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「仕事では何度も顔をあわせてるけど、プライベートな話なんてろくにできないじゃない。今日は素の内海くんを見せてよ」
「す、素……です、か?」
仕事のときはコミュ障をできるかぎり抑えて、編集者としてそれなりにコミュニケーションをとっている、つもりだ。素の奏なら、そもそも響己の誘いを受けていない。
などと本音を話すわけにもいかない。
「し、仕事中も、す、素みたいなもの、ですから……」
ゴニョゴニョとごまかしたが、
「いいや、違うね。いまだって編集者として作家の花藤響己と対峙してるでしょ。もっと友達や恋人といるときみたいでいいんだよ」
「はあ……」
そんなことを言われても、親しい友人なんてひとりもいないし、恋人なんて分不相応なものがいるはずもない。だいたい男相手に恋人っぽく振る舞うってどうなんだ。それともいまのはツッコむところだったんだろうか。
「まずその敬語がだめだね。タメ口でいいよ」
「えっ? い、い、いや、それはちょっと……ハ、ハードルが、た、高すぎると申しますか……」
「どうして? 俺のことを友達だって思えばいいだけだよ。そうだなあ、呼び方も変えてみよっか。俺のことは響己って呼んでよ」
うわあ、この人むっちゃグイグイくるんですけど。名前で呼ぶとか、それこそハードルがスカイツリーをも超える高さだ。
「ほら、呼んでみて」
響己は無邪気に笑っている。
人間っていつもあなたが相手をしているパリピばっかりじゃないんですよ! 石の下のダンゴムシみたいにひっそり生きてる人間だっているんですよ!
奏は叫んだ。心の中でのシャウトだったため、響己の耳には届かなかった。
「どうしたの? 名前で呼ぶだけのことじゃない。それとも、俺のことをそんなにも意識しちゃってるの?」
「……は?」
なんだかさっきからこの人ちょっと変じゃないか。響己のフレンドリーさは半年のつきあいでよく知っているが、今日の響己はフレンドリーの域を超えている、ような気がする。なんだか口説かれているような――いやいや、まさか。響己は女優やモデルと交際している、と何度かスクープされてるようなモテ男だ。ゲイのわけがないし、ゲイだとしたって奏みたいなダンゴムシを好きになりはしないだろう。
「い、いや、あの、い、意識とかは特に……」
テレビのお笑い芸人みたいにノリツッコミをしたいところだが、ぼっちの陰キャコミュ障にそんな芸当ができるはずもない。
「意識してないなら言えるはずだよね」
名前呼びを強制するのは一種のパワハラじゃないのか。もしも会社をクビになったら、そのときは慰謝料を要求して、それでしばらく食いつなごう。
「ひっ」
「ひ?」
「ひ、ひ、ひ、ひび、び、び、ひ、響己、さん――」
「さんづけかあ……。まあ、最初はそれでもいいか」
奏はぐったりと背もたれに寄りかかった。フルマラソンを完走した後みたいに心身ともにぐったりしている。
「じゃあ、俺もこれからは奏くんって呼ぶことにするね」
にっこりと音が聞こえてきそうなくらいのいい笑顔だった。
「はは……」
奏くんだろうがダンゴムシくんだろうが、好きなように呼んでやってください。
わけのわからないパワハラにあったおかげで、その後の食事はろくに味がしなかった。
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