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10/ダウト
「え?」
鈴蘭は聞き間違いをしたかのような対応だった。
「何言っちゃってんの〜? 國枝っち怖い怖い」
女の顔に夕日の西日が差す。
その表情は、無邪気で無垢な笑顔だった。
冗談だと思うよな?
俺もそう思いたい。
でもな……、お前だけが当たり前の日常じゃなかったんだよ。
「鈴蘭はどこにした? お前は誰だ?」
俺は感情なく答える。
「な、何言ってるか全然わからないんですけど〜。國枝っち、マジ怖いって!」
女の顔はあくまで鈴蘭そのモノだ。
しかし、動揺は隠しきれていない。
俺の目はそれを逃さなかった。
「お前はな、ちゃんとしていたんだよ」
「はぁ? 意味わかんないし、ちゃんとしてるのに何が問題なんだしッ!」
俺に向けて強い眼差しで返す。
「まぁ──聞けよ──」
俺は淡々と感情を込めずに続けた。
この私立学新学園の創立者は、現職の政治家衆議員。
県外では名門と名高いが、その実態は政治資金の調達に打ってつけの不良高。
金だけ払えば大体の人間は入れる。
そんな学校は資金徴収に最適だ。
一方、鈴蘭渚は鈴蘭財閥の令嬢であり、IQ一五七の超天才児。
鈴蘭がスーパーギャルなのはこの高い知能がゆえ。
高校一年の時点で、すでに次の進学が日本一の東大に決まっていた。
どんな不良高であろうと、東大進学者を出しておけば、学校の評判は上がり入学希望者は増える。
翌年の政治資金も万々歳ってワケだ。
そこで、知り合い同士の学院長と次期出馬を狙っている鈴蘭の父の間で、スーパーギャルが取引の材料となった。
だから授業の単位なんてのは関係なく、出席日数だけ稼げばそれで卒業できる。
普通に登校する事が、普通の奴なら別におかしくない。
ただ鈴蘭に至っては、普通に登校してくる事が普通じゃねぇワケだ。
メリットがない。
同じ立場なら誰でもそうする。
金剛くんの言葉を借りるなら、朝普通に登校すると言うことが、鈴蘭にとっての〝明日が今日と同じ日常〟じゃなかった。
あいつが自分で教材を持って、朝から授業を受ける必要性がないんだよ。
力漢に言わせれば〝ちゃんとおかしく〟なきゃならない人物なんだ。
なのに今日のお前は、ちゃんとしていた。
「つまりお前は──、当たり前の日常を歩んだつもりで、鈴蘭渚の日常を歩まなかった」
もしも、昨日の電話が力漢に掛かっていたのなら、気付けなかったかもしれない。
メリーやいったんという、非日常に囲まれている俺だから非日常に気付けた。
「お前は怪異だよな?」
俺は自称鈴蘭を指差して言った。
ダウトだ。
成りすます怪異を偽物と暴けたなら、制約は成立しない。
いったんの言っていた〝存在の制約〟を否定した事によって、こいつは存在が成り立たないはずだ。
「もう一度聞く、本物の鈴蘭をどこにした?」
女は俯く。
何も言わず、無言で立ち尽くす。
結んでいた髪がファサッと解ける。
表情が見えない。
さっきまでの能天気な雰囲気は、吹き抜ける風と共に消え去った。
突然、女は蚊が鳴くような「うー、うー」と妙な声でうめき出す。
「うー、うー、うー、うー、うー、うー、うー、うー、うー、うー、うー」
繰り返すその奇行は、あまりにも日常とは程遠く、俺の顔をひきつらせる。
俺は黙って様子見るほかなかった。
女の蚊の鳴くような声は、小言へと変わり、聞き取れない声で何やら繰り返し呟きはじめた。
「……………………の………………ど」
鈴蘭の形をしたそれは、ブツブツと念仏のように唱える。
「え? なんだよ?」
俺が聞き返した、その瞬間──
ボトッ──と
生々しい音が、地面に落下した。
その落下物がコロコロ転がり
革靴のつま先を小突く
足元に目線を下ろす
鈴蘭の……、首だった。
「うわぁぁー!?」
俺は情け無い声を上げ、尻餅をついた。
首が、首がッ!?
鈴蘭の生首は瞬き一つせずに、俺の顔を凝視していた。
その口だけが、念仏のようにブツブツと呟きを繰り返している。
「どうして私を選ばない、どうして私じゃない、どうして私にしない、どうして私を選ばない、どうして私じゃない、どうして私にしない、どうして私を選ばない、どうして私じゃない、ねぇ──、どうしてどうしてどうしてどうして──どうしてどうしてどうして──」
生首は、壊れたおもちゃのように同じ言葉を繰り返す。
言葉をなくして、足がすくむ。
全身から冷たい汗が噴き出る。
金縛りにあったかのように視線を外せない。
鈴蘭であって、鈴蘭じゃない、その目から視線が離れない。
生首から血の涙が滴り落ちる「どうして、どうして」と言う言葉だけが、その空間を這うように漂う。
鼻がポロッと落ちた。
口も続け様に路面にするりと落ちる。
ポロポロと石ころのように両目とも滑り落ち。
女の生首は、影へとゆっくり沈んでいく。
後ろの体もスーと影の中に入っていくように、静かに沈んでいった。
その沈みゆく最後の顔が、目に焼き付いて離れなかった……。
この人気のない通りには、俺と不気味な余韻だけが残された。
ここからは、後日談だ。
その後、俺は連絡が取れないとクラスの皆に連絡をして騒ぎを大きくした。
狙い通りに騒ぎはどんどん大きくなり、PTAやらが出てきて、学校から捜索願いを出してもらうに至った。
鈴蘭が、見つかったのは二日後。
自宅マンション一〇階の空き部屋であるはずの一〇〇五号室だった。
まるで魂が抜け落ちたかのように、座り込んで衰弱していたという。
ここ数日の本人の記憶は全くないらしい。
俺に電話をした事も覚えていなかった。
二、三日入院して、今ではすっかり元通りだ。
驚くべく事に、発見されたその部屋は、鈴蘭の部屋の五〇五号室と全く同じだった。
家具から家具の位置、部屋にある内装やアイテム、もっている衣類にいたるまで、全てが同じ物で統一されていたという……。
本当の鈴蘭はどっちだったのだろうか?
「どうして私を選ばない、どうして私にしない」
ふいに脳裏にあの恐ろしい言葉がよぎる。
ただ俺は、俺の知っている鈴蘭を選んだに過ぎなかった。
本当の事を言うと、知っている部分だけしか知らない。
もしも──
消えた鈴蘭が本当の鈴蘭だったとしたら……。
俺達の知っている鈴蘭が、成りすましていた鈴蘭だったとしたら……。
そんな恐ろしい事を考えるとゾッとした。
俺達の気付かないところで。
何気ない顔をしながら、怪異は生活に溶け込んでいるのかもしれない。
ほら、君の隣の人も……。
「ねぇ國枝くん昨日、映画館に居たよね?」
いや、俺は映画館になんか行っていない。
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