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「王子のご母堂は人間なのです。王子の血の半分は人間のものなのですよ」
「え……っ!?」
ぽかんと口が開いた。魔界の王子が人間の血を引いている? つまり魔王は人間と結婚したということか?
「お、王子はお母さんが嫌いなんですか?」
「いいえ」
エリファスは首を横に振った。
「その反対です。とても深く愛しておられました。いまも――」
青い瞳に陰りが落ちる。
「王妃様は王子が十三のときに夭折なさいました」
「え――」
奏が思わず腰を浮かしかけたのと、部屋のドアが乱暴な音を立てて開いたのは同時だった。
「エリファス――!」
ハッとして目を向けると、黒い炎のごとき怒りを滾らせたミハイエルが、ドアの前に立っていた。ミハイエルの双眸はまっすぐにエリファスへ向いている。
奏は震え上がった。もしも睨まれているのが自分自身だったら、恐怖のあまり泣き出していたかもしれない。
王子は怒鳴った。魔界の言語らしく言っている意味はまるでわからないが、エリファスに激しく文句を言っているのは伝わってくる。
「王子、ここでは日本語をお使いなさい。奏様の前で奏様にわからない言葉を使うのは、礼儀に欠けていると思いますよ」
エリファスはマグカップを片手に平然と微笑んでいる。
ミハイエルの視線が奏に向く。獰猛な視線を突きつけられて、背筋がびくっと震えた。
「……俺に断りもなく俺の話をするな、と言ってるんだ」
「おやおや、王子が盗み聞きとは嘆かわしい。勝手に話をされたくないのなら、王子から話して差し上げたらいかがですか。奏様、」
「は、はいっ!?」
声がひっくり返ってしまった。
「先ほども言いましたが、王子はあなたに逆らえません。訊きたいことがあるなら、本人に直接訊くのがよろしいかと。もしも逆らったりしたら、そのときは伝家の宝刀『逆らうなら出ていけ』を抜けばよろしいのですよ」
「いっ、いや、そ、そ、そんな、い、いくらなんでも、おっ、横暴すぎます」
ミハイエルはますます凄まじい目でエリファスを睨んだが、エリファスは素知らぬ顔だ。
「では、私はそろそろ帰るとします」
「えっ、ちょ、そ、そ、そ、そんな」
「ときどきようすを見にまいりますので、奏様、王子をどうぞよろしくお願いいたします」
「ちょっ、ちょっと、ま、ま、待ってくださ――」
ガソリンタンクに火を放つような真似をしておきながら、自分はさっさと逃げるなんて狡いじゃないか。せめて鎮火してから立ち去ってくれ。
奏の心の叫びが届くはずもなく、エリファスはベランダから飛び去ってしまった。
あとには奏とミハイエルだけが取り残された。
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