水曜日の放課後

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

水曜日の放課後

水曜日の放課後。   班のメンバーで打ち合わせをする日がきた。  陽太たちは麻衣の案内で、杏子の家に行くことになった。  住宅地のなだらかな坂道を自転車で十五分ほど走ると、麻衣が陽太たちをふりかえり、 「ここが杏子ちゃんの家よ」  と白壁に囲まれた大きな家を指した。  陽太たちは、大きな門の前で自転車を停める。  「こんにちは」  杏子の母親がニコニコしながらやってきた。 「わぁ! みんな来てくれたのね」  その後から杏子の姿もあらわれる。 「こんにちは」  麻衣が一番に挨拶する。  雅人も太郎も競うように、 「こんにちは」  と、挨拶した。  陽太はその場のノリにのれなくて、小さく頭を下げた。 「早く上がって」  杏子の案内でみんなが、ドカドカと玄関を上がる。  綺麗に揃えられた靴。  まさか靴下になると思わなかったというか、そこまで気がまわらなかった。  陽太は破れた靴下を気づかれないよう、穴の開いたところをずらしたり、指の間に挟んだりして隠そうとした。  春香の家しか知らなかった陽太は、何もかもが初めてでどぎまぎした。 「ジュースとお菓子をどうぞ」  杏子の母親が、大きなお皿にオレンジ・ジュースとお菓子を沢山持ってきてくれた。 「わぁ、どれも美味しそう!」  麻衣が真っ先にチョコをつかむ。 「それほしかったな」  雅人が残念がる。 「チョコならクッキーの下に沢山あるわよ」  麻衣は右手にチョコ、左手にクッキーをもって目を細めた。 「チョコ、食べよっと!」  太郎もチョコを掴む。 「チョコ、大人気ね」  杏子の母親が、キッチンからアーモンド・チョコの大袋を持ってきた。  みんなの会話に、陽太はついていけなくて、ジュースばかり飲んでいたら、 「陽太くんはオレンジ・ジュースが好きなのね」  杏子が真横で微笑んでいる。 「ほんとはグレープ・ジュースが好きなんだ」  話し下手の陽太は思い浮かぶままに返事した。 「まあそれなら早く言ってくれれば良かったのに。グレープ・ジュースもあるわ」  と杏子は母親を振り返る。 「グレープもコーラもありますよ」  杏子の母親はとても親切だ。  すぐによく冷えたコーラとグレープのペットボトルを持ってきてくれた。 「オレンジ・ジュースいただきます」  太郎がコップにジュースを注ぐ。 「コーラ、いただきます」  雅人が続く。 「大きなピアノ」  陽太は隣の部屋のグランドピアノに目がとまった。 (杏子ちゃんはあのピアノで毎日練習してるのかな) 「杏子、ピアノを弾いてよ!」  麻衣が拍手しながら、ピアノの部屋に行った。 「僕も聴きたいな」  太郎もピアノに近づく。 「杏子、お友達にピアノを弾いてあげたら」  杏子の母親が拍手するまねをすると、杏子は少し頬を赤らめ、ピアノの椅子に腰掛けた。 「エリーゼのためにを弾きます」  しんと部屋が静まりかえる。  ミニコンサートがはじまった。  陽太の耳がピクッと反応する。  よく知っている母が好きな曲。  幼稚園の頃よく聞いた思い出深い曲だ。   気がつくと皆はまるでお人形さんのように行儀良くソファに腰掛けて聴き入っている。  杏子のミニコンサートの後、陽太たちは班の打ち合わせをして解散した。  陽太は一人で帰るとメンバーに告げ自転車に跨がり坂道を下った。  班の誰一人として人の振る舞いや身なりを馬鹿にしたり、言葉尻を捕らえて皮肉を言ったりしない。意地悪な人はいなかった。それなのに陽太は最後までみんなの中に入ることが出来なかった。  大勢の中の孤独より、一人の孤独の方がまだましだ。あそこに本当の僕はいなかった。本当の僕を誰も知らない。本当の僕を知っているのは春香ちゃんだけだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!