二話 王子って実はスケベだったんですね

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二話 王子って実はスケベだったんですね

「あ、お、お、おはようござい、ます……」  次の日、奏が朝食を食べようと箸を手にしたタイミングで、ミハイエルが部屋から出てきた。黒いスウェットスーツ姿で、相変わらず髪に寝癖がついている。  ミハイエルは寝ぼけた目をダイニングテーブルに向けた。今日の朝食はハムエッグにアスパラガスのソテー、作り置きしておいた人参とピーマンのきんぴら。あとはごはんに汁物だ。 「あ、あの……」  ミハイエルは無言で朝食を見つめている。そんなに見つめられたらハムエッグに穴が空いて、半熟に仕上げた黄身がとろっと流れ出しそうだ。  ひょっとして食べたいんだろうか。いや、でも、おれの料理は大嫌いだって言ってたし、下手に勧めないほうが身のためかも。  くうっとなにかが鳴った。ミハイエルの腹の虫が鳴いたのだ、と三秒かかって気づく。 「……あ、あの、よかったら一緒に食べ――」 「そこまで言うなら食べてやろう」  ミハイエルは尊大な口ぶりで食い気味に言うと、もうひとつの椅子にさっと腰かけた。  言ってない。誰もそこまで言ってない。ツッコミは心に留めおき、奏はいそいそと立ち上がった。 「お、お、おはようございます……」  編集部に入っていくと、数人の視線が飛んできた。おはようの声を聞きながら、自分のデスクへ腰かける。  ツキヨミ舎の文芸第二出版部。それが奏の職場だ。第二出版部はエンターテイメント系の小説を管轄としている。  まずはパソコンを立ち上げて、届いているメールをチェックする。いつもどおりの朝の始まりだ。 「なんだかご機嫌ですね。内海さんが鼻歌なんてめずらしい」  隣のデスクから同僚の宮園はるかが声をかけてきた。  はるかは奏が就職した次の年に入ってきたひとつ下の後輩で、陰気な奏にもたびたび話しかけてくれる、慈愛に満ちた女神さながらの女性だった。 「え……そ、そうですか?」  まあ、確かにいつもなら黙々と仕事をこなすだけで、鼻歌なんて出ないだろう。中学、高校、大学と隅っこで生き続けてきた身には、ちょっとの注目でもストレスになる。 「なにかいいことでもあったんですか?」 「い、いや、あの、い、いいことっていうか」  自分の作った料理をミハイエルが食べてくれた。おまけに『よかったら今日の夕食も作りましょうか?』と訊くと『作りたいなら作らせてやってもいい』と言ってくれたのだ。 「近所の猫が懐いてくれて……」  手ずから餌を食べくれたときの喜びに似ている。……なんて、ご本人に聞かれたら魔力で全身の骨を粉砕されるかもしれない。いや、魔族は人間を攻撃できないらしいから、その点は安心か。せいぜい視線で刺殺されるだけで。 「内海さん、猫がお好きなんですか? 可愛いですよね、猫って。私もいっつも猫の動画とか見てますよ」 「はは……か、可愛いです、よね……」  可愛いどころか鋭い爪で致命傷を与えられかねない恐ろしさなのだが。それは言わずにおいた。  原稿を読み、届いた販促物をチェックし、昼食を済ませ、担当している作家との打ち合わせが終わったころには退社時間はとっくに過ぎていた。  作家の花藤響己からチャットアプリにメッセージが届いたのは、編集部を出ようとしたときだ。  作家とは基本的に会社のパソコンのメールでやり取りするのだが、プライベートな事柄はプライベートでやり取りしたいから、と半ば強引に友達登録されてしまったのだ。 『今日も夕食を一緒にどう?』  奏は廊下を歩きながらディスプレイをしげしげとながめた。きのう夕食を一緒に食べたばかりなのに、今日もまたってなにかあったんだろうか。執筆で行き詰まっているとか。だとしたら話を聞かなくては。 『手がけている作品のことでなにかありましたか?』 『いや、そうじゃなくって。俺が奏くんに会いたいだけ』  ふたたびしげしげとディスプレイをながめる。まるで恋人相手みたいな言葉である。響己は恋愛を主体とした作品を書くことが多いから、メッセージの文面も自然と恋人に向けるものになるのかもしれない。
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