41人が本棚に入れています
本棚に追加
76
よく熟れてつややかな真っ赤ないちご。甘酸っぱい思い出。
お互いに少年と少女だったころのひととき。
春の陽に見た夢。
大切な大切な宝物。
彰人と理子は真っ白のお皿を出して、いちごを盛り、座卓で向かい合った。ハナはひなたぼっこで窓際のおざぶに横になる。すぐにうとうとしはじめた。5階での華麗なハンティングの疲れと緊張をほぐしているのだ。猫がよく寝るのはハンティングのためである。
いちごをそっと口に含み、噛むと、驚くほどジューシーだった。この味が思い出をよりよみがえらせる。
「ねえ、あっちゃん」
「ん?」
「覚えてる? 中学生のとき、私はパパの目を盗んで、あっちゃんはお母さんの目を盗んで、一緒に隣町のいちご農園に行ったことがあったでしょう」
「もちろん、覚えてるよ、りこちゃん」
彰人も目を輝かせ、甘酸っぱさに少し胸をくすぐられるような表情をした。
はじめて、二人っきりで出かけた日。理子の中のあっちゃん記念日の一つだ。
彰人はうれしそうに言う。
「あのいちごはうまかったね! 粒が大きくて、つやつやでさ。摘んでるときから僕、盗み食いしてたんだ。すんごい甘かったね。いちごをあんなにたらふく食べた記憶は他にないよ。うん、このいちごもあれに匹敵するよな」
彰人は味わいながら2つめに手を伸ばした。あの頃のような無邪気な喜びの顔、だが彼が夢中になっているものも、あの頃と同じいちごだけだった。
食べ終わったお皿をキッチンに運びながら、理子はまたひそかに涙していた。
最初のコメントを投稿しよう!