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 目の前にいるブレザー姿の女子高生は、背格好と他に類を見ない美貌から明らかに八重崎なのだが、湊はゴクリと唾を飲み込み、一応、確認してみた。 「………八重崎……さ……ん……?」   「八重子よ」  いつもの棒読みで言い放たれて脱力する。  まごうかたなき八重崎だ。  透き通るような肌に長い睫毛。プリーツスカートから覗く細すぎる足は生々しく、なんとなく目のやり場に困る。特に盛っているようにも見えないのに、成人男性が二次元の美少女にしか見えないのが恐ろしい。  湊が固まっていると、八重崎はスクールバッグの中からおもむろに色紙を取りだした。 「八重子は中尾宗治のファン……。今日は推しが現れるカフェに朝から押しかけてサインを貰いたい……」 「ええと………」  そういう設定らしい。 「まずは八重子をかすがいに中尾宗治と何となく親しくなろう作戦……」 「……が、頑張ります……」 「いざというときは八重崎木凪に変身するから大丈夫」  力強いお言葉に、色々と不安しかない。  連れ立って歩き出してからはっと思い出す。  竜次郎が(命じた松平組の人が)護衛していたとして、会うのは男とだと申告していたはずなのに、どこからどう見ても女子と一緒……というのは嘘をついたことになるのでは……。  と一瞬不安がよぎったが、『生物学的には』とも言ったような気がする。  きっと、脳内で適当に辻褄を合わせてくれるだろう。…たぶん。  近くで見ても女子にしか見えないのが少し気になるが。  二次元からやってきたような制服姿の美少女と、無難なコーディネートのカジュアルな湊。竜次郎と一緒の時とはまた別の意味で謎な二人になりつつ、中尾のシマだと言われている辺りを歩く。  松平組と同じ県内なので雰囲気は湊の地元と似通うものがあり、八重崎が言っていたような治安の悪さは特に感じられない。朝なので人が少なく、ちらほらと仕事や学校に向かうサラリーマンや学生と擦れ違うだけだ。  シマといっても統治しているわけではないので当たり前だが、下町的なのどかさを感じて少しだけほっとした。  歩いていると、まだ眠っている街に埋もれるようにしてひっそりと二階建ての木造建築が見える。  かなり年季の入った建物だ。  OPENの札の下がった戸を押し開けると、カランとドアベルの優しい音が響いた。 「(本当に中尾さんが一人でいる……)」  ボディガード役の人くらいはいるかと思ったが、カウンターに座る作業服姿の中尾は一人のようだ。  鋭い眼光でちらりとこちらを見たが、黙殺された。手元には食べかけのモーニングとコーヒーカップがあり、行きつけらしいことが窺えた。  カウンターの向こうでグラスを磨いているのは、店主だろうか?  店主というには若く、二十代半ばくらいに見える。  優しそうな面立ちは見る人をほっとさせるものがあり、「お好きな席へどうぞ」と穏やかな声に促されて、中尾と対角のカウンター席に二人で座った。  木材の温もりを感じられるレトロな内装やアンティークのテーブルセットは雰囲気があって、ちょっと寄るには居心地が良さそうだ。 「いらっしゃいませ。何にしますか?」  柔和そうな笑みでメニューを差し出されて、二人で覗き込む。 「じゃあ、このオリジナルブレンドと、あとモーニングお願いします」 「八重子はタピオカミルクティー」  八重崎は堂々と言い放ったが、タピオカなんてあったかなと首を傾げると、案の定店主は苦笑する。 「うーん……うちにはタピオカはないなあ」 「そういえばこの間タピオカの飲み過ぎで腸閉塞になったからやっぱりいい……カフェオレにする……」  一連の流れに湊は頭を抱えたくなった。  女子高生八重子の設定が気になりすぎて作戦どころではない。  湊の苦悩など気にもせず、八重崎は店主をちょいちょいと呼び寄せると、耳打ちをした。  一瞬目を丸くした男は、何故か楽しそうな表情になり、「かしこまりました」と踵を返す。 「何を言ったんですか?」 「そのうち……わかる……」  明らかに何かを企んでいる顔で、引き続き不安しか感じなかった。
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