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「……歩けそうか?」  気遣わしげに差し出された手を取り、「大丈夫」と立ち上がってはみたものの、うまく力が入らなくてまた座り込んでしまう。 「大丈夫じゃねえなら無理するな」  大分責任を感じているらしい竜次郎が抱えてやろうかと言ってくれたが、首を横に振った。 「無事家に帰るまでがデートです」  今度はゆっくり立ち上がって、その隣に並んだ。  「車までもうちょい頑張れ」  言葉通り、少し離れた土手の向こう側には見慣れた黒塗りのセダンが待機している。  いつの間に、と疑問に思うほどのことでもないのだろう。こうしたことが竜次郎たちの日常なのだ。  今日も、湊は一度もその姿を見なかったが、きっと組の誰かは近くにいたに違いない。  ……先程の人様にお見せできない一幕の間だけでもなんとなく人払いをしていてもらえていたらありがたいのだが。  辺りはもう暗くなり始めていた。夕方という時間はとても短い。  なんとなく砂っぽい服や乱れた髪を気にしていると、竜次郎が服についた草を払ってくれる。 「その、悪かったな。あんなところで。どこか痛いとことかねえか」 「無事だけど、せめてレジャーシート使えばよかったね」 「いや、それもなんか違えだろ……」  そんな余裕があればあの展開はなかったと言われ、目を瞬かせた。 「そうなんだ?」 「……お前、怒るとかねえのか?」 「どうして怒るの?」 「いや…………お前がいいならいいけどよ」  怒った方がいいのだろうか?  確か湊が煽ったのが悪いという話だったような気がする。  …それよりも。 「……デート、おしまいだね」  さく、と草を踏みしめてぽつんと呟いた。  この時間が終わってしまうことが寂しい。  立ち止まり俯いた頭に、ぽふ、と優しい手が乗せられた。 「お前、あの頃も別れ際にいつもそんな顔してたな」 「え……?どんな顔?」 「これが今生の別れになるみてえな顔」  今はそんな顔する必要ねえだろ、と頬を引っ張られて驚く。  そんなに寂しさが駄々洩れてしまっていたのか。…今も、あの頃も。 「ご、ごめん……。俺がそんな顔するから、竜次郎はいつも一緒にいてくれちゃうんだよね」 「違うだろ。ただ俺がお前といたかっただけだ。お前がいねえと寂しいのは俺も同じだ」 「竜次郎も?」  当たり前だと断言する竜次郎の表情には気遣いの色は浮かんでいなかった。 「今日は帰ったらお前を洗ってやるよ」 「オプション料金?」 「俺が汚しちまったしな」  ちゃんと綺麗にしてやると意味深な手が腰を撫でて、ぴくっと身じろぎしてしまう。 「りゅ、竜次郎」 「一緒に夕メシ食って、一緒に寝てやる。……お前の無事は保証できないが」  甘やかす言葉に励ますように促されて歩き出す。  足取りが危うい湊に合わせてか、竜次郎の歩調はとてもゆっくりだ。 「そんでお前が暇なときは、いつでも好きなとこに連れてってやるよ」  やり取りをするうちに暗くなり、まばらに点き始めた街灯が照らした力強い横顔に思わず見惚れた。  つまらないことで躓く湊を、竜次郎はいつでも助け起こしてくれる。  強引に引っ張るのではなく、手を取るまで辛抱強く待って。  だから、湊も頑張って応えようと思えるのだ。  優しさに鼻の奥がつんとしたのを振り切るように、湊は笑った。 「次は、ご休憩は二人きりになれる場所がいいかな」  感傷を誤魔化したことには何も言わず、竜次郎がにやりと悪い顔になる。 「んじゃ次はラブホにでも行くか」  お互いの家の寝室が使えるのにわざわざ行くところなのかは疑問だが、行ったことがないので興味はある。 「ぬるぬる相撲はそういうところでするといいのかな」 「やりたきゃバスマットのあるとことかもあんだろ。……ってかぬるぬる相撲はやめろ」 「言葉を選ぶのは公共の場での当然の配慮だよ?」 「…………何かそこで俺が非常識扱いされるのは釈然としねえんだが」  この時間が終わらないことが嬉しくて。  笑い合っていつものやり取りをしながら、そう遠くない車までの距離をゆっくりと歩いた。
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