その猫は、人間である。

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その猫は、人間である。

『九門傑はいつも笑っている』    それは褒め言葉でも、好意的な気持ちからなるものでもない。  寧ろ、蔑みや皮肉といった濁りのある声で、今日も嫌というほど僕の耳はそれを拾ってしまう。  定時の過ぎた社内は、まだいつもと変わらないほどの人に溢れている。薄暮まで働いて集中力の切れた同僚たちは、手よりも口を動かすことに忙しいようだ。  明日までに完成させたい書類があるが、今日も持ち帰るはめになるのだろう。 「傑作とかの『けっ』でしょ? あれって、なんて読むんだっけ? 」 「すぐる、だよ、すぐる」 「へえ……、今も笑ってる」 「営業スマイルってあるけど、さすがにあそこまでいくと引くよね」  あれで陰口のつもり…………なのだろうな。  誰かの事を貶したり嘲笑うのであれば、もっと上手に、そして自尊心をしっかり持って、陰口をたたくべきだと思う。それが陰口の相手に対する礼儀ではないだろうか、同僚たちのあれは、最早、悪口だ。  僕は溜息をひとつ落としてそちらに目線を向ける、悪口では気が散るからせめて陰口にしてくれないだろうか、そんな虚しい願いを苦笑いに込めながら。  勿論、僕の願いが届いたわけはないが、目が合うや否や、一瞬驚きを浮かべたものの、全員バツが悪そうに顔をそむけ、そそくさと各々の机に戻っていった。  またひとつ、溜息が落ちる。  給湯室から僕の机まで、普通なら言葉なんて聴き取れる距離ではない、それでも予想通りの反応をしたということは、少しは罪悪感があるのだろう。  人間は皆そう、他人を悪く言うことに長けているくせに、他人に良く思われたい見栄を持っている、矛盾した生き物だ。  言葉と行動が成り立っていない事が多過ぎて、腹立たしいことをしばしばある………………、今が、まさにその時だ。  気付くと僕は、パソコンの電源を落とし、いつものように大量の書類を鞄に仕舞い込み、席を立っていた。   「お先に失礼します」 僕は上司に一言と一礼をし、手を挙げる反応を確認してから社内を後にした。
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