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そんなこんなで舞い戻った夜の9時。風呂も済ませて来たものだからこの時間になってしまった。この辺りは住宅街も外れで既に随分静まり返ったものだ。
「ねえ、お腹すいたお腹すいた」
「わかったよ煩いな。すぐ飯にするからさ」
途中でピックアップした弁当からは既に香ばしい匂いが漂っている。その玄関扉を開けると、やはり昨日と同様、何者かの息遣いが残っていた。昨日大騒ぎしたであろう太郎に辟易してどこかに去ったりはしなかったのか。いなくなっていればよかったのに。
そう思いつつ真っ暗な中で弁当を広げる。電池起動のLEDライトの小さな明かりがぽぅと無人の家の中で浮かぶ。その前で太郎は嬉々として弁当を開けるとふわりと香ばしい香りが広がった。
「う! な! どーん! 美味しそうだねぇ」
「大人しく食えよ」
「だって南川の鰻丼でしょう? 上がる上がる」
南川というのはこのへんで有名な鰻屋だ。蓋の内側に閉じ込められた蒸気と共に少し焦げたタレの香りとふっくらとした鰻の香り、それからきりりと炊き上げられた米、それらが蒸らされて渾然一体となって鼻腔に触れるだけでヨダレが溢れ出すというものだ。
そしてガタリと音がした。
「ひゃっ何、何なの?」
「お前この家にお祓いに来てるんだろ」
「えっえっ、じゃあお化け? お化けが出たの?」
太郎はじたばたと俺の後ろに隠れる。
鰻の香りの充満する暗い室内に緊張が満ちる。
昼に太郎が指摘した和室の押入れの方角から確かに何かの音がした。暗闇での追いかけっこはごめん被る。だからお越し願えるのが1番いいと思っていたようだが上手くいった、のかな。
太郎に手で静かにするように指示し、太郎の手を引いて戸口に至り、ガチャリと玄関扉だけ開けて外に出たように装いリビングに戻って様子を伺う。
「あの、鰻丼冷めちゃう」
「ちょっと静かにしろ」
ねぇねぇと袖をゆする太郎を宥めて10分ほど、また、カタリ、と音がした。
太郎がヒィと小さく叫び、南無阿弥陀と唱え出す。うるさいなぁ。だんだん闇に目が慣れてきた。眼を凝らしていると、ドンと何かが落下するような音、ガと引っかかる音がして障子がするりとスライドし、そこからぬるりと黒い何かが這い出る。
「伽耶固、伽耶固だよ、怨呪! 何唱えればいいの⁉︎」
「テレビ局にでも聞けよ。それより黙れ、気づかれるだろ」
その闇に紛れた何者かは畳の上をぞりぞりと這うようにリビングに現れ、ライトの端にその細長い指とバリバリに剥がれかけたマニキュアが赤く照らされた。引きずるように長いぼさぼさの髪の間でわずかに光に照り返された痩せこけた頬は確かに映画の伽耶固のように白い。
そしてその指先がさらに前に押し出された時、太郎が飛び出した。
これが何なのかはもう太郎にもわかっただろう。
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