Chapter1. 『悪魔の産声』

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中途半端な時間に起き、また寝てしまったせいで、今日は昼近くまで眠りこけてしまった。 とはいえ、フローラたちの生活はかなり原始的なものである上、今日は天気があまりよくないから、洗濯に勤しむ必要はないし、元々人里に下りる予定もなかった。 食糧の備蓄にも不安はないため、今日は必要最低限の家事をこなすだけで充分だろうと、自身の身体の調子と空模様から、一日の予定を決める。 そういうわけで、身支度を整えて食事を済ませた後、ヴィンスと分担して家の中の掃除を始めた。 「――それにしても、驚いたな」 ベッドの周りの掃除をしていたフローラは、何の前触れもなく聞こえてきた声に顔を上げる。 顔を上げた先では、ヴィンスがこちらに目もくれずに台所の掃除をしている。 山小屋の中はそんなに広くないため、ベッドも、台所も、食事時に使うテーブルも、暖炉も全て一室に納まっている。 だから、多少手狭だが、二人で暮らす分にはそこまで不便な思いはしていない。 「何が?」 首を傾げて問えば、彼はやはり掃除の手を止めないまま答えた。 「お前が、燻製や塩漬けの作り方を知っていたとは思わなかったって話だ」 「……ああ、そのこと」 ヴィンスの返事に、思わず苦笑いを浮かべる。 ヴィンスと二人暮らしを始めてから、彼から教わることの方が圧倒的に多かったが、家事に関してはその手を煩わせることはなかった。 特に、料理に関しては、フローラの方がずっと手際がいい。 「神殿で、何回も食事を用意したじゃない」 確かに、フローラは世間知らずだが、ヴィンスが思うほど生活能力が低いわけではないのだと、いつになったら認めてもらえるのだろう。 「そうだが、食糧の保存法まで知っているとは思わなかったんだ」 「神殿では、一応自分でできることは自分でやるように言われて育ったの。だから、ヴィンスが思ってるよりは、私にも生活力はあるのよ?」 炊事も、掃除も、洗濯も、庭園の手入れも、全て当番制で巫女が行っていた。 おかげで、その時に培った技術が、今の生活に役立っている。 「そうみたいだな」 ヴィンスが笑みを含んだ声を零した直後、ぱらぱらと雨粒が屋根を叩く音が聞こえてきた。 唯一、山小屋の中に備え付けられていた、台所にある窓へと歩み寄る。 換気のために木製の戸を開け放していたから、空が暗い雲に覆われ、そこから雨が降りしきる様子がよく見て取れた。 頬を撫でる空気も、湿気を帯びている。 これでは掃除を中断するしかないと溜息を吐くフローラの目の前で、ヴィンスがおもむろに窓の戸を閉めた。 そして、内側からしっかりと閂をかける。 「雨が本降りになってくる前に、薪を取ってくる。何か他に、必要なものはあるか」 外には薪置き場の他に、物置もある。 だから、ついでに持ってきて欲しいものはないかと、確かめてくれたのだろう。 ざっと室内に視線を走らせ、家の中にあるものを確認してから、緩く首を横に振る。 「ううん、薪だけで大丈夫。気をつけて、行ってきてね」 山の天気は移ろいやすい。 今はまだ小降りでも、いつ雨の勢いが増してくるか分からない。 しかし、無用の心配だと言わんばかりに、ヴィンスに鼻で笑われてしまった。 「すぐそこなんだから、そんな顔するな」 ヴィンスはフローラの頭をくしゃりと撫でると、すぐに小屋の外に出てしまった。 ヴィンスの姿が視界から消えるなり、彼が屋内に戻ってきた時に使えるよう、タオルを用意しておく。 それから、休憩を兼ねて身体を温めるため、小さな袋に入った香辛料を漬けたワインを温める準備をする。 フローラもヴィンスも、まともにお金を持っていないから、買い物は物々交換で行うことがほとんどだ。 そのため、手に入るワインは決して上流階級の人間が飲むようなものではない。 神殿で飲んでいたものよりも、質が劣っている。 でも、ヴィンスと一緒に飲むホットワインは、今まで飲んだどのワインよりも美味しい。 (……そういえば) 暖炉で火を熾し、ワインを入れた鍋を火にかけていたら、ふとある疑問が湧き上がってきた。 これまで、ずっと生活していくのに必死で、心にゆとりなんてなかったから、あまり考えることもなかったが、フローラとヴィンスの関係とは、どういうものなのだろう。 両想いであることは確かだから、恋人同士なのだろうか。 だが、ここまで苦楽を共にしているのだから、ただの恋人というわけでもないような気がする。 かといって、夫婦なのかと訊かれれば、はっきりとそうだとは答えられない。 ヴィンスからプロポーズを受けた覚えはないし、社会通念に無頓着な彼に、結婚への関心があるとは思えない。 (戻ってきたら、訊いてみようかしら……) とりあえず、訊くだけ訊いてみようと、心に決める。 ヴィンスがフローラのことをどう思っていようとも、彼と一緒にいられるのなら、それで構わないのだから。 そこまで考えたところで、不意に共犯者という言葉が脳裏を過っていく。 もしかしたら、フローラたちの関係性を表す言葉として、恋人や夫婦よりも、そちらの方が相応しいのかもしれないと思ったら、自然と苦い笑みが零れた。
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