317人が本棚に入れています
本棚に追加
「俺の父と母は二十年前に出会った。人間界にお忍びで遊びにきていた父が母と出会い、恋に落ちたそうだ」
魔界との異世界交流が始まったのはいまから十年前だが、それより前から魔族は遊びにきていたのか。それも魔界のボスが。
「ふたりは結婚して魔界で暮らし始めた。それから四年後、俺が生まれた」
「えっ、に、人間に魔界の空気は、ど、毒になるんじゃ」
「ああ、人間にかぎらず魔力を持たない者には毒になる。だから、魔界の生き物は動物でも植物でもいくばくかの魔力を持っている。言いかえれば人間でも、魔力さえあれば魔界で生きていけるんだ」
ということは王子のお母さんは魔力を持っていた、ということか? ひょっとして魔女の末裔だとか?
ミハイエルは奏の疑問を読んだように言葉を続けた。
「魔族の血を飲むと、魔力なき者でも魔力が宿るようになる。父は母に己の血を飲ませたんだ」
「はー……」
なんだかまるでおとぎ話を聞いているようだ。
魔界の王に愛され、魔界へ渡った女。魔王の血を飲み、魔力を得た女。
すごい勇気だな。奏は心の底から感嘆した。いくら好きな相手の傍にいるためとはいえ、遠い遠い異世界へ旅立つなんて。魔界で暮らすためとはいえ魔王の血を飲むなんて。奏にはとても真似できない。
なにかに似ている。そうだ、あのおとぎ話だ。
「母は身体の弱い人だった。父と出会ったのも入院していた病院の庭だったと聞いている。……いくら魔力を与えたからといって、そんな人間を魔界へ連れていくべきではなかった。魔界の空気が母の寿命を縮めたのは間違いない。それに俺だ」
奏はきょとんとしてミハイエルの顔をながめた。
「魔王の子供を、それも強大な魔力を持った子供を人間が生んだんだ。文字通り命をすり減らして。俺を生んだあと、母親は一年ほど寝たきりだったそうだ」
ミハイエルの顔に自虐の色が浮かんだ。
「母は魔界へくるべきではなかった。父も連れてきてはならなかった。まして子供なんて生んではならなかったんだ。……人間界で暮らしていれば、母はまだ生きていられたかもしれない。愚かな女だ」
(王子が嫌っているのは王子自身です。憎んでいる、と言ったほうがいいかもしれませんね)
エリファスの言葉が耳の奥でよみがえった。
そうか……それで自分自身を憎んでいるのか。自分を生んだがために母親は夭逝してしまった。そう思っているから。
理解するのと同時に、やりきれない思いが奏の心を攫った。
生まれてこなければよかった。そんなふうに感じていた時期は奏にもある。だから、わかる。自分自身を否定しながら生き続けるのが、どれほど苦しく哀しいものなのか。
最初のコメントを投稿しよう!