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「……あ、あの、ど、どうかしましたか?」
テーブルの向こうから響己がじっと見つめていることに気づいて、首を傾げる。
「内海くんとこうしてプライベートで会えて、ほんとうにうれしいよ」
なんだか女を口説くときのような科白だ。
「こ、こちらこそ誘っていただけて……あの、う、うれしいです。さ、作家の方とプライベートで会う機会なんて、ま、まずありません、から」
「そうなんだ。じゃあ、俺が初めて?」
「そ、そ、そうですね……。こ、こうして、し、仕事以外で会うのは、は、花藤先生が初めて、です」
素直に答えると、響己はうれしそうに微笑んだ。
作家には一風変わった人が多いが、そんな中で響己は割と一般人寄りのキャラクターをしていると思っていた。作家はやはり作家だ。奏と食事にきたことを本心からよろこぶなんて、変人の極みである。
内海奏をひと言で言い表すのなら『冴えない男』だ。地味で冴えない、クラスメートたちの印象に残らない薄ぼんやりとした存在。それが客観的に見た内海奏だ。
きっと花藤先生はおれとは対照的な人生を歩んできたんだろうな……。
華やかに整った顔立ちは、彼の人生そのものを表している。
有名大学に進学後、ファッション雑誌の編集者から読者モデルにスカウトされる。男女問わず人気が出たのに、あっさりとモデルを辞めて文壇デビュー。三作目の作品が文学賞を受賞し、その後ドラマ化に映画化と続いた。いまとなっては押しも押されもせぬ人気作家だ。
響己の人生を想像すると、あまりのまばゆさに目眩がする。
「……お、美味しいですね。こ、これ、か、果実のお酢、を使ってるのかな……」
奏は白身魚とパプリカのマリネを食べて、感想を伝えた。
せっかく誘ってくれたのだから、少しくらいは場を盛り上げないと。相手が盛り上げてくれるのを待っていては、不出来なキャバ嬢と同レベルになってしまう。
「へえ、よくわかるね。ひょっとして料理が得意?」
「と、とく、得意というわけ、では……。た、ただ昔から自炊しているもので……。あ、じ、次回作のことなんですけど――」
「ストップ」
響己は重々しい表情で、右の手の平を突きつけてきた。
「俺が誘ったのはツキヨミ舎の内海くんじゃなく、一個人としての内海くんなんだよ。今日は仕事の話はなしにして」
「す、す、すみません……」
考えてみれば今日は打ち合わせでもなんでもなかった。響己の招待を受けてここへやってきたのに、仕事の話を持ち出すのは無粋というものだ。
でも、仕事の話がだめとなると、会話のカードが目の前の料理くらいしかなくなってしまう。食事が終わるまで間が持つだろうか。
嫌な緊張が脳髄に走る。
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