさえ訪れていない時間帯なのではないか。 だから、目を閉じたままもう一度眠ろうとしたら、フローラの髪を弄んでいた指先が、今度は頬に触れてきた。 しかし、それでもまだ起きる気にはなれない。 寝返りを打って頬をくすぐる指先から逃れ、無視を決め込もうとしたのだが、隣で横になっているヴィンスに背を向けた途端、後ろから彼が抱きついてきた。 驚いて咄嗟に瞼を持ち上げ、慌てて背後を振り返れば、間近にヴィンスの端正な顔が迫っており、一瞬息が止まるかと思った。 驚愕に目を見開くフローラに、ヴィンスは意地の悪い笑みの形に唇を歪めた。 「……どうした? まだ寝ててもいいんだぞ」 「もう……びっくりして、眠気なんてどこかに行っちゃったわよ」 ヴィンスの腕の中でもぞもぞと動き、彼へと向き直る。 それから、唇を尖らせて不満たっぷりに睨むと、ヴィンスは喉を鳴らして笑った。 ヴィンスと共に神殿から逃げ出してから、彼のフローラへの対応は確実に変わった。 以前は、どこか距離を感じることがあったし、フローラを突き放すこともあったが、今ではそういった素振りは全くと言っていいほど見受けられない。 それどころか、こうしてフローラに甘えるような仕草を度々見せるようにさえなっていた。 (ヴィンスってば、猫みたい) 神殿で保護したばかりの頃は、尖った気配を纏い、気まぐれを起こして優しくしてくれたかと思ったら、すっと離れていった。 でも、心の距離を少しずつ縮めていき、本音を伝えた後は、何か吹っ切れたかのように纏う雰囲気が前よりも柔らかくなった。 そうしたら、手厳しくも色々と面倒を見てくれるようになったし、時には甘えてくるようになったのだ。 (ああ、でも、面倒を見てくれたのは、前からね) 人付き合いが上手とは言い難いフローラを、ヴィンスは何だかんだと受け入れてくれた。 自分でもやってしまったと思ったことが多々あり、ヴィンスを怒らせてしまったこともあったものの、最終的にはいつも許してもらえた。 彼と再会を果たした当時の思い出を振り返っていたら、自然と唇からくすりと笑みが零れ落ちていく。 「……なんだ、急ににやにやして」 「に、にやにやなんてしてないもの」 ヴィンスに指摘されて恥ずかしくなり、急いで再び彼に背を向けようとした矢先、ぐいっと一際強い力で抱き寄せられた。 フローラが反応するよりも早く、ヴィンスに唇を塞がれる。 「ふっ……う……」 貪るような口づけの合間に生じる僅かな隙を突き、ゆっくりと息を吐き出し、吸い込む。 互いの舌を絡ませ合う深い口づけに慣れないうちは、危うく呼吸困難に陥りかけたことがあったが、何度も繰り返していくうちに、ヴィンスに教えられた通りに呼吸ができるようになった。 幾度も顔の角度を変え、唇が熱でふやけそうなほど口づけを交わしていたら、唐突に背中をシーツに押しつけられた。 そして、流れるような動きでヴィンスがフローラの上に覆い被さってきた拍子に、先程まで全身を優しく包み込んでくれていた掛け布団が、ぱさりと床に落ちる音が耳朶を打つ。 すると、剥き出しになった素肌が粟立ち、ぶるりと全身に震えが走る。 だが、その震えは寒さによるものでも、ヴィンスの目の前で裸体を晒しているからでもない。 眼前に迫る深紅の瞳に、明らかに欲望が滲んでいるからだ。 深紅の眼差しをまっすぐに見つめ返していると、自然と類に熱が上ってきた。 もう彼とは何度も身体を重ねた仲だというのに、いざその前兆を感じ取ると、自分の意思とは関係なく頬が火照ってしまうのだ。 室内は暗いから、赤面していることに気がつかれませんようにと心の中で祈ったのも束の間、ヴィンスにまたあの意地の悪い笑みを向けられ、ますます居たたまれなくなっていく。 「……大丈夫だ、ちゃんと優しくする」 低くて心地よい声は、常より甘く優しく響いて聞こえ、フローラの頬を撫でていく。 「――うん」 ヴィンスに唇を奪われる前に発せられた言葉は、それだけだった。
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