317人が本棚に入れています
本棚に追加
その後は契約書や毎月の給料の支払いの話になった。
「奏様のお給料は月末ごとに私が持ってまいります。これは今月分になります。どうぞお納めください」
奏は瀟洒な模様の入った黒い封筒を恭しく受け取った。
「さて、私の用はこれで終わりです。奏様、私に言っておきたいこと、訊いておきたいことはございませんか? ございましたらなんなりと」
エリファスはにこやかに微笑んだ。
訊いておきたいことならたくさんあるが、奏はとりあえずお茶を淹れることにした。
「そ、粗茶ですが」
「いただきます」
これから毎月やってくるなら、お客様用に玉露とかコーヒーを買っておいたほうがいいかもしれない。魔族が玉露やコーヒーを好むのかどうかは知らないが。
「エ、エリファスさんはどんな飲み物がお好きですか」
「私ですか?」
エリファスは意外なことを訊かれた、というように青い瞳を瞬かせた。
「そうですね……魔界にも人間界と同じようにさまざまなお茶の種類がございます。私が特に好むのはティハというお茶です。人間界の紅茶とよく似ていますね」
だったらコーヒーよりも紅茶のほうがよさそうだ。
「あ、あの、王子の好きな飲み物を教えてただけますか」
「王子が好きなのはエテルですね。人間界で言うところのコーヒーですよ」
コーヒーと紅茶、どちらも取りそろえなくては。もっとも王子が奏の淹れたコーヒーを飲むかどうかはわからないが。
「あ、あの、エ、エリファスさんは、お、お、王子のことをよく、し、知ってるんです、よね。きょ、教育係だそうですし……」
「はい、王子ならお生まれになったときから存じ上げております。お生まれになってすぐに教育係を命じられましたので」
生まれてすぐにって。いったいこの人いくつなんだ。
「お、王子は、あの、に、人間があまり好きじゃない、っていうか、ば、馬鹿にしてるみたい、なんですけど……な、なにかあったんでしょうか……?」
エリファスはすぐに質問には答えずに、マグカップのほうじ茶をゆったりと飲んだ。
奏はドアへ目を向けた。向こうに王子がいるはずだが、ドアは閉じたままで開く気配はない。いつもどおりテレビの音が聞こえてくるだけだ。
「王子は人間がお嫌いなわけではないですよ」
「えっ、そ、そうなんですか……?」
奏に対する態度を見るかぎり、とてもそうは思えないのだが。それとも嫌っているのは人間ではなく奏だとか?
いや、でも、出会ってすぐにあの態度だったし、あの短時間で嫌われるような真似をした覚えもない。それとも平凡でつまらない外見が気に食わないんだろうか。
「王子が嫌っているのは王子自身です。憎んでいる、と言ったほうがいいかもしれませんね」
「憎んでる……?」
奏は思わずエリファスを真正面から見つめた。眼鏡の奥の瞳に映ったのは静かな笑顔だ。
最初のコメントを投稿しよう!